昨晩の第71回クイーン賞。ライオットガールが左の後ろ脚の痛みで歩行にバランスを欠いたため出走取消となり7頭。
アンモシエラが逃げてオーサムリザルトが2番手でマーク。2馬身差で行きたがるのを宥めつつフェブランシェが続き1馬身差でテンカジョウ。3馬身差でキャリックアリード。2馬身差でポルラノーチェとドライゼが併走。最初の800mは50秒2のスローペース。
3コーナーを回るとアンモシエラにオーサムリザルトが並びかけていき,その後ろは外にフェブランシェで内からテンカジョウ。直線に入ると前の2頭が後ろとの差をやや広げ,ほどなくして外のオーサムリザルトがアンモシエラを差して先頭。そのまま抜け出して優勝。逃げたアンモシエラが1馬身差で2着。テンカジョウとフェブランシェの外からキャリックアリードが追い込んできて3着争いは3頭。インを回ったテンカジョウが半馬身差の3着。外を追い込んだキャリックアリードがクビ差の4着でフェブランシェが半馬身差で5着。
優勝したオーサムリザルトは,レースへの出走はブリーダーズゴールドカップ以来。重賞は3連勝でデビューからの連勝も8に伸ばしました。実績ではこの馬よりも上の馬もいたのですが,トップハンデを課せられていたように能力は上位。船橋のような直線が短いコースに出走するのは初めてでしたが,コーナー自体は川崎ほどきつくはないので,難なくこなしました。国内で牝馬戦に出ている限りは当分は勝ち続けることができるのではないかと思いますし,たぶん牡馬が相手でも通用すると思います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/27/ead2a17254b1b20b4668f3bb46f7b951.jpg)
騎乗した武豊騎手は第48回,50回に続く21年ぶりのクイーン賞3勝目。管理している池江泰寿調教師はクイーン賞初勝利。
僕が主張しているのは,第一部定義六で示されている神Deum,絶対に無限なabsolute infinitum実体substantiamであり,無限に多くの属性infinitis attributisによってその本性essentiamを構成されている実体を,余すところなく十全に表現するexprimere観念ideaは存在しないということではありません。スピノザの哲学は平行論,僕は平行論説を採用するのでここでは平行論といいますが,これを同一説と解しても同じ結論になりますが,そうした論理を採用しているがゆえに,一般的にXが形相的有esse formaleとして,いい換えれば知性intellectusの外に存在するのであれば,Xの客観的有esse objectivumすなわちXの観念が存在するということは基本的なテーゼでなければならないと僕は考えますし,逆にXが客観的有すなわち十全な観念idea adaequataとして実在するのであれば,その観念の観念対象ideatumであるXが知性の外に形相的有として存在しなければならないということも同様の基本的テーゼであると考えます。そして第一部定理一一でいわれているように神は実在します。そしてとくにその第三の証明は,神が絶対に無限であるということから帰結しています。つまり絶対に無限な実体としての神は存在するのであって,それは単に形相的有として存在するという意味でなく,客観的有としても存在するということでなければならないのです。僕がいっているのは,そうした神の観念が実在するということと,現実的に存在する人間がその観念を十全に認識するcognoscereということは別のことであって,それを混同してはならないのではないかということです。
第二部定理七系によれば,神の本性から形相的にformaliter生じることは,神の観念Dei ideaから客観的にobjective生じます。したがって,神の無限知性intellectus infinitus,これは思惟の属性Cogitationis attributumの直接無限様態に該当しますが,その無限知性のうちに神の観念があるとすれば,その神の観念は第一部定義六で示されている神を余すところなく表現する観念でなければなりません。それは僕たちには認識することができない神の観念であるといわなければならないと僕は考えているわけですが,僕たちには認識することができない類の神の十全な観念が,神のうちには少なくともなければならないと僕は考えます。そしてこのこともまた,僕たちは十全に理解するintelligereことができるというように僕は考えています。
アンモシエラが逃げてオーサムリザルトが2番手でマーク。2馬身差で行きたがるのを宥めつつフェブランシェが続き1馬身差でテンカジョウ。3馬身差でキャリックアリード。2馬身差でポルラノーチェとドライゼが併走。最初の800mは50秒2のスローペース。
3コーナーを回るとアンモシエラにオーサムリザルトが並びかけていき,その後ろは外にフェブランシェで内からテンカジョウ。直線に入ると前の2頭が後ろとの差をやや広げ,ほどなくして外のオーサムリザルトがアンモシエラを差して先頭。そのまま抜け出して優勝。逃げたアンモシエラが1馬身差で2着。テンカジョウとフェブランシェの外からキャリックアリードが追い込んできて3着争いは3頭。インを回ったテンカジョウが半馬身差の3着。外を追い込んだキャリックアリードがクビ差の4着でフェブランシェが半馬身差で5着。
優勝したオーサムリザルトは,レースへの出走はブリーダーズゴールドカップ以来。重賞は3連勝でデビューからの連勝も8に伸ばしました。実績ではこの馬よりも上の馬もいたのですが,トップハンデを課せられていたように能力は上位。船橋のような直線が短いコースに出走するのは初めてでしたが,コーナー自体は川崎ほどきつくはないので,難なくこなしました。国内で牝馬戦に出ている限りは当分は勝ち続けることができるのではないかと思いますし,たぶん牡馬が相手でも通用すると思います。
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騎乗した武豊騎手は第48回,50回に続く21年ぶりのクイーン賞3勝目。管理している池江泰寿調教師はクイーン賞初勝利。
僕が主張しているのは,第一部定義六で示されている神Deum,絶対に無限なabsolute infinitum実体substantiamであり,無限に多くの属性infinitis attributisによってその本性essentiamを構成されている実体を,余すところなく十全に表現するexprimere観念ideaは存在しないということではありません。スピノザの哲学は平行論,僕は平行論説を採用するのでここでは平行論といいますが,これを同一説と解しても同じ結論になりますが,そうした論理を採用しているがゆえに,一般的にXが形相的有esse formaleとして,いい換えれば知性intellectusの外に存在するのであれば,Xの客観的有esse objectivumすなわちXの観念が存在するということは基本的なテーゼでなければならないと僕は考えますし,逆にXが客観的有すなわち十全な観念idea adaequataとして実在するのであれば,その観念の観念対象ideatumであるXが知性の外に形相的有として存在しなければならないということも同様の基本的テーゼであると考えます。そして第一部定理一一でいわれているように神は実在します。そしてとくにその第三の証明は,神が絶対に無限であるということから帰結しています。つまり絶対に無限な実体としての神は存在するのであって,それは単に形相的有として存在するという意味でなく,客観的有としても存在するということでなければならないのです。僕がいっているのは,そうした神の観念が実在するということと,現実的に存在する人間がその観念を十全に認識するcognoscereということは別のことであって,それを混同してはならないのではないかということです。
第二部定理七系によれば,神の本性から形相的にformaliter生じることは,神の観念Dei ideaから客観的にobjective生じます。したがって,神の無限知性intellectus infinitus,これは思惟の属性Cogitationis attributumの直接無限様態に該当しますが,その無限知性のうちに神の観念があるとすれば,その神の観念は第一部定義六で示されている神を余すところなく表現する観念でなければなりません。それは僕たちには認識することができない神の観念であるといわなければならないと僕は考えているわけですが,僕たちには認識することができない類の神の十全な観念が,神のうちには少なくともなければならないと僕は考えます。そしてこのこともまた,僕たちは十全に理解するintelligereことができるというように僕は考えています。
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