GHCタッグの新王者が決定したNOAHの横浜大会,セミファイナルはKENTA選手とブライアン・ダニエルソン選手のシングルマッチでした。ダニエルソンはアメリカのROHのチャンピオンで,アメリカでもいい試合をしていましたが,なかなかいい選手です。身体はそうも大きくないのですが,基本的なファイトスタイルはグラウンド中心。格闘技のバックボーンがどこにあるのか知らないのですが,これがかなりしっかりしていて,フィニッシュホールドもグラウンドで相手の肩関節を極める技です。スパイス的にエルボースマッシュを用い,この点は僕がプロレスキャリアの初期にファンであったドリー・ファンク・ジュニアを彷彿とさせますが,身体が小さいこともあり,勝負どころでは空中技も多用します。かなり余裕をもって試合に臨んでいる感もあり,相手の技をうまく切り返し,これが持ち味のひとつとなっていますし,僕も高く評価する部分ではありますが,人によっては相手の技を受けなすぎると不満に感じるかもしれません。アメリカで対戦したときには勝っていたのですが,この日はKENTA選手のゴー2スリープの前に涙を飲んでしまいました。ただ,試合内容としてはメーンよりよく,この日のベストバウトであったと思います。
ここまでくれば,スピノザに対するライプニッツの疑問のどこに問題があるか,分かってくるのではないかと思います。この疑問は,実体Aの本性が属性Xと属性Yによって構成され,実体Bの本性が属性Yと属性Zによって構成されるということが,名目的にであれ可能であるということを前提としているのですが,このとき,属性Yだけに注目するならば,この属性Yは,属性Xとも属性Zとも無関係に知性によって認識されるのですし,またこの属性Yを認識することによって,知性は実体Aや実体Bというのを直ちに認識するというものでもありません。したがって,複数であると想定されている実体Aと実体Bの本性を共に(ほかの属性と共に)構成していると仮定されているふたつの属性Yは,知性によって区別できるものとしては認識され得ないのです。いい換えれば,もしもこの仮定から知性が何らかの事柄を結論できるとすれば,それは実体Aの本性を構成するといわれている属性Yと,実体Bの本性を構成しているといわれている属性Yというのは,実際には区別することができないようなひとつの属性であって,したがって,実体Aと実体Bは,ことばの上ではそのように区別されてはいるけれども(スピノザがことばの上での区別を本来的な区別と認めないことに注意してください),本当は区別することができない同一の実体であるということになるのではないかと思うのです。
ここまでくれば,スピノザに対するライプニッツの疑問のどこに問題があるか,分かってくるのではないかと思います。この疑問は,実体Aの本性が属性Xと属性Yによって構成され,実体Bの本性が属性Yと属性Zによって構成されるということが,名目的にであれ可能であるということを前提としているのですが,このとき,属性Yだけに注目するならば,この属性Yは,属性Xとも属性Zとも無関係に知性によって認識されるのですし,またこの属性Yを認識することによって,知性は実体Aや実体Bというのを直ちに認識するというものでもありません。したがって,複数であると想定されている実体Aと実体Bの本性を共に(ほかの属性と共に)構成していると仮定されているふたつの属性Yは,知性によって区別できるものとしては認識され得ないのです。いい換えれば,もしもこの仮定から知性が何らかの事柄を結論できるとすれば,それは実体Aの本性を構成するといわれている属性Yと,実体Bの本性を構成しているといわれている属性Yというのは,実際には区別することができないようなひとつの属性であって,したがって,実体Aと実体Bは,ことばの上ではそのように区別されてはいるけれども(スピノザがことばの上での区別を本来的な区別と認めないことに注意してください),本当は区別することができない同一の実体であるということになるのではないかと思うのです。