⑦-1の第2図から両取りを受ける手はあるにはあります。それが実戦の△4二角打。
ただこれはこの局面で受かっているというだけ。▲2四飛と取られれば△同角の一手で,▲5三角の金銀両取りがあり,これも△4五飛で一時的には受かるとはいえ,▲4六歩でも▲3六銀打でも困りそうです。
上述の手順も有力であったと思いますが,実戦は別の手が出ました。それが▲3三歩。
この焦点の歩は2四の角で取るのは反則。4二の角で取るのは銀が只。桂馬で取れば角が只。なので△同金でしたがそうしてから▲2四飛と取り,△同金に▲7一角の飛車金両取りが決まりました。
これは部分的な受けも効かない両取り。いよいよ後手が窮したかに思えたのですが,ここから後手が被害を最小限に留めるようなうまい指し回しを見せたのです。
無限様態の媒介なしには個物res singularisは生起し得ない。神はres singularisの最近原因である。スピノザはこれらのことを同じ備考の中で同時に主張しています。ということは当然ながら,スピノザはこれらが両立可能であると考えていたということになります。だから,これらを両立させることが可能な論理構成とはいかなるものかということを探求していくことが,問題を解決させることになるでしょう。
最大の鍵となるのは,おそらく無限様態の媒介によってres singularisが生起するというとき,この媒介というのをスピノザが具体的にどう考えていたのかということだと思います。これに対する判然とした解答をスピノザは示していませんが,少なくとも,無限様態の媒介によってres singularisが生起するとしても,神はres singularisの最近原因であると考えていたことだけは間違いありません。最近原因とは,原因と結果との間に何らの媒介も存在しないという場合の原因です。すなわち,少しばかり奇妙ないい方になりますが,無限様態の媒介によってres singularisが生起するとしても,それは原因である神と結果であるres singularisを媒介するような要因ではないとスピノザは考えていたといわざるを得ません。他面からいえば,この奇妙ないい方を成立させ得るような論理を構築しなければならないということです。
ドイツの数学者であったチルンハウスは,スピノザと交流があり,書簡のやり取りをしていました。あるときその手紙の中で,チルンハウスは無限様態とは具体的には何であるのかという質問をしています。スピノザはこの問いには答えていて,その返信も残されていました。それによれば,直接無限様態とは,思惟の属性の場合には無限知性,延長の属性の場合には運動と静止をあげ,間接無限様態としては,そのうちでは多様に変化しつつも全体では常に同一である全宇宙というのをあげています。この間接無限様態についての解答を,そのまま思惟の属性に適用するのは危険を伴うおそれありと僕は判断します。なのでここではこの解答は,延長の属性の間接無限様態についての言及であるとしておきます。
ただこれはこの局面で受かっているというだけ。▲2四飛と取られれば△同角の一手で,▲5三角の金銀両取りがあり,これも△4五飛で一時的には受かるとはいえ,▲4六歩でも▲3六銀打でも困りそうです。
上述の手順も有力であったと思いますが,実戦は別の手が出ました。それが▲3三歩。
この焦点の歩は2四の角で取るのは反則。4二の角で取るのは銀が只。桂馬で取れば角が只。なので△同金でしたがそうしてから▲2四飛と取り,△同金に▲7一角の飛車金両取りが決まりました。
これは部分的な受けも効かない両取り。いよいよ後手が窮したかに思えたのですが,ここから後手が被害を最小限に留めるようなうまい指し回しを見せたのです。
無限様態の媒介なしには個物res singularisは生起し得ない。神はres singularisの最近原因である。スピノザはこれらのことを同じ備考の中で同時に主張しています。ということは当然ながら,スピノザはこれらが両立可能であると考えていたということになります。だから,これらを両立させることが可能な論理構成とはいかなるものかということを探求していくことが,問題を解決させることになるでしょう。
最大の鍵となるのは,おそらく無限様態の媒介によってres singularisが生起するというとき,この媒介というのをスピノザが具体的にどう考えていたのかということだと思います。これに対する判然とした解答をスピノザは示していませんが,少なくとも,無限様態の媒介によってres singularisが生起するとしても,神はres singularisの最近原因であると考えていたことだけは間違いありません。最近原因とは,原因と結果との間に何らの媒介も存在しないという場合の原因です。すなわち,少しばかり奇妙ないい方になりますが,無限様態の媒介によってres singularisが生起するとしても,それは原因である神と結果であるres singularisを媒介するような要因ではないとスピノザは考えていたといわざるを得ません。他面からいえば,この奇妙ないい方を成立させ得るような論理を構築しなければならないということです。
ドイツの数学者であったチルンハウスは,スピノザと交流があり,書簡のやり取りをしていました。あるときその手紙の中で,チルンハウスは無限様態とは具体的には何であるのかという質問をしています。スピノザはこの問いには答えていて,その返信も残されていました。それによれば,直接無限様態とは,思惟の属性の場合には無限知性,延長の属性の場合には運動と静止をあげ,間接無限様態としては,そのうちでは多様に変化しつつも全体では常に同一である全宇宙というのをあげています。この間接無限様態についての解答を,そのまま思惟の属性に適用するのは危険を伴うおそれありと僕は判断します。なのでここではこの解答は,延長の属性の間接無限様態についての言及であるとしておきます。