スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

埼玉新聞杯埼玉新聞栄冠賞&受動的な自己満足

2014-10-08 19:15:27 | 地方競馬
 台風の影響で初日が中止となってしまった今月の浦和競馬。開催のメーンとなるのが第24回埼玉新聞栄冠賞
 エスケイロードとケイアイサンダーが出負け。先手を奪ったのはマイネエレーナ。僕が逃げると考えていたナイキマドリードが2番手。3番手にトラバージョ。その後ろは内にカキツバタロイヤルで外にガンマーバースト。1周目の1コーナー付近で,この2頭の間にユーロビートも接近していきました。スローに近いくらいのミドルペース。
 2周目の3コーナーから逃げたマイネエレーナが後ろを引き離しにかかりました。ナイキマドリードはここで一杯。追ったのは内からガンマーバースト,外からユーロビートで,トラバージョはコーナーで苦しくなりました。マイネエレーナの逃げ足は直線でも衰えず,ワンサイドで後ろを離していき,9馬身もの差をつけて圧勝。一旦は控えてコーナーは最内を回り,直線で伸び返したカキツバタロイヤルが2着。外のユーロビートは振り切ったガンマーバーストが1馬身半差で3着。
 優勝したマイネエレーナは5月に同じ舞台でのB級条件戦を勝って以来の勝利で南関東重賞初制覇。その条件戦の次に走った牝馬重賞で,離されたとはいえ3着でしたので,南関東重賞なら牡馬相手でも好走は可能と思われました。結果から考えると,おそらく内を回る馬に有利な馬場状態であったようで,逃げていいコースを走れたのが最大の勝因でしょう。54キロという斤量もかなり有利であったと思います。母の半姉に1995年と1996年の札幌スプリントステークスを連覇したノーブルグラス
 騎乗した大井の御神本訓史騎手は6月の優駿スプリント以来の南関東重賞制覇。埼玉新聞栄冠賞は初勝利。レース名に変更はありますが,管理している浦和の小久保智調教師は第18回,22回を制していて,2年ぶりの埼玉新聞栄冠賞3勝目。

 第四部定理五二は,理性ratioから生じる自己満足acquiescentia in se ipsoが,存在し得る最高の満足であることを示しています。しかし,第三部定理五九から分かるように,僕たちは理性によって自己満足を感じることもありますが,同じ自己満足という感情affectusを,受動的に感じる場合もあります。そこで,受動的な喜びlaetitiaだけに注目した場合,最高の満足というのは,やはり自己満足になると僕は考えています。
 第三部定理七から理解できるのは,人間が現実的に存在するとき,自分自身の存在existentiaの維持に固執するperseverareことが,その人間の現実的本性actualis essentiaに属するということです。そして第三部定理九が示しているのは,この現実的本性は,人間の精神mens humanaが,ということはその人間自身が,能動的である場合にも受動的である場合にも同様であるということです。つまり人間の精神は,能動的である場合にも受動的である場合にも,いい換えるなら理性的である場合にもそうでない場合にも,自分の現実的本性を維持しようとする傾向を有するconariことになります。
 第三部諸感情の定義二により,喜びは喜ぶ当人の完全性perfectioが,より小なる状態からより大なる状態へと移行することです。ですから現実的に存在する人間はだれであれ,自身の喜びを肯定するaffirmareことになります。いい換えれば喜びは,現実的に存在するすべての人間にとって,満足できる状態です。このとき,自己満足という感情は,その喜びの原因causaとして,自分自身を含むような満足です。自分自身が原因となっていない満足と,自分自身が原因となっている満足とを比較するなら,満足の度合いが同一であるなら,自分自身が原因となっている満足の方が,より喜びを促進すると僕は考えます。なぜなら,ある喜びの原因となっている自分自身を観想するcontemplariことにより,さらに別の喜びが生じ得ると考えるからです。
 ここでも,原因となっている自分自身というのは,実際に自分が原因となって自分が喜んでいるという意味なのではなく,喜びの原因として自分自身が表象されているという意味であるということには注意が必要です。とりわけここでは受動passioによる自己満足を考えていますので,その表象像imagoは真の観念idea veraではありません。
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