スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

谷津の雑感⑤&純粋種と亜種

2016-07-23 19:15:34 | NOAH
 谷津の雑感④の続きです。
 谷津は1990年3月に試合中に頸椎を負傷して欠場。復帰したのは5月14日の東京都体育館サムソン・冬木と組み,タイガーマスクと川田利明のチームとの対戦でした。この試合中にタイガーが覆面を脱ぎ,素顔の三沢に回帰した一戦です。谷津はその前に,三沢を素顔に戻すことを馬場に進言したといっています。実際にこの試合中,谷津がタイガーの覆面に手を掛ける場面もあり,タイガーが覆面を脱ぎやすい状況にもっていったのは事実。なので進言したのが虚偽だとは僕は思いません。ただし実行については最終的に馬場が決断した筈で,その決断の理由が谷津からの進言であったというようには僕は考えていません。
 谷津はこの後,7月途中から試合を欠場し,8月にSWSに移籍しました。この理由については,この時点でジャパンプロレスからの同僚が永源遥だけになってしまったことと,負傷が完全に癒えていない自分に三沢や川田が気を使うのはよくないと考えたという二点を説明しています。谷津は天龍源一郎が離脱した全日本が盛況を迎えるためには三沢や川田がトップクラスにいくほかないと考えていたので,自身は身を退いたという意味だと僕は解します。谷津はSWSからは多額の移籍金を受け取っていないとしていて,要は金銭面が移籍した理由ではないといっているわけです。この部分が真実であるかは僕には判断がつきかねます。ただ,三沢や川田の上昇が必要だと考えていたのはおそらく真実で,事実として全日本はむしろこの後で最良の時代を迎えたのですから,その点は慧眼であったと思います。ただし,そういう時代を迎えるほどに全日本の人気が出るとは考えていなかったのではないでしょうか。
 移籍自体は契約違反であったようで,裁判になりました。これについても興味深い発言がありますので,それを最終回にすることにします。

 定義されるものAと定義の内容Bが一対一で対応し合わなければならないのだとしたら,BとはAにとって何であるのか,あるいは何でなければならないのかということが当然のように問われ得ることになります。なので単純にAをBと解するという定義がスピノザがいうよい定義であったとしても,Bに関してはその内容を問わなければならないのです。
                                     
 ただし,これは一般的にそういうことができるという意味です。どんな定義であったとしてもそれを問わなければならないというものではありません。確かにスピノザが書簡九でいっているように,それ自身が吟味されるためのみに立てられる定理,立てられなければならない定理というのは存在するでしょうし,公理系を全体としてみれば,そういった定義はむしろ必要とされるでしょう。いい換えれば知性が十分に理解することができる,すなわち概念することができさえすれば十分な定理もあるのです。たとえばBがAの何らかの性質,それは本性natura,essentiaであろうと特質proprietasであろうとあるいは共通概念notiones communesに類するものであろうと何であっても構わないのですが,そういう性質を意味するという場合に,この性質のことをAという,あるいはそういう性質を有するものについてはすべてAというというタイプの定義もあることになります。『エチカ』でいえば第二部定義六とか第四部定義八などはそういうタイプの定義であると僕は考えます。
 このようなタイプの定義の場合は,BがAにとって何かを問わなくて構いません。一方で,後に示すように問うべき定義というのもある筈で,したがって僕は実はスピノザが最初に分類したパターンのうち,僕が第一のパターンといったもののうちに,純粋種と亜種とがあると考えます。問わなくてよいのが純粋種で,問うべきなのは亜種です。
 僕の見解を示せば,第一部定義七第一部定義八も純粋種です。また第二部定義四第三部定義一なども,純粋種に数え上げてよいと考えます。これらの定義は定義されているものの性質について何かを示そうとしているというより,ある性質を有するものについて,それを定義されているものというということを示そうとしているからです。
コメント
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