スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ノボジャック&精神と思惟作用

2017-03-23 19:22:22 | 名馬
 先週の黒船賞で重賞初制覇を達成したブラゾンドゥリスの父はノボジャック。ノボジャックの産駒にとっても重賞初勝利でした。
 2歳の9月に芝の新馬戦を2着すると続くダートの未勝利戦で初勝利。ダートの条件戦を2着して出走した京王杯3歳ステークスで2着。朝日杯3歳ステークスに挑戦しましたが8着でした。
 3歳2月にダートのオープンで優勝。続くオープン戦は距離が長く5着。NHKマイルカップに出走するもイーグルカフェの最下位に大敗。このレースを最後に美穂から栗東の森秀行厩舎に転厩しました。
                                     
 転厩初戦となった根岸ステークスで古馬を相手に3着。芝のCBC賞は8着。4歳になってガーネットステークスは5着でしたが次のオープン特別を勝ってフェブラリーステークスへ。ですがこのレースは13着でした。
 ここから快進撃が始まります。黒船賞で重賞初制覇を達成すると群馬記念をレコードで制覇。さらに北海道スプリントカップもサウスヴィグラスを2着に降してレコードで優勝。クラスターカップと東京盃も制し重賞5連勝で挑んだ記念すべき第1回JBCスプリントを勝って大レースの勝ち馬に名を連ねました。
 大レースを制したことで斤量を背負わされるようになり,苦難の道が始まります。暮れのとちぎマロニエカップは2着。5歳になって根岸ステークスはサウスヴィグラスの8着。フェブラリーステークスは斤量は楽でしたが距離が長くアグネスデジタルの10着。黒船賞はサウスヴィグラスに1秒以上離されての2着。ようやく次の群馬記念を勝って連覇を達成するも北海道スプリントカップはサウスヴィグラスの5着。連覇を狙ったJBCスプリントもスターリングローズの3着でした。そして全日本サラブレッドカップも5着。
 6歳になり根岸ステークスがサウスヴィグラスの3着。間を開けて黒船賞を2度目の制覇で重賞8勝目。この後,7歳の暮れまで現役を続けましたが14戦して勝利を積み重ねることはできませんでした。
 対戦成績から分かるように,本格化して以降のサウスヴィグラスには分が悪く,同じようなダートのスプリンターとして種牡馬入りすれば,配合に不自由がない限りはサウスヴィグラスの方が選ばれることになります。したがって恵まれた種牡馬生活を送ることは当初から難しいだろうと想定された馬。重賞の勝ち馬が輩出したのですから,一応は成功したといってもいいのではないかと思います。

 当該部分の浅野の論考の中心は,スピノザが哲学の伝統としてあった人間による事物の認識cognitioを否定したという点にあります。具体的にいえば理性ratioの行使と意志作用volitioとの間に強固な関係を構築していた伝統に対し,スピノザはその関係を切断したという点にあります。
 スピノザの哲学において,現実的に存在するある人間の精神mens humanaが理性を行使することと,その人間の精神が働くagereことは同じ意味です。要するに理性とは精神の能動にほかなりません。スピノザは理性の行使と意志作用は無関係であると主張したのですから,それは精神の能動は,その能動作用をなす精神の意志作用と無関係に発生すると主張したことになります。これが浅野の論考の中心部分です。したがってここで浅野が主張しようとしていることは,何らかの主体を想定して,その主体の意向によって理性が行使されるということはないということです。これはスピノザが認識を純粋な受動と主張したことに合致するものだと僕は考えます。なので僕は浅野の見解は僕の見解と一致していると解するのです。
 このことを僕は,スピノザの認識論において主体の排除が主張されているといういい方で説明してきました。上野修が『スピノザの世界』でいっているように,スピノザの哲学ではまず精神なるものがあって,その精神が思惟作用をなすのではありません。むしろ精神などは存在しなくても思惟作用は存在するのです。そして第二部公理三により,思惟の様態cogitandi modiのうち第一のものは観念ideaなのですから,これは精神などなくても観念はあるというのと同じです。浅野がいっているのは,そのようにして生じる観念のうち特定のものをいくつか集積したものが,ある人間の精神といわれているのだということです。繰り返しになりますが,精神があってそれが思惟作用をするのではありません。むしろ思惟作用が「先立つ」のであり,それによって精神なるものが構成されているのです。
 スピノザの哲学では知性intellectusとは個々の観念の集積です。そして精神と知性は,同じものを異なった観点から把握した思惟の様態です。観念の集積から知性が構成されるのなら,精神も同じように構成されるといえるでしょう。
コメント
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