被災地支援競輪として実施された大垣記念の決勝。並びは新山‐小松崎‐成田の北日本,竹内‐柴崎‐山内の中部,稲垣に田中で河端は単騎。
スタートは成田が取りました。外から稲垣が上がってきましたが,成田が譲らなかったので新山の前受けに。成田の後ろを確保していた竹内が4番手。引かされた稲垣が7番手で最後尾から河端の周回に。残り3周のバックから稲垣が上昇開始。ここに河端も続きました。しかしバックの出口から新山が突っ張り,稲垣は4番手の外で竹内と併走する形に。この隊列のまま打鐘を迎えて新山の突っ張り先行に。ここでも稲垣は前に行こうとしたように見えましたが,結局は4番手を竹内と取り合う形に。競り合いは続きましたが,稲垣の方が4番手は取りました。バックから単騎の河端が発進。しかし後方をよく見ていた小松崎がバックの出口前から合わせて発進。そのまま小松崎が後続を振り切って優勝。小松崎マークから外を踏んだ成田と,直線で新山と小松崎の間に進路を選んだ稲垣の4分の3車身差での2着争いは接戦。写真判定に持ち込まれたもの同着となりました。
優勝した福島の小松崎大地選手は記念競輪初優勝。頭角を顕し始めたのは2013年頃で,その後も記念競輪の決勝には何度か進出していましたが,優勝争いに絡むというところまではいけなかった選手。このレースは新山と竹内の間で先行争いがあるのかどうか,またあった場合はそれがどの程度まで長引くのかというのが焦点ではないかと考えていました。しかし周回中の並びの関係もあり,竹内と稲垣が中団を取り合うという展開に。このために新山がすんなりと先手を奪えるレースになったので,恵まれることになりました。自力を使う選手ですが,年齢的な面からは,徐々に追い込みタイプへとシフトしていくことになるのではないかと思います。
スピノザがコルデスを尊敬し賞賛するための絶対的な条件としてあげられることは,スピノザとコルデスが知り合いであったことです。僕はこの点については確実視してよいと思っています。コルデスがどのような生活を送っていたか分かりませんが,同じハーグに住んでいた以上,知り合う可能性はあると考えられるからです。また,コレルスJohannes Colerusはウェルフェの家に住むようになったからスピノザに興味を抱いたと思われますが,スピノザがその後でスぺイクの家に住むようになったことを知っていたかどうか分かりません。もしかしたら自分の説教の聴衆のひとりであったスぺイクからそれを教えられた可能性もあるでしょう。つまりスぺイクは自分の方からスピノザのことを話すという可能性があるわけで,そのことは対象がコレルスであろうとコルデスであろうと変わりありません。なのでスぺイクからスピノザのことを聞き及んだコルデスが,スピノザに対して興味をもつという可能性も否定できないわけで,スピノザは間違いなくスぺイクからコルデスのことを聞かされていたでしょうから,スぺイクを仲介すれば,スピノザとコルデスが個人的に知り合う可能性はそれだけ高くなるといえます。もちろんこれは僕の推測であって,確実視できるわけではありませんから,その証言自体を疑い得るという点に関しては僕も認めます。
それから,この記述で大事なのは,賞賛していたということはともかく,尊敬していたという点に関しては,実際にスピノザが尊敬していたかどうかよりも,スぺイクからみてスピノザがコルデスにどういう印象を抱いているようにみえていたかということの方が,その信憑性の判別には重要であるということです。僕は実際にスピノザはコルデスのことを尊敬していただろうし,賞賛することもあったと判断しますが,スぺイクからそのようにみえていたという点についてはなおのことそうであろうと思います。第二部定理一六系二から分かるように,スぺイクの精神mensのうちにあるスピノザの観念ideaは,スピノザの本性essentiaよりもスぺイクの現実的本性actualis essentiaをより多く含んでいるからです。つまりそこにはスぺイクのコルデス観が大いに反映されるのです。
スタートは成田が取りました。外から稲垣が上がってきましたが,成田が譲らなかったので新山の前受けに。成田の後ろを確保していた竹内が4番手。引かされた稲垣が7番手で最後尾から河端の周回に。残り3周のバックから稲垣が上昇開始。ここに河端も続きました。しかしバックの出口から新山が突っ張り,稲垣は4番手の外で竹内と併走する形に。この隊列のまま打鐘を迎えて新山の突っ張り先行に。ここでも稲垣は前に行こうとしたように見えましたが,結局は4番手を竹内と取り合う形に。競り合いは続きましたが,稲垣の方が4番手は取りました。バックから単騎の河端が発進。しかし後方をよく見ていた小松崎がバックの出口前から合わせて発進。そのまま小松崎が後続を振り切って優勝。小松崎マークから外を踏んだ成田と,直線で新山と小松崎の間に進路を選んだ稲垣の4分の3車身差での2着争いは接戦。写真判定に持ち込まれたもの同着となりました。
優勝した福島の小松崎大地選手は記念競輪初優勝。頭角を顕し始めたのは2013年頃で,その後も記念競輪の決勝には何度か進出していましたが,優勝争いに絡むというところまではいけなかった選手。このレースは新山と竹内の間で先行争いがあるのかどうか,またあった場合はそれがどの程度まで長引くのかというのが焦点ではないかと考えていました。しかし周回中の並びの関係もあり,竹内と稲垣が中団を取り合うという展開に。このために新山がすんなりと先手を奪えるレースになったので,恵まれることになりました。自力を使う選手ですが,年齢的な面からは,徐々に追い込みタイプへとシフトしていくことになるのではないかと思います。
スピノザがコルデスを尊敬し賞賛するための絶対的な条件としてあげられることは,スピノザとコルデスが知り合いであったことです。僕はこの点については確実視してよいと思っています。コルデスがどのような生活を送っていたか分かりませんが,同じハーグに住んでいた以上,知り合う可能性はあると考えられるからです。また,コレルスJohannes Colerusはウェルフェの家に住むようになったからスピノザに興味を抱いたと思われますが,スピノザがその後でスぺイクの家に住むようになったことを知っていたかどうか分かりません。もしかしたら自分の説教の聴衆のひとりであったスぺイクからそれを教えられた可能性もあるでしょう。つまりスぺイクは自分の方からスピノザのことを話すという可能性があるわけで,そのことは対象がコレルスであろうとコルデスであろうと変わりありません。なのでスぺイクからスピノザのことを聞き及んだコルデスが,スピノザに対して興味をもつという可能性も否定できないわけで,スピノザは間違いなくスぺイクからコルデスのことを聞かされていたでしょうから,スぺイクを仲介すれば,スピノザとコルデスが個人的に知り合う可能性はそれだけ高くなるといえます。もちろんこれは僕の推測であって,確実視できるわけではありませんから,その証言自体を疑い得るという点に関しては僕も認めます。
それから,この記述で大事なのは,賞賛していたということはともかく,尊敬していたという点に関しては,実際にスピノザが尊敬していたかどうかよりも,スぺイクからみてスピノザがコルデスにどういう印象を抱いているようにみえていたかということの方が,その信憑性の判別には重要であるということです。僕は実際にスピノザはコルデスのことを尊敬していただろうし,賞賛することもあったと判断しますが,スぺイクからそのようにみえていたという点についてはなおのことそうであろうと思います。第二部定理一六系二から分かるように,スぺイクの精神mensのうちにあるスピノザの観念ideaは,スピノザの本性essentiaよりもスぺイクの現実的本性actualis essentiaをより多く含んでいるからです。つまりそこにはスぺイクのコルデス観が大いに反映されるのです。