スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

王将戦&ケッテルリンフの不安

2017-03-17 19:13:46 | 将棋
 14日と15日に浜松市で指された第66期王将戦七番勝負第六局。
 久保利明九段の先手で中飛車模様の立ち上がりでしたが郷田真隆王将が5筋の位取りを許さなかったので一転して角道オープン向飛車に構えました。この将棋は後手の序盤の構想が悪かったために千日手を目指すこともできなくなり,その後も小さなミスを重ねてしまったために最終的に大差で先手が勝つという内容だったと思います。
                                     
 先手が8筋の交換に備えたところ。当然1筋に飛車を回ることが考えられます。ここで☖9四歩と突いたので☗1九飛と回られ☖2三金と受けることになりました。しかしこう受けなければならないのでは形が悪すぎるので,第1図では☖2一王と引き,それでも☗1九飛なら☖2二銀という形で受ける方がよかったように思います。先手が仕掛けないのなら☖2三銀~☖2二王と組み替えることもできたかもしれません。
 端を受けられたので先手は☗6九飛と転換。ここから☖3二銀☗6五歩☖同桂☗同桂☖同歩☗同飛☖6三歩☗6四歩☖同歩☗同飛と先手は好調な手順。後手が☖5三角と打つのは止むを得なかったと思いますがここに角を使わなければいけないのでははっきりと苦戦でしょう。先手は☗6九飛と引き上げ☖6三歩に☗7七金と遊び駒を使いにいきました。
                                     
 ここで☖6四角と上がっていますが,後の展開から考えるなら☖8六歩☗同歩☖6四角の方がまだよかったかもしれません。実戦は☗6六金と上がられ☖5三桂と桂馬まで使わされることになってしまいました。先手は☗5五歩。
                                     
 ここで☖7三角と引きましたが☗7五歩☖同歩☗7四歩とされてもう取り返せないくらいの差になってしまいました。代替案ももう難しい局面になっていそうですが,それでも☖8六歩と突いておくくらいの方が実戦よりはましだったかもしれません。
 4勝2敗で久保九段が王将を奪取第59期60期以来,6年ぶり3期目の王将位です。

 前にもいっているように,ここに示しているのは僕の見解opinioであり,史実そのものではありません。史実そのものを決定することはだれにもできないと僕は考えていますので,僕の見解が史実であるという主張をしたいわけでもありません。たとえ僕が断定的な語尾を用いる場合でも,それは僕の私見が述べられているだけであるということに十分に注意を払っておいてください。ですから僕とは異なった見解を有する方もいらっしゃるでしょうし,そうした見解についてそれは誤りであるということを強く主張する意図は僕にはありません。
 ケッテルリンフへの助言の逸話は,僕は史実であった可能性が濃厚だとみています。その理由は,この逸話の中には,スぺイクコレルスJohannes Colerusに対して証言するには不都合な事柄が前提されているからでした。これは前に説明した通りです。そしてその不都合な事柄というのは,スピノザはキリスト教に対する信仰心を抱いていなかった,あるいは抱くことがなかったということでした。そういう精神mensを有したスピノザが敬虔pietasで幸福な生活を送っているのを見たケッテルリンフは,まさにそのゆえに自分のルター派への信仰fidesに対する疑問を抱き,その信仰を継続することへの不安metusを感じたから,自身の信仰の継続についてスピノザに助言を求めることになったのです。
 もしコレルスの伝記にあるように,スピノザがしばしばコルデスの説教を聞きにいくような人であったなら,ケッテルリンフはそのような不安を感じることはなかったのではないかと僕は考えます。なぜなら,たとえスピノザがスぺイクやその家族に無信仰を公言するようなことがあったとしても,しばしば説教を聞きにいっているのであれば,ケッテルリンフはそのためにスピノザは敬虔であり幸福であるのだと認識できるからです。というよりも,自身の信仰に対して不安を感じるような思慮がケッテルリンフにあったのだとしたら,それはケッテルリンフはそれだけ篤い信仰心を有していたということの裏返しなのですから,ケッテルリンフは必ずそのように認識しただろうと僕は考えます。ですからこれらふたつのエピソードが,両立するとは僕には考えられないのです。
コメント
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