スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

お~いお茶杯王位戦&民主主義の停滞

2022-07-15 19:08:27 | 将棋
 一昨日と昨日,定山渓温泉で指された第63期王位戦七番勝負第二局。
 藤井聡太王位の先手で角換わり腰掛銀。後手の豊島将之九段にとっても研究の範囲内であったようで,スピーディーに指し手が進みました。
                                        
 後手が桂馬を取りにいった局面。先手は☗7五歩と突きました。後手は☖同歩。
 先手の狙いは☗2三歩成で一歩を入手して☗7四歩と打つことだと後手は認識していたようです。☖7五同歩はすぐに指されましたから,後手には用意があったのでしょう。
 ところが先手は☗1五香と,こちらの歩を取りました。これが後手の想定の範囲外だったようです。☖同香は当然の一手ですが,昼食休憩も含めると4時間近く考えました。
 その局面自体はそれほど差が開いていないようなのですが,後手にとっては均衡を保つのが難しい局面にはなっていたようです。研究合戦での勝利ともいえますが,相手が均衡を保つのが困難な局面へ導いた先手の戦略的な勝利だったという気もします。
 藤井王位が勝って1勝1敗。第三局は20日と21日に指される予定です。

 『国家論Tractatus Politicus』の当該部分でスピノザは,多くの貴族制の国家Imperiumは,始まりは民主制の国家であったといっています。このことから理解できるのは,民主制の国家は容易に貴族制の国家へとその体制が変化するということです。スピノザは同じ部分でなぜそのようなことになるのかの自説を展開していますが,僕の見解opinioではそこでスピノザが述べているのは,そのような変化が生じる一例であって,民主制の国家が貴族制の国家へと変化する理由を全般的に説明したものではありません。もしも全般的に説明するとすれば,政治的な既得権といい得るような権利juraや権益を保護するような市民Civesが多数を占めるようになると,民主制の国家は容易に貴族制の国家へと変容してしまうのです。
 たとえば資本主義という経済制度の下で,既得の権利や権益を保護しようという動きが大勢になってくると,資本主義経済は停滞します。このことはとくに説明するまでもないでしょう。それと同じように,民主主義の国家において,既得の権利や権益が保護されるにしたがって,民主主義という制度自体は停滞するのです。これは僕の見解であって,スピノザがそのように主張しているというわけではありません。ただ,スピノザが示している主張というのは,大きくみればそういうことの一例であることは間違いないので,おそらくスピノザもこのような考え方を原則的には否定しないであろうと思います。
 現在のアメリカという民主主義国家において,一定の数の白人が既得の政治的権利を保護しようとしているために,アメリカの民主主義は停滞しつつあるという言明があったとしましょう。この言明は一面的な見方にすぎないということは間違いないだろうと僕は思います。しかし一方で,言明自体がひどくアメリカの現状を歪曲したことをいっているかといえば,いい換えるなら,この言明がアメリカの現状についてひどく間違ったことをいっているかといえば,必ずしもそういうわけではないとも僕は考えます。政治的な既得権を主張する市民の数が一定の数まで達すると,民主主義国家は容易に貴族制国家へとその政治体制を変容させてしまうということは,具体的にはこのような意味です。
コメント
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