スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

プラチナカップ&社会契約説

2022-07-20 19:09:13 | 地方競馬
 第5回プラチナカップ
 逃げようとしたのはプレシャスエースとリコーシンザンとベストマッチョ。発走後の正面では一時的に3頭が3馬身くらい後ろを離しました。コーナーワークでプレシャスエースが単独の逃げとなり,ベストマッチョが2番手。下げたリコーシンザンはアンティノウスと並んでの3番手になり,ティーズダンクも向正面ではこの位置まで追い上げてきました。ここから3馬身差でアマネラクーン。7番手にワイドファラオ。8番手にフィールドセンス。2馬身差でワールドリングで5馬身差の最後尾にリネンファッションという隊列。最初の600mは34秒8の超ハイペース。
 3コーナーではベストマッチョの外までティーズダンクが追い上げてきて,この2頭がプレシャスエースの前に。コーナーの途中ではティーズダンクが単独の先頭に出て,直線の入口からはほぼ独走となり快勝。後方から外を一気に追い込んできたワールドリングが1馬身半差で2着。直線の入口で離れた3番手まで上がっていたフィールドセンスが,一杯になったベストマッチョを差して3馬身差の3着。ベストマッチョは4分の3馬身差で4着。
 優勝したティーズダンクは前々走のオープン以来の勝利。南関東重賞はゴールドカップ以来となる4勝目。この馬は浦和の1400mが最も得意で,重賞に初挑戦となった前走も2着になっていたように,このメンバーでは最有力候補。超ハイペースとなったレースをわりと早めに動いていき,前にいた馬をすべて潰して追い込みも封じましたので,内容はかなり強かったです。着差以上にほかの馬とは能力に差があったとみていいでしょう。父はスマートファルコン。母の父はキングカメハメハ
 騎乗した大井の和田譲治騎手は東京湾カップ以来の南関東重賞9勝目。プラチナカップは初勝利。管理している浦和の水野貴史調教師は南関東重賞9勝目。プラチナカップは初勝利。

 『神学・政治論Tractatus Theologico-Politicus』と『国家論Tractatus Politicus』の相違の中で,最も大きいのは次の点かと思います。
                                   
 『神学・政治論』では,いわゆる社会契約説に基づいて国家Imperiumの成り立ちを説明しています。少なくともそういう意欲がスピノザにはあると見受けられます。これに対して『国家論』では社会契約説は何も触れられていません。それどころか無視されているといってもいいくらいで,ここではスピノザは社会契約説を斥けているように読解できると思います。
 『神学・政治論』と『国家論』では書かれた時期が違います。したがってこの理由を,スピノザの政治論の変化と解することは可能ですし,それが正しいかもしれません。つまり,『神学・政治論』を書いていた時期のスピノザは,社会契約説を支持していたけれど,『国家論』を書いている時期のスピノザは考えを改め,社会契約説を支持しなくなったというような解釈です。ただし僕はこの解釈は採用しません。『神学・政治論』のときも『国家論』のときも,スピノザの政治思想に大きな変化があったわけでなく,仮に社会契約説についてスピノザの考えに何か変化が生じていたとしても,その変化を過大に見積もる必要はないと考えます。
 社会契約が現実的に存在するという考え方については,スピノザは『神学・政治論』を書いているときにも肯定していなかったと僕は考えます。哲学的にいえば,スピノザにとっての社会契約というのは,実在的有entia realiaであるというわけではなく,理性の有entia rationisの一種であったという点で,一貫していると僕は考えます。だから確かにスピノザは『神学・政治論』では社会契約説に基づいて国家の成立を説明しようという意欲をもっているのですが,それは国家が現実的に成り立つということを説明しようとしているわけではなく,あくまでもモデルとして,そのように説明すれば理解が容易であるという,ある種の利便性から社会契約説を利用したというように僕は解します。だれであっても実際に何らかの契約pactumをして国家の一員となるわけではありませんから,社会契約というのはある種のモデル,理性の有であり,実在的有ではない僕は考えますし,スピノザはそれを重視するだろうと思うのです。
コメント
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