昨晩の第29回マイルグランプリ。
好発はリコーシーウルフ。タイムフライヤーは1馬身ほど立ち遅れ。好発のリコーシーウルフが逃げて2番手にスマイルウィ。2馬身差でコズミックフォースとゴールドホイヤー。2馬身差でアヴァンティストとグレンツェント。7番手にタイムフライヤーとアディラート。8番手にリンゾウチャネル。10番手にコパノジャッキーとハルディネロ。2馬身差の最後尾にクロスケ。前半の800mは48秒5のミドルペース。
3コーナー手前から逃げたリコーシーウルフの騎手の手が動き始めました。コーナーを回るとほどなくスマイルウィが前に出て,その外からゴールドホイヤーが追ってきてこの2頭が雁行。直線はこの2頭のマッチレースになり,外のゴールドホイヤーが差し切って優勝。スマイルウィが1馬身差の2着。内目を回って追い上げてきたタイムフライヤーが1馬身半差で3着。
優勝したゴールドホイヤーは昨年の報知グランプリカップ以来の勝利で南関東重賞4勝目。この馬は南関東クラシックを走った5歳馬の中では能力最上位の馬と僕は評価しているのですが,レースになると自分との戦いという面があって,安定した成績をなかなか残すことができませんでした。このレースは内回りコースということで先行策をとったのだと思うのですが,いつになくスムーズなレースぶりでした。こういうレースを続けられるようなら,成績も安定したものとなっていくようにに思います。父はトランセンド。母の3つ上の半姉に1999年にフェアリーステークスを勝ったベルグチケット。Heuerはドイツ語で今年。
騎乗した川崎の山崎誠士騎手は昨年の報知グランプリカップ以来の南関東重賞18勝目。マイルグランプリは初勝利。管理している川崎の岩本洋調教師は南関東重賞11勝目。マイルグランプリは初勝利。
第二部定理四九備考は,スピノザが自身の主張に対して予想される反論をいくつか挙げて,それに対して解答する,場合によっては反駁する形式で書かれています。ビュリダンの驢馬の例がそこに示されているのは,スピノザは自身に対して,そのような反論があり得ると考えていたからです。すなわち自由意志voluntas liberaのない人間は,等しい距離にある等しい量の食料を選択することができず,ついには餓死するに至るであろうということは,スピノザの主張に対する反論になり得るとスピノザは考えていたのです。

これに対する解答は,わりとあっさりしたものです。スピノザはそれに反駁するどころか,そのこと自体は肯定するaffirmareからです。
「そのような平衡状態に置かれた人間(すなわち飢えと渇き,ならびに自分から等距離にあるそうした食物と飲料のほか何ものも知覚しない人間)が飢えと渇きのため死ぬであろうことを私はまったく容認する」。
この解答をみる限り,スピノザはきわめて奇妙なことを主張しているようにみえるでしょう。実際にスピノザは,もしそうであるならそうした人間は驢馬とみられるべきでないかと問われるなら,それを何というべきなのかは分からないという主旨のことをいっているのです。これはそれ以上の解答を拒否しているとみることができるでしょう。
ですが,この部分はこのように解釈するべきではないのです。浅野によれば,ここでスピノザが主張したかったことは,実際に人間が飢えと渇きによって死に至るであろうという点にあるのではなく,人間についての自由を考察するときに,それを抽象的な理論上の決定determinatioの問題へと移行させてしまうことに対する批判なのです。
実際に人間がこのような状況に置かれるということはあり得ないので,このビュリダンの驢馬の事例が,非現実的なことを問うていることはいうまでもありません。しかしそのことはここでは不問に付します。また,論理的にいえば,AとBが同一の選択肢であるときに,自由意志がないものは,人間であれ驢馬であれ,あるいはほかのどのような個物res singularisであれ,そのどちらかを選択することはできないでしょう。しかし実際には選択はされるのです。
好発はリコーシーウルフ。タイムフライヤーは1馬身ほど立ち遅れ。好発のリコーシーウルフが逃げて2番手にスマイルウィ。2馬身差でコズミックフォースとゴールドホイヤー。2馬身差でアヴァンティストとグレンツェント。7番手にタイムフライヤーとアディラート。8番手にリンゾウチャネル。10番手にコパノジャッキーとハルディネロ。2馬身差の最後尾にクロスケ。前半の800mは48秒5のミドルペース。
3コーナー手前から逃げたリコーシーウルフの騎手の手が動き始めました。コーナーを回るとほどなくスマイルウィが前に出て,その外からゴールドホイヤーが追ってきてこの2頭が雁行。直線はこの2頭のマッチレースになり,外のゴールドホイヤーが差し切って優勝。スマイルウィが1馬身差の2着。内目を回って追い上げてきたタイムフライヤーが1馬身半差で3着。
優勝したゴールドホイヤーは昨年の報知グランプリカップ以来の勝利で南関東重賞4勝目。この馬は南関東クラシックを走った5歳馬の中では能力最上位の馬と僕は評価しているのですが,レースになると自分との戦いという面があって,安定した成績をなかなか残すことができませんでした。このレースは内回りコースということで先行策をとったのだと思うのですが,いつになくスムーズなレースぶりでした。こういうレースを続けられるようなら,成績も安定したものとなっていくようにに思います。父はトランセンド。母の3つ上の半姉に1999年にフェアリーステークスを勝ったベルグチケット。Heuerはドイツ語で今年。
騎乗した川崎の山崎誠士騎手は昨年の報知グランプリカップ以来の南関東重賞18勝目。マイルグランプリは初勝利。管理している川崎の岩本洋調教師は南関東重賞11勝目。マイルグランプリは初勝利。
第二部定理四九備考は,スピノザが自身の主張に対して予想される反論をいくつか挙げて,それに対して解答する,場合によっては反駁する形式で書かれています。ビュリダンの驢馬の例がそこに示されているのは,スピノザは自身に対して,そのような反論があり得ると考えていたからです。すなわち自由意志voluntas liberaのない人間は,等しい距離にある等しい量の食料を選択することができず,ついには餓死するに至るであろうということは,スピノザの主張に対する反論になり得るとスピノザは考えていたのです。

これに対する解答は,わりとあっさりしたものです。スピノザはそれに反駁するどころか,そのこと自体は肯定するaffirmareからです。
「そのような平衡状態に置かれた人間(すなわち飢えと渇き,ならびに自分から等距離にあるそうした食物と飲料のほか何ものも知覚しない人間)が飢えと渇きのため死ぬであろうことを私はまったく容認する」。
この解答をみる限り,スピノザはきわめて奇妙なことを主張しているようにみえるでしょう。実際にスピノザは,もしそうであるならそうした人間は驢馬とみられるべきでないかと問われるなら,それを何というべきなのかは分からないという主旨のことをいっているのです。これはそれ以上の解答を拒否しているとみることができるでしょう。
ですが,この部分はこのように解釈するべきではないのです。浅野によれば,ここでスピノザが主張したかったことは,実際に人間が飢えと渇きによって死に至るであろうという点にあるのではなく,人間についての自由を考察するときに,それを抽象的な理論上の決定determinatioの問題へと移行させてしまうことに対する批判なのです。
実際に人間がこのような状況に置かれるということはあり得ないので,このビュリダンの驢馬の事例が,非現実的なことを問うていることはいうまでもありません。しかしそのことはここでは不問に付します。また,論理的にいえば,AとBが同一の選択肢であるときに,自由意志がないものは,人間であれ驢馬であれ,あるいはほかのどのような個物res singularisであれ,そのどちらかを選択することはできないでしょう。しかし実際には選択はされるのです。