三浦九段が対局においてコンピューターから指し手の援助を受けることは,きわめてリスクの高い行為であって,実際にそれをするとしたら著しく不条理なこと,あるいは同じことですがきわめて非合理的なことをしていることになるということを,僕は第三種の認識cognitio tertii generisとして認識しました。ただしこのことを現実的にあった疑惑に対して適用する際には,注意しなければならないことがあります。
第三種の認識は直観scientia intuitivaといわれるものですが,それ自体が論証Demonstratioを含んでいるので真の認識です。だから僕が認識した事柄が十全な観念idea adaequataであったことは間違いありません。同様に理性ratioによる認識,すなわち第二種の認識cognitio secundi generisもまた真の認識です。だから再構成という方法であるとはいえ,第三種の認識で認識した事柄について,それを第二種の認識に基づいて説明するということが,一般的に可能になるのです。そしてこの方法によって説明すれば,僕が第三種の認識で認識したことが真verumであるということ,あるいは十全adaequatumであるということは,だれにでも理解してもらうことができるのです。いい換えれば,僕が処分の発表を知ったときに,第三種の認識によって認識したことが,十全な認識であったということは,すべての人に理解してもらえたでしょう。
ただし,僕が認識したのは,三浦九段あるいは三浦九段と同じ程度の実績と棋力をもつ棋士が,コンピューターの援助を得て対局を行うということは,きわめて非合理的で不条理だということなのであって,三浦九段がそれをしなかったということではないのです。もしこのふたつの事柄が同じ意味をもつのなら,三浦九段はきわめて非合理的で不条理なことをしないということが前提されなければなりませんが,この前提が真であるか偽falsitasであるかといわれれば,それは偽なのです。このことは一般論から帰結します。つまり,現実的に存在する人間はきわめて非合理的なことをなさないとか,現実的に存在する人間はきわめて非合理的であると確知している事柄をなさないといった言明は,いずれも偽なのです。他面からいえば,それがどんな非合理的なこと,あるいはそれはきわめて非合理的であるということを知っている事柄であったとしても,人間はそれをなす場合があるのです。
よって,現実的なある事象について,このことを適用して何かを考えるのなら,与えられた条件についてさらに吟味する必要があります。よって僕がどのように吟味したのかも説明しておく必要があるでしょう。
12月16日,水曜日。新しく設置することにした換気扇の見積もりの日がこの日でした。どのタイプのものを設置するのかを決定し,施工の日時もこの日に決定しました。支払いの方法についても尋ねましたが,これは口座振替にしてほしいとのことでした。口座振替にすると手数料が必要になりますので,僕は現金での支払いの方がよかったのですが,口座振替のみでしたので,これは仕方がありません。
12月17日,木曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。
12月18日,金曜日。妹の本牧脳神経外科への通院でした。この通院がありましたので,この週は木曜に妹を迎えに行ったのです。この日は診察をして,処方箋を出してもらっただけでした。
12月21日,月曜日。妹を通所施設に送りました。
午後は内分泌科の通院でした。
内分泌科の通院は,現在は概ね1ヶ月に1度の頻度になっています。11月の通院は30日でした。僕の通院は,必ず月曜日です。1度だけ木曜日に通院したことがありましたが,これは月曜日に患者の数が多くなってしまい,やむなく木曜日に振り分けられたものであって,例外です。12月は28日が最後の月曜日で,みなと赤十字病院はこの日までは平常の診察を行っていましたので,11月の通院からの間隔だけでいえば,28日になるのが自然でした。実際に次の通院の日は,診察の最後に主治医と相談して決定するのですが,11月のときにはまず28日を打診されました。しかし28日は,妹の冬休みの開始の前日だったので,冬休みを家で過ごさせるために妹を迎えに行くことになっていました。なので僕の方から1週早めるように依頼し,この日の通院ということになりました。
月曜日は,それが平日,つまりみなと赤十字病院で通常の診察が行われる日で,妹が家にいる場合は,午前中は妹を通所施設に送ることになります。僕は妹の送迎にはバスを使っていますが,通院の日は帰りは電車を使います。電車を使った方が少し早く帰ってくることができるからです。
第三種の認識は直観scientia intuitivaといわれるものですが,それ自体が論証Demonstratioを含んでいるので真の認識です。だから僕が認識した事柄が十全な観念idea adaequataであったことは間違いありません。同様に理性ratioによる認識,すなわち第二種の認識cognitio secundi generisもまた真の認識です。だから再構成という方法であるとはいえ,第三種の認識で認識した事柄について,それを第二種の認識に基づいて説明するということが,一般的に可能になるのです。そしてこの方法によって説明すれば,僕が第三種の認識で認識したことが真verumであるということ,あるいは十全adaequatumであるということは,だれにでも理解してもらうことができるのです。いい換えれば,僕が処分の発表を知ったときに,第三種の認識によって認識したことが,十全な認識であったということは,すべての人に理解してもらえたでしょう。
ただし,僕が認識したのは,三浦九段あるいは三浦九段と同じ程度の実績と棋力をもつ棋士が,コンピューターの援助を得て対局を行うということは,きわめて非合理的で不条理だということなのであって,三浦九段がそれをしなかったということではないのです。もしこのふたつの事柄が同じ意味をもつのなら,三浦九段はきわめて非合理的で不条理なことをしないということが前提されなければなりませんが,この前提が真であるか偽falsitasであるかといわれれば,それは偽なのです。このことは一般論から帰結します。つまり,現実的に存在する人間はきわめて非合理的なことをなさないとか,現実的に存在する人間はきわめて非合理的であると確知している事柄をなさないといった言明は,いずれも偽なのです。他面からいえば,それがどんな非合理的なこと,あるいはそれはきわめて非合理的であるということを知っている事柄であったとしても,人間はそれをなす場合があるのです。
よって,現実的なある事象について,このことを適用して何かを考えるのなら,与えられた条件についてさらに吟味する必要があります。よって僕がどのように吟味したのかも説明しておく必要があるでしょう。
12月16日,水曜日。新しく設置することにした換気扇の見積もりの日がこの日でした。どのタイプのものを設置するのかを決定し,施工の日時もこの日に決定しました。支払いの方法についても尋ねましたが,これは口座振替にしてほしいとのことでした。口座振替にすると手数料が必要になりますので,僕は現金での支払いの方がよかったのですが,口座振替のみでしたので,これは仕方がありません。
12月17日,木曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。
12月18日,金曜日。妹の本牧脳神経外科への通院でした。この通院がありましたので,この週は木曜に妹を迎えに行ったのです。この日は診察をして,処方箋を出してもらっただけでした。
12月21日,月曜日。妹を通所施設に送りました。
午後は内分泌科の通院でした。
内分泌科の通院は,現在は概ね1ヶ月に1度の頻度になっています。11月の通院は30日でした。僕の通院は,必ず月曜日です。1度だけ木曜日に通院したことがありましたが,これは月曜日に患者の数が多くなってしまい,やむなく木曜日に振り分けられたものであって,例外です。12月は28日が最後の月曜日で,みなと赤十字病院はこの日までは平常の診察を行っていましたので,11月の通院からの間隔だけでいえば,28日になるのが自然でした。実際に次の通院の日は,診察の最後に主治医と相談して決定するのですが,11月のときにはまず28日を打診されました。しかし28日は,妹の冬休みの開始の前日だったので,冬休みを家で過ごさせるために妹を迎えに行くことになっていました。なので僕の方から1週早めるように依頼し,この日の通院ということになりました。
月曜日は,それが平日,つまりみなと赤十字病院で通常の診察が行われる日で,妹が家にいる場合は,午前中は妹を通所施設に送ることになります。僕は妹の送迎にはバスを使っていますが,通院の日は帰りは電車を使います。電車を使った方が少し早く帰ってくることができるからです。
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