スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

第四部定理六三系証明&家族の依頼

2024-12-07 19:19:55 | 哲学
 第四部定理六五証明にあたっては,第四部定理六三系が大きな役割を果たしています。『エチカ』における系Corollariumの中には,証明Demonstratioが付されていないものもあります。その場合は系はその定理Propositioからの帰結事項であるということになります。しかし第四部定理六三系については,スピノザは証明をしています。そこでスピノザがこの系をどのように証明しているのかということを詳しくみておきましょう。
                       
 まず理性ratioから生じる欲望cupiditasがどこから生じるのかといえば,それは能動的な喜びlaetitiaから生じるのです。欲望は大別すれば喜びを希求するか悲しみtristitiaを忌避するかのいずれかですが,理性から生じるといわれる限り,それが受動的な感情affectusから生じるということがあり得ないのはそれ自体で明らかであり,第三部定理五九によれば,能動的な喜び,いい換えれば理性から生じる喜びはあるので,その喜びから生じる欲望だけが,理性から生じる欲望であるといわれることになるのです。
 こうした喜びは過度にはなり得ません。というのは過度な喜びというのが十全な観念idea adaequataから生じるというのはそれ自体で矛盾ですから,理性から生じる喜びは常に適度な喜びであるということになります。『エチカ』にはこのことを示した定理がありますので,その定理についてはいずれ詳しく紹介します。
 いずれにせよ,理性から生じる喜びは,過度にはなり得ない喜びから生じるのであって,悲しみからは生じません。よってこれは第四部定理八により,善bonumの認識cognitioから生じることはあっても悪malumの認識から生じることはないのです。よって僕たちは,理性の導きに従っている限りでは,直接的に善に赴くことになりますし,直接的に善に赴くという限りで,つまり間接的に,悪を逃れるということになるのです。

 コンラート・ブルフがスピノザの知り合いであった可能性はかなり高いです。しかもスピノザはかつてコンラートに世話になった時期があったことも否定できません。したがってコンラートがアルベルトAlbert Burghに書簡を書いてほしいとスピノザに依頼したら,スピノザは無碍にそれを断ることはできなかったと想定できます。なので書簡七十六に書かれている若干の友人の中に,コンラートが含まれているという想定も,突飛なものであるとはいえないことになります。実際に岩波文庫版の『スピノザ往復書簡集Epistolae』の訳者である畠中尚志は,この書簡は友人や家族からの懇願によって書かれたものであると解説しています。
 いずれにしてもスピノザはステノNicola Stenoには返信は書きませんでしたが,アルベルトには書きました。そしてこれは遺稿集Opera Posthumaに掲載されています。その関係で,アルベルトからスピノザに宛てられた書簡六十七は遺稿集に掲載されたのだけれども,ステノからの書簡六十七の二は遺稿集に掲載されなかったのではないかと僕は考えてきました。これはこれで一定の根拠にはなる解釈だと僕は今でも思っています。
 フッデJohann Huddeからスピノザに送られた書簡は遺稿集には掲載されず,スピノザからフッデへの返信だけが,フッデ宛ということを隠していたとはいえ掲載されました。このようになったのは,遺稿集の編集者たちのフッデに対する配慮によるものです。また,スピノザがマイエルLodewijk Meyerに宛てた書簡十二は遺稿集に掲載されましたが,そこに書かれているマイエルからの書簡は掲載されていません。これは編集者であったマイエルの意向によると推定され,実際に書簡十五は遺稿集にも掲載されませんでした。書簡十二というのは,無限なるものの本性についてという副題のついた有名な書簡であって,すでに友人たちの間では閲覧されていたものですから,さすがにこの書簡の遺稿集への掲載を見送るということはマイエルにもできなかったのだと思われます。
 これらは例外であって,基本的にスピノザが返信を出した書簡が遺稿集に掲載されたケースでは,その返信の基となった書簡も遺稿集に掲載されています。逆にいえばそれはスピノザ宛の書簡が掲載される条件なのです。
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