昨晩の第36回ブリーダーズゴールドカップ。
何発か鞭を入れた上でシダーの逃げ。向正面に入るあたりで3馬身ほどのリードになりました。2番手がサーマルソアリングで3番手にオーサムリザルト。4番手にデリカダ。2馬身差でドライゼとウワサノシブコとポルラノーチェ。2馬身差でエナハツホとスギノプリンセスとメイドイットマム。2馬身差でサンオークレア。サウスヴィルは大きく離されました。ミドルペース。
3コーナーではシダー,サーマルソアリング,オーサムリザルトで雁行になり,4番手以下に4馬身くらいの差をつけました。サーマルソアリングはすぐに一杯となって後退。単独の2番手になったオーサムリザルトがコーナーの途中でシダーの前に出て,単独の先頭で直線に。そのまま抜け出して快勝。一旦は差をつけられたデリカダとドライゼが追ってきて,先んじていたデリカダが5馬身差で2着。ドライゼが1馬身差で3着。
優勝したオーサムリザルトはこれがエンプレス杯以来のレース。デビューからの連勝を7まで伸ばして重賞2勝目。ここは能力からは断然で,負けられないといっていいくらいのメンバー構成。3ヶ月以上の間隔があったことが唯一の不安点でしたが,能力を発揮できるくらいには仕上がっていました。渡米してブリーダーズカップレディスクラシックを目指すようです。
騎乗した武豊騎手は第11回以来となる25年ぶりのブリーダーズゴールドカップ2勝目。管理している池江泰寿調教師はブリーダーズゴールドカップ初勝利。
この時代の無神論者ということばは,単に神Deusを信じていない人間,一切の信仰fidesを有していない人間という意味ではありませんでした。むしろ素行不良の野蛮人という意味を帯びていたのです。つまり思想信条上の意味だけをもっていたのではなく,生活のあり方も示すことばでした。たとえばスピノザは書簡四十三において,スピノザの生活を知ったとしたら,フェルトホイゼンLambert van Velthuysenはスピノザを無神論を説いているとは容易に信じなかっただろうといっていますが,これはある人間を無神論者であると規定するときに,その人間の生活態度が大いに関係していたからです。あるいはベールPierre Bayleの『批判的歴史辞典Dictionaire Historique et Critique』でスピノザに触れられているとき,無神論者であるスピノザが品行方正な人間であったということは奇妙だけれど驚くには値しないのであって,それは福音に心服しながら放埓な生活をしている人びとがいるようなものであるといわれているのは,無神論者であればだれでも放埓な生活を送り,福音に心服していれば,いい換えればキリスト教の信者であればだれでも品行方正であるという社会通念があったからなのであって,ベールはその通念は必ずしも正しいわけではないといっているのです。
スピノザはそれなりに有名人であった筈なので,コレルスJohannes Colerusはスピノザの名前は知っていて,無神論者であるということも知っていたとしたら,コレルスのスピノザに対する印象は,素行不良な野蛮人というものだったかもしれません。とくにコレルスは牧師だったわけですから,そういう印象をより抱きやすかったのではないかと思えます。しかしスペイクから聞いたスピノザの生活態度が,そうした印象とあまりにかけ離れたものであったから,コレルスはそれを書きとどめて人びとに伝えようと思ったのではないかと僕は推測します。つまりコレルスにとって,自分が住んだ場所がたまたま以前にスピノザが住んでいた家だったということは,伝記を書くのに大きな要素を占めていたとは僕は思いません。また,スペイクから聞いたスピノザの逸話が,コレルスがイメージしている通りの無神論者であったとしたら,やはりコレルスは伝記を書くことはなかったのだろうと思います。
何発か鞭を入れた上でシダーの逃げ。向正面に入るあたりで3馬身ほどのリードになりました。2番手がサーマルソアリングで3番手にオーサムリザルト。4番手にデリカダ。2馬身差でドライゼとウワサノシブコとポルラノーチェ。2馬身差でエナハツホとスギノプリンセスとメイドイットマム。2馬身差でサンオークレア。サウスヴィルは大きく離されました。ミドルペース。
3コーナーではシダー,サーマルソアリング,オーサムリザルトで雁行になり,4番手以下に4馬身くらいの差をつけました。サーマルソアリングはすぐに一杯となって後退。単独の2番手になったオーサムリザルトがコーナーの途中でシダーの前に出て,単独の先頭で直線に。そのまま抜け出して快勝。一旦は差をつけられたデリカダとドライゼが追ってきて,先んじていたデリカダが5馬身差で2着。ドライゼが1馬身差で3着。
優勝したオーサムリザルトはこれがエンプレス杯以来のレース。デビューからの連勝を7まで伸ばして重賞2勝目。ここは能力からは断然で,負けられないといっていいくらいのメンバー構成。3ヶ月以上の間隔があったことが唯一の不安点でしたが,能力を発揮できるくらいには仕上がっていました。渡米してブリーダーズカップレディスクラシックを目指すようです。
騎乗した武豊騎手は第11回以来となる25年ぶりのブリーダーズゴールドカップ2勝目。管理している池江泰寿調教師はブリーダーズゴールドカップ初勝利。
この時代の無神論者ということばは,単に神Deusを信じていない人間,一切の信仰fidesを有していない人間という意味ではありませんでした。むしろ素行不良の野蛮人という意味を帯びていたのです。つまり思想信条上の意味だけをもっていたのではなく,生活のあり方も示すことばでした。たとえばスピノザは書簡四十三において,スピノザの生活を知ったとしたら,フェルトホイゼンLambert van Velthuysenはスピノザを無神論を説いているとは容易に信じなかっただろうといっていますが,これはある人間を無神論者であると規定するときに,その人間の生活態度が大いに関係していたからです。あるいはベールPierre Bayleの『批判的歴史辞典Dictionaire Historique et Critique』でスピノザに触れられているとき,無神論者であるスピノザが品行方正な人間であったということは奇妙だけれど驚くには値しないのであって,それは福音に心服しながら放埓な生活をしている人びとがいるようなものであるといわれているのは,無神論者であればだれでも放埓な生活を送り,福音に心服していれば,いい換えればキリスト教の信者であればだれでも品行方正であるという社会通念があったからなのであって,ベールはその通念は必ずしも正しいわけではないといっているのです。
スピノザはそれなりに有名人であった筈なので,コレルスJohannes Colerusはスピノザの名前は知っていて,無神論者であるということも知っていたとしたら,コレルスのスピノザに対する印象は,素行不良な野蛮人というものだったかもしれません。とくにコレルスは牧師だったわけですから,そういう印象をより抱きやすかったのではないかと思えます。しかしスペイクから聞いたスピノザの生活態度が,そうした印象とあまりにかけ離れたものであったから,コレルスはそれを書きとどめて人びとに伝えようと思ったのではないかと僕は推測します。つまりコレルスにとって,自分が住んだ場所がたまたま以前にスピノザが住んでいた家だったということは,伝記を書くのに大きな要素を占めていたとは僕は思いません。また,スペイクから聞いたスピノザの逸話が,コレルスがイメージしている通りの無神論者であったとしたら,やはりコレルスは伝記を書くことはなかったのだろうと思います。
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