スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。
第36期王位戦予選準決勝より。四間飛車に▲4五歩と仕掛ける将棋。
第1図は定跡では先手がやや無理とされる攻め。というのもここで△4二飛と引き,▲2一角成には△4一飛打という自陣飛車があり,馬が動けないからです,実際には▲3三桂と打ってまだ難しいのですが,この将棋は▲1一馬と取り,△同飛に取った香車を▲4七香(第2図)と打ちました。
銀は動けないので受けるほかありません。△4三歩と打つのが普通でしょうがなぜか△7一角と受けました。しかしこれは疑問手で,▲9五歩(第3図)という妙手があったのです。
黙って取り込まれてはひどいので△同歩の一手。対して▲同香△同香の後,4四で総交換しますと▲3三角から飛車を取って▲9四桂と打つ手が生じ,後手玉が寄ってしまいます。この順を避けるなら▲9五同香に△9四歩と打って▲9四桂を消せばいいのですが,それは取ったばかりの歩を▲4五歩と打たれて後手がしびれてしまいます。
実戦は▲4四香のときに△1二飛右と逃げて頑張ったのですが,1筋に飛車が2枚並ぶというのも愚形。後手も頑張って入玉は果たしたのですが,捕まえた先手の勝ちになっています。
眼科での視力検査というのは,これはみなと赤十字病院でもО眼科でも同じことでしたが,裸眼の視力を計測しただけでは終わりません。これはご存知の方もいらっしゃるかと思いますが,眼科の専門の眼鏡をつけての矯正視力というのも計測します。というか,これは近眼だけには限らないのかもしれませんが,日常的に眼鏡ないしはコンタクトレンズのような矯正器具を用いている患者に対しては,むしろこの矯正視力を計測することの方が主眼であるといった方がいいかも分かりません。といいますのは,そうした矯正器具によって本当に視力が矯正されているのかどうか,つまり目に対して矯正器具が有効であるのかどうかを調べることの方が大事であるといえるからです。
したがってこの日も僕は矯正した上での視力検査というのも行いました。これは矯正した上でのものですから,レンズの入れ替えは行わなければなりませんが,もう看護師は歩き回る必要もなく,ごく一般的な視力検査用の機械で行えます。その結果,僕のこの日の矯正視力は右目が1.2で左目が1.5という数値が出ました。この差異は裸眼での差異に一致しています。つまり僕は両目とも裸眼では0.1も見えないのですが,どちらかといえば左目の方が視力はいいのです。おそらく左右を同じ程度に矯正したので,矯正視力の方も左右で差が出たのではないかと思います。看護師は,裸眼の視力はかなり悪いけれども,矯正すれば見えるので何も問題はないという主旨のことを最後に言いました。このことからも,矯正視力の方が僕のような人間にとっては重要であるということが分かるのではないかと思います。
ところで,僕は極度の近眼であるわけですが,実は乱視もわずかですが入っています。そして乱視だけでいえば,右目よりも視力のよい左目の方が強いそうです。ただし僕が日常的に用いている眼鏡は,近視用の眼鏡で,乱視に関しては矯正していません。それでも日常生活において不便を感じるということはないので,僕の乱視というのはごく弱いものなのではないかと思います。
それから,近視用の眼鏡というのは実は大きく2タイプありまして,近いものを見やすくするためのものと,遠くを見やすくするものがあります。両方とも備えておくのがベストでしょうが,度が強い眼鏡というのはそう安価なものではありません。僕が常に使用しているのは前者のもの。僕は免許を持っていないので関係ありませんが,自動車を運転するというような場合には後者のものが必須であるということになります。
ブッチャーとシークの遺恨決着戦は不可解な結末に終わりました。襲撃された倉持隆夫アナウンサーが,『マイクは死んでも離さない』の中で,この事情に触れています。
それによればこれはアラビアの怪人の発案だったようです。ただ,それがどうして発案されたのかまでは書かれていません。僕が思うに,シークとブッチャーが試合をしたってまともなプロレスになるわけはありません。それでも試合は何らかの形で終わらせる必要があります。双方の選手に傷がつかず,かつインパクトのある結末ということでアイデアが出され,それにブッチャーが乗っかる形になったというところだったのではないでしょうか。
もちろん倉持アナウンサーはそんなことは知らずに実況に臨みました。これは事前に知らされていれば,日本テレビから全日本プロレスに伝わってストップがかかった筈ですから本当にそうだったとしか考えられません。逆にいえばこれは全日本プロレス側,具体的にいえば当時の社長でプロモーターでもあったジャイアント馬場さんもたぶん知らなかったことで,シークとブッチャーの間だけでの了解事項であったということなのだろうと思います。というのは倉持アナウンサーがこの著書に記している事柄からは,ジャイアント馬場さんに伝わっていればやはりストップがかかったとしか考えられないからです。
事前に知らされていなかったとはいえ,倉持アナウンサーは実況中に普段と違う異様な感じを受け,途中からは明らかに自分が本気で標的とされていることには気付いたそうです。それでも逃げることなく流血させられるまで実況を続けたわけですから,アナウンサーとしては当然なのかもしれませんが,立派だったと思います。
網膜症という病気がどのようなものであるのかということについては,ごく簡単ではありますが大体の説明ができましたので,ここからはこの日,3月5日に僕がО眼科で受けた検査の内容というのがどのようなものであったのかということを順に記述していくことにします。
待ち時間は1時間ほどと言われていたわけですが,最初に僕の名前が呼ばれたのは,まだそんなに時間が経過していないうちでした。この病院の構造が,入口を入ると待合室があり,その左側の奥に受付があるということまでは説明しました。この受付の右手が大きな診療所になっていて,眼科によくあるような機材がいくつか備えられていました。さらにこの大きめの診療所の左側には個室があって,開業している眼科医はそこで診察をするようになっていたのです。ただし,僕が待合室に入ったとき,あまりに人数が多いということに驚いたのですが,そこで待っていたすべての人がこの開業医,すなわちО先生ということになりますが,О先生の診察を受けるのかといえばそうではなく,ただ薬を処方してもらうためだけに来ていた患者もいました。実際,僕よりも後に来て,先に帰るという患者も多くいたくらいです。
名前を呼ばれて大きめの診療所に入りますと,おそらくは看護師と思われる人が待機していました。そしてまず視力検査を行いました。実は入院中にみなと赤十字病院で網膜症の眼科検診をしたとき,すなわちこれが僕にとっては最初の網膜症の検査だったわけですが,そのときも僕はまず最初に視力検査をしています。したがって視力検査というのは,おそらくその病院を始めて受診する患者に対しては必ず行われるような医療行為なのではないかと思います。2度めのときは行いませんでしたので,О眼科でもおそらくはもう行わないのではないかと思います。
僕は眼鏡を手放すことができないくらいの極度の近眼です。両目とも0.1は見えませんので,所定の機械を用いた検査は座った椅子の位置からでは見えませんからできません。看護師が大きな紙を持って近づいたり離れたりするというやり方で進行しました。このやり方はみなと赤十字病院のときと同じですし,強度の近視の患者に対しては,どこでもこのようにやるのではないかと思います。
マリーンカップの1㮇2着馬に,TCK女王盃の2着馬が加わっての争いになった第14回スパーキングレディーカップ。
先手をとったのはキープザチェンジ。逃げると思っていたタッチブライトが2番手で,トーホウドルチェとラヴェリータはそれに続く態勢。ウェディングフジコは中団になりました。最初の800mは49秒1でミドルペース。
ラヴェリータはずっと外を回っていたのですが,かなり手応えがよく,向正面では外から進出の構え。トーホウドルチェがこれに呼応し,この2頭が3コーナーでは早くも前に。そのまま並んで直線に入りましたが,余力の差は歴然で,ラヴェリータが簡単にトーホウドルチェを突き放して3馬身差の快勝。追い上げてきたウェディングフジコもさほどの勢いはなく,トーホウドルチェがぎりぎりで2着を確保しウェディングフジコが3着と,きわめて堅い決着になりました。
優勝したラヴェリータは前走のオープンから連勝。重賞は3月の名古屋大賞典以来の4勝目で,このレースは昨年に続く連覇。力は上なので当然といえば当然の勝利。常に同じ能力を発揮できるタイプの馬ではないのですが,川崎のナイターは得意の条件と考えてよさそうです。
騎乗した岩田康誠[やすなり]騎手,管理している松元茂樹調教師ともに,このレース連覇で2勝目です。
もしも眼底出血が起こってしまったら,これは手術を受けて治療するということになります。僕の父が目の手術を受けたのは,すでに出血しているのが発見されたからです。眼底出血は最悪の場合には,失明に至ります。それでも生命に別条があるというわけではないという意味ではまだましかもしれませんが,どんなに視力が悪いとしても,見えることと見えないことにはやはりそれ相応の差異があるといえます。父が出血を起こしたのは,どちらであったかは忘れてしまいましたが片方の目だけでしたが,それでも手術をすることによって,視力自体は低下したようですが,失明は免れることができました。
一方,新生血管の方は,眼底出血が生じる以前の段階であって,この場合には必ず外科的手術をしなければならないというものではありません。というより,この段階で手術をするというのは,おそらくはまれなのではないでしょうか。網膜症の外科的療法の代表的なものとしては,手術のほかにレーザー治療というのがありまして,むしろこの段階ではそちらの治療法によって処置していくことの方が一般的なのかもしれません。
これは新生血管の発生を予防したり,あるいはすでに発生してしまった新生血管を縮小させるような治療法です。実は父は眼底出血の手術の後,こちらの治療も受けています。これは僕にはどういう仕組みなのか分からないのですが,レーザー治療というのですから,おそらく新生血管が発生しそうな部位,ないしは発生してしまった部位にレーザー光線を部分的に照射して,その力でそれを潰していくということなのではないかと思われます。手術に比べたときの最大の利点というのは,手術をする場合には入院が必須ですが,この治療は外来で可能という点ではないでしょうか。ただ,これも僕にはよく分からないのですが,父によれば,この治療をするときには麻酔,といってもこれは注射ではなくて点眼の麻酔薬らしいですが,これを使うために,この治療を行う日はどうも視力に問題が生じるようで,その治療をする1日だけはそのためだけに使うことを覚悟しておかなければならないようです
エアジハードの母系を辿っていきますと,曽祖母にサワーオレンジという馬がいて,これが日本での母系祖先になります。ファミリーナンバーは8-g。
社台ファームの輸入で産駒はすべて日本産。2番目の子は1982年の3月にデビューすると,5月にはオークスを勝ってしまったというシャダイアイバー。この馬がこの系統の初めての大レースの勝ち馬です。ただしこれは僕の競馬キャリア以前。
サワーオレンジの直仔にはもう1頭の重賞勝ち馬がいて,それは1988年の新潟記念を勝ったダイナオレンジ。さらにその娘となるセンターライジングは1996年のオークストライアルを勝ちました。
シャダイアイバーの方も枝葉を伸ばしていき,産駒の1頭,オークツリーの子どもが,エアジハードが安田記念を勝つ直前の青葉賞や同じ年のステイヤーズステークスでテイエムオペラオーを破って勝ったペインテドブラック。エアジハードの母であるアイシーゴーグルはやはりシャダイアイバー産駒でオークツリーの姉ですので,エアジハードとペインテドブラックは従兄弟になります。さらにシャダイアイバーの子孫からは,2004年のCBC賞など重賞2勝のプレシャスカフェも出ています。
サワーオレンジの母はLady Atticaという馬ですが,この妹が繁殖牝馬として輸入されていて,それがボウモント。ボウモントの孫には2002年のJRA賞最優秀障害馬のギルデッドエージがいます。エアジハードとギルデッドエージは日本での母系祖先は異なりますが,同じ一族ということになります。
網膜症のもうひとつの代表的な症状として僕があげた新生血管というのは,網膜症が進行していく段階でいうなら,眼底出血,この場合には網膜前出血ないしは硝子体出血のことを指しますが,それよりは前の段階にあたります。もっとも,眼底出血を起こしてしまえば,そのまま放置すれば網膜剥離から失明へと至っていくわけで,いわば眼底出血は網膜症の最終段階であるといえますから,段階的にその前であるということは当然といえば当然かもしれません。
これは読んで字の如くで,網膜に新たな血管が生じていくこと,ないしは生じようとすることです。なぜこうした事態が発生するのかということをごく簡単に説明しますと,毛細血管というのは詰まりやすい血管で,これが詰まってきますと,酸素や栄養分などが網膜の神経細胞にいきわたらなくなってしまいます。そして酸素が欠乏するような状態になりますと,この酸素を網膜に補うという目的で,網膜の中に新しい血管ができてくる,ないしは新しい血管を作る準備が開始されるわけです。したがってこれだけを部分的にみれば,これはいわば自己保存の法則としてこうしたことが生じるといえないこともありません。
ところが,この新生血管が網膜にできてしまいますと,そこから眼底出血が生じてしまうのです。つまり,新生血管ができるということは,もしもそれ自体でみるならば何の問題もない,むしろ網膜にとってはよいことなのですが,その後の結果が非常に悪いものとなるというわけです。第一部公理三を用いて説明するならば,網膜に新生血管が生じれば必然的に眼底出血が生じるということであり,第一部公理四を用いるなら,原因である新生血管の認識のうちにはすでに結果としての眼底出血の認識が含まれているということになりますから,新生血管が発見された段階で,何らかの処置をしなければならないということになります。これが糖尿病患者が定期的に眼科検診を受けなければならないとされている最大の理由であるといえるでしょう。つまり,出血に至る段階の前で新生血管を発見し,未来に生じるであろう眼底出血をその段階で防いでおくという意味です。
2年ぶりにグリーンドーム前橋に戻ってきた寛仁親王牌の決勝。並びですが福島が別線を選択し,渡辺-山崎と新田-伏見。武田には山口で,脇本-村上-市田の近畿。
Sは渡辺が取ってそのまま前受け。3番手に新田,5番手に脇本,8番手に武田という周回。残り3周のホームから武田が上昇すると脇本も続き,バックでは前を叩いてそのまま先行態勢に。残り2周のホームに入るところでインから渡辺が4番手に入り,6番手に武田,遅れた8番手に新田の一列棒状。このまま残り半周のバック入口まで進み,そこで後ろからの動きを待たずに村上が番手発進。続いた市田がゴール寸前でこれを差して優勝。村上が2着で,バック過ぎのコーナーでインを突き,直線は市田の外から差してきた武田もきわどく迫って3着。
優勝した福井の市田佳寿浩選手は2月の西王座戦以来のビッグ3勝目となりますが,GⅠはこれが待望の初優勝。ここは脇本が決勝に乗ってきた時点で近畿勢の優位は確定。同県ですから本来は番手を回ってもいいところですが,さすがに村上に後ろを回れというわけにもいかないでしょうからこれが順当な並び。村上が後ろを待たずに仕掛けていったのは,そういう事情もあったものと思います。ほかの選手たちに策がなさすぎたという気がしないでもないですが,2周半から行かれては仕方ないのかもしれもしれません。
О眼科でのこの日の具体的な検査について説明する前に,そもそもこの眼科検診の意図というものを改めて詳しく記しておきましょう。
糖尿病患者にはそうでない場合と比べたときに罹患しやすくなる病気というのがいくつかあります。中でもとくに高いリスクを持っているのが三大合併症で,糖尿病性網膜症というのがそのひとつ。ただし,これは糖尿病患者が罹患するから糖尿病性網膜症といわれているのであって,網膜症自体は,必ずしも糖尿病と診断されている患者のみが発症するというわけではありません。あくまでも糖尿病であることにより,発症するリスクが飛躍的に高まるということです。
網膜症というのは良性とされる症状もあれば悪性とされるものもありますし,また段階的に軽症である場合もあれば重症であるということもあります。したがって,これがどういった病気であるのかということを一口で説明することはできません。ただし,主な疾患としては,出血と新生血管というのがあげられると思います。
出血というのは文字通りで,網膜の毛細血管が破れてしまうことによって出血してしまうことです。ただし,この出血にも2種類ありまして,ごく初期の段階で血管から血液が漏れ出してしまうものと,網膜症としては末期段階としての,網膜剥離やひどい場合には失明を生じさせるような出血です。前者の場合には血糖値をコントロールするだけで改善するという場合がありますが,後者の場合には目それ自体の治療が必要ということになります。さらにこの後者の出血は,出血する部位によってさらに分類することが出来るようですが,ここではこのタイプの出血について,これを眼底出血ということにします。
Ⅱ型糖尿病の僕の父は,後者のタイプの眼底出血を起こしました。目それ自体の治療といっても,施術は一様ではないのですが,父の場合は外科的手術を行いました。前回,造影剤について少し書きましたけれども,父が造影剤を用いたのはこの眼底出血の具合を調べるためでした。このための造影剤の投与は,ごく一般的な行われる医療行為のようです。
網膜症は自覚症状がないまま進行していくのですが,この段階になりますと視力が低下してきます。父は僕と同様に極度の近眼で,やはり裸眼ですと0.1も見えないのですが,それでも自覚症状は感じていたようです。
関東オークスを優勝したシンメイフジの祖母のシンコウラブリイは,JRAトップトレーナーの藤沢和雄調教師に,調教師として最初の大レース制覇をもたらした馬です。
2歳11月の新馬を勝つと続くオープンも連勝。阪神3歳牝馬ステークス,現在の阪神ジュベナイルフィリーズに出走するもこれは3着でした。
アイルランド産馬のため,当時のルールでクラシック出走は不可。3歳初戦の5月の牝馬のオープンはこの馬の競走生活で唯一掲示板を外しました。このため次のニュージーランドトロフィーは人気が下がりましたが,サクラバクシンオーをはじめとする牡馬を抑えて重賞初制覇。続くラジオたんぱ賞も連勝しました。
秋は当時は3歳牝馬限定だったクイーンステークスで復帰し重賞3連勝。普通なら当時は3歳牝馬限定だったエリザベス女王杯に向かうところですが,目標はジャパンカップと宣言し,古馬相手のオープンに出走してこれも勝利。しかしここで目標を切り替え,連闘でマイルチャンピオンシップに出走。しかしこれは2着でした。
4歳春は京王杯スプリングカップで2着。目標の安田記念に出走するも今度は3着。この後,札幌に渡ってオープンを勝ちました。
4歳秋がこの馬の真骨頂。毎日王冠をレコードで勝つとスワンステークスも連勝して重賞5勝目。そしてマイルチャンピオンシップでも前年の雪辱を果たして優勝。念願の大レース制覇を手土産に引退。この年の最優秀古馬牝馬に選出されました。
繁殖入りして最初の産駒が2001年の中京記念を母の主戦でもあった岡部幸雄騎手の絶妙なコース取りにも導かれて優勝したロードクロノス。翌年の七夕賞でもイーグルカフェの2着に食い込みました。
1年をおいた妹がレディミューズで,これは重賞は勝てませんでしたが,チューリップ賞2着,オークス4着などの成績。この馬がシンメイフジの母になりました。
一方,1997年のエプソムカップを勝ったタイキマーシャル,2003年の京都牝馬ステークスを勝ったハッピーパスは,シンコウラブリイの弟と妹。これだけ活躍馬が出ているのですから,一族としてみてもかなり優秀であるということが分かります。
僕はみなと赤十字病院に通院するときには必ずバスを利用していました。このバスでH町という停留所がアナウンスされると,決まってその近所の眼科の案内が同時に流れました。病院にはもう何度も通っていましたし,行きも帰りも流れるわけですから,さすがに僕もその近辺に眼科があるということを知りました。もっともこの眼科は電信柱にもかなりの数の看板を立てていましたので,あるいは僕がその眼科を知ったのはそちらの方が先であったかもしれません。いずれにしても自分の家から歩いて行かれる距離にある眼科の開業医ということになりますと,僕は最寄りのМ眼科のほかにはそこしか知りませんでしたので,М眼科での検査を断念した以上,必然的にそこで検査を受けるということになりました。これはО眼科というところ。僕の家から最寄りの駅であるJR根岸線の根岸駅近くのビルの中にありました。
3月5日は午前中は完全にオフという日でしたので,8時過ぎにようやく起き,朝食を摂ったりなんのかんのとぐずぐずしていまして,結局家を出たのが10時半過ぎ。歩いて15分はかからない距離ですから,遅くとも10時50分頃には到着していた筈です。
到着して驚いたのが患者の数。入口を入りますと開業医にしてはかなり広めの待合室があったのですが,この部屋の椅子の大部分が埋まっていました。僕は予約を取って行ったわけではなく飛び込みでしたから,これはもしかしたら受診できないかもしれないと不安に駆られるほどでした。
受け付けはこの待合室の最奥。入口からは左側でした。中には何人かの職員がいました。そのうちのひとりが対応してくれまして,僕は網膜症の検査をしたいという旨を申し出ました。職員の返答は時間はかかるかもしれないが待っていれば検査は受けられるということでしたので,僕は待つことに決めました。午後からは外出する予定を立ててはいましたが,必ずこの日のうちにすませなければならないという性質の仕事ではありませんでしたし,仮に待たされたとしても,2時間も3時間も待つということはなく,せいぜい1時間くらいだろうということだったからです。