スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

大仁田厚&硝石の本性

2016-07-16 19:10:46 | NOAH
 『全日本プロレス超人伝説』の第6章は大仁田厚です。これは僕には意外でした。僕は1985年の正月に全日本を引退し,1989年にFMWを設立してエースとなって以降のプロレスラーとしての大仁田は評価していますが,全日本時代の大仁田はあまり評価していないからです。正直にいえば僕にとって全日本の大仁田は,1982年11月に,試合後にチャボ・ゲレロにトロフィーで襲われて腕に大怪我を負わされた選手以上でも以下でもないのです。
                                     
 その後,1983年の4月に大仁田は左足の膝を粉砕骨折するという大怪我に見舞われました。この負傷も実は僕が大仁田をあまり評価しない理由のひとつになっています。というのはこの負傷というのは,試合中のアクシデントによるものではありませんでした。この日はチャボの弟のヘクター・ゲレロと対戦。タイトルマッチで防衛に成功したのですが,その試合後,エプロンからリングサイドに飛び降りたときの負傷だったのです。もちろん膝の状態の悪化はおそらくそれまでの試合によるもので,この瞬間に強い負荷がかかったための負傷ではあったでしょう。ですがどう考えてもこれは避けられる筈だったアクシデントで,こういう仕方で負傷してしまうというのはプロとしてどうなのかと思ってしまうのです。
 この後,手術などで1年以上の休養を経て復帰しました。このときは王者がマイティ・井上。井上に挑戦という形になり,1度は両者リングアウト。2度目の挑戦で敗れ,これが自身に引退を決意させたようです。このとききちんと相手の膝を容赦なく攻撃した井上の方が,大仁田よりも僕には評価できるのです。
 大仁田本来の能力が開花したのはやはりFMW設立後でしょう。FMWの試合は僕も何度か生観戦しています。身体は小さい選手でしたが,自分を大きくみせる術というのをよく心得ていたというのが最も強い印象です。

 一般に物体の現実的本性actualis essentiaが,その物体に与えられている運動と静止の割合によって決定されるなら,たとえば硝石といわれる物体に関しては,硝石に固有の運動と静止の割合があるのでなければなりません。
 このとき,硝石の本性すなわち運動と静止の割合が,理性ratioによって推論される限り,それは永遠の真理です。これは第二部定理四四系二から明白だといわなければなりません。そしてそれが永遠の真理として概念されるのは,硝石という個物の存在の形相的本性が,神の延長の属性の中に含まれたものとして認識されるからです。これについては第二部定理八を参照してください。しかし理性による認識とは異なり,個物が現実的に存在する場合,他面からいえば個物の現実的本性が概念される場合には,それは永遠の真理ではありません。むしろある一定の持続のうちで真理であることになります。こちらについては第二部定理八系を参照してください。
 第三部定理六とか第三部定理七というのは,現実的に存在するすべての個物に妥当します。したがって硝石が現実的に存在するという場合にも妥当します。よってこれらの定理から,現実的に存在するある硝石の現実的本性が,その硝石自体を原因として排除されるとか消滅するといったことは生じ得ません。いい換えれば,知性が現実的に存在するある硝石を十全に認識するということがあったとしても,それだけでその硝石の現実的本性が破壊されるというようには認識し得ないことになります。
 ところが,現実的に存在する硝石,いい換えれば一定の持続のうちに存在する硝石の現実的本性は,破壊され得ないものではありません。これは第四部公理から明白だといえます。ところで硝石の現実的本性は,ある定まった運動と静止の割合なのですから,硝石が破壊されるとは,その運動と静止の割合にある変化が生じるということです。こちらは岩波文庫版の114ページからの第二部自然学②補助定理四,五,六,七から導けると僕は考えます。これらは運動と静止の割合が同一なら同一の物体であるという意味なので,逆に運動と静止の割合が変化したら別の物体になるということだと解せるからです。
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時代&第二部自然学①補助定理一の意味

2016-07-15 18:55:51 | 歌・小説
 「波の上」という歌は,歌い手が貨物船に乗船していると解することもできるし,桟橋で出港する貨物船を見送っているというようにも解することができます。歌詞というのは決まった数のことばで語られるので,この場合のように意味が両様に解釈できるケースというのが意外に多くあります。とても有名な歌の中でいうと,「時代」はそういう解釈が可能な歌詞になっています。
                               
 この曲の場合は同じ旋律のふたつの部分がどちらも両様に解せるようになっています。両方を紹介するまでもありませんから,後から出てくるフレーズの方を例示します。

     まわるまわるよ時代は回る
     別れと出逢いをくり返し
     今日は倒れた旅人たちも
     生まれ変わって歩きだすよ


 この部分でいうと,旅人が倒れるのはいつなのか,あるいは歩き出すのがいつなのかということについて,ふたつの解釈が可能になっています。
 ひとつは,今日は倒れてしまった旅人も,いつか生まれ変わって歩き出すというものです。この場合には旅人が倒れるのは現在で,歩き出すのは未来ということになります。
 もうひとつは,かつて倒れてしまった旅人が,今日は生まれ変わって歩き出すというものです。この場合だと旅人が倒れるのは過去で,歩き出すのが現在ということになります。
 僕はこの曲を聴く場合には,第二の意味の方で解釈している場合が多いように思います。しかし「今日は」が冒頭にある語順からすると,第一の意味に解する人の方が多いのかもしれないとも思うのです。

 ある特定の運動と静止の割合を有する物体が,同一の記号で表現されるという見解は,岩波文庫版の111ページの第二部自然学①補助定理一から確かめられると僕は考えています。この補助定理では,物体は運動と静止に関して相互に区別されるということがまず述べられています。このとき,物体Aと物体Bが運動と静止に関して区別され得るためには,物体Aの運動と静止が,物体Bの運動と静止と異なっているからだといわなければなりません。もちろんその直後の第二部自然学①補助定理二の論証でいわれているように,物体Aも物体Bもあるときは運動しまたあるときは静止するという点では一致します。ですがこれは物体Aも物体Bも第二部定義一でいわれている意味において,神の本性を一定の仕方で表現するからにほかなりません。物体Aと物体Bが異なる物体として区別され得るためには,各々の現実的本性actualis essentiaには相違がなければなりません。その現実的本性の部分が,運動と静止の割合の相違を意味すると僕は考えるのです。
 この補助定理は同時に,速さと遅さでも区別されるということを主張しています。僕はこの部分が何を意味するか分かりません。それでもあえて現時点での解釈を示しておけば,ある物体は運動と静止の割合が同一であっても,その速さに相違があるなら,異なった記号で表現されることがあるというほどの意味ではないかと思います。たとえば水と氷というのは,運動と静止の割合でいえばそれは同一でなければなりません。これは同一の本性を有するものが,液体であるか固体であるかの相違だけを示しているといえるからです。したがって運動と静止の割合が同一であっても,その運動がある規定された速度よりも速い場合には水と表現され,それよりも遅い場合には氷と表現されるということがあるというような意味がここには含まれているのではないかと思います。
 いずれにしても,ある特定の運動と静止の割合を有して現実的に存在する物体は,同一の現実的本性を有するということでないと,第二部自然学①補助定理一は成立しないと僕はみます。この『エチカ』の観点から硝石の本性についての論争を検討します。
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農林水産大臣賞典ジャパンダートダービー&物体の生起

2016-07-14 19:38:27 | 地方競馬
 昨晩の第18回ジャパンダートダービー。タービランスが風邪で出走取消になり12頭。
 大外のケイティブレイブが徐々に内へと進路を取りながら前に。発走後の正面では2番手にストロングバローズ。3番手にダノンフェイスとカツゲキキトキト。キョウエイギア,ゴールドドリームの順で差がなく続いて2馬身ほど離れてバルダッサーレ。ケイティブレイブは1コーナーから後ろとの差を広げていき,向正面の入口では4馬身ほどのリードに。ストロングバローズとダノンフェイスが併走で2番手となり,キョウエイギアとゴールドドリームもその後ろで併走。カツゲキキトキトはこれらの後ろになりました。最初の1000mは61秒8のハイペース。
 向正面の中ほどからバルダッサーレが動いていき,前にいたすべての馬たちがこれに対応したためケイティブレイブのリードが縮まることに。しかし3コーナーを回るとまたケイティブレイブがリードを広げていき,2番手は外を回ったバルダッサーレと内のストロングバローズに。バルダッサーレのさらに外から追い上げたキョウエイギアがこの2頭を交わし,粘り込みを図るケイティブレイブを残り100m付近で捕えると一気に差をつけ4馬身差で圧勝。逃げ粘ったケイティブレイブが2着。ストロングバローズとバルダッサーレの間を割ったゴールドドリームが,最内のダノンフェイスと外のバルダッサーレを斥け1馬身4分の3差で3着。バルダッサーレが半馬身差の4着でダノンフェイスがクビ差の5着。
 優勝したキョウエイギアは前走のオープン特別から連勝での大レース制覇。ただストロングバローズやケイティブレイブ相手には分が悪く,ゴールドドリームもその2頭と同じ程度の能力と思われたので,ここは入着までではないかとみていました。ストロングバローズはあまりに走らなかったので何ともいえませんが,ケイティブレイブやゴールドドリームとの比較からすると,大井の2000mという適性で上回った分の快勝ということではないでしょうか。ただ,バルダッサーレが前走とほぼ同じ時計で4着だったことを考慮すると,思われていたほど中央勢のレベルも高くはなかったという可能性もあるかと思います。父はディープスカイ。母は2006年のエンプレス杯を勝ったローレルアンジュ。青森産馬です。
                                     
 騎乗した戸崎圭太騎手はヴィクトリアマイル以来の大レース制覇。第12回以来6年ぶりのジャパンダートダービー2勝目。管理している矢作芳人調教師ドバイターフ以来の大レース制覇。国内では2012年のJBCスプリント以来。ジャパンダートダービーは初勝利。

 延長の属性の直接無限様態である運動と静止からどのように無限に多くの物体が生起してくるのか,他面からいえば,運動と静止が知性によって概念されることにより,どのようにしてその知性は無限に多くの物体を概念することになるのかということについては,僕は岩波文庫版113ページの第二部自然学②定義をヒントとして解します。この定義で,運動を一定の割合で相互に伝達するといわれている部分に注目するのです。
 ここから理解できるのは,ある特定の物体は常に一定した運動の割合でなければならないということです。この割合が変ずることがあれば,その物体はその特定の物体としては存在し得なくなるでしょう。したがって運動の割合,あるいは運動と静止の割合が,特定の物体を規定するのだと僕は解します。しかるにこの割合というのは無限に多く考えることができるでしょう。よって運動と静止が知性によって概念されるならば,その知性は運動と静止の割合を無限に多く概念することができるので,無限に多くの物体を概念することができることになります。僕はこうした想定は,スピノザが考えていた内容と,多少の異なりはあっても著しく矛盾するものではないだろうと考えています。
 特定の物体とは,特定の運動と静止の割合のことです。したがってたとえば硝石が現実的に存在するということは,硝石としての運動と静止の割合を有する物体が現実的に存在するということです。しかし,運動と静止が物体に対して本性の上で「先立つ」ということを考慮に入れたなら,ここではたぶん唯名論の観点を導入した方がより正確に理解できるでしょう。つまり僕たちが硝石という記号で表現する物体はすべて,同一の運動と静止の割合を有する物体です。いい換えれば,ある特定の運動と静止の割合を有する物体のすべてについて,僕たちはそれを硝石という記号で表現しているということです。そしてこうしたことが,硝石に限らず,僕たちが特定の記号で指示するようなすべての物体について妥当するというのが僕の見解です。現実的に存在する物体の本性は,運動と静止の割合の相違によって相互に様態的に区別されることになります。
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棋聖戦&物体論の特色

2016-07-13 19:28:53 | 将棋
 隠岐の島で指された第87期棋聖戦五番勝負第四局。
 永瀬拓矢六段の先手。矢倉の早囲いを目指したのに対して後手の羽生善治棋聖が急戦矢倉で対抗しました。
                                     
 ここはもう中盤戦。後手は跳ねた桂馬を目標に△3五歩と突きました。
 ▲同歩と取る手もあったと思いますが▲5五歩と取ったので△同銀直▲同銀△同銀で銀交換に。わざわざ呼び込んでいるような印象も受けました。
 前例はあって▲5三歩と打ったらしいのですが単に▲4五桂と跳ねて新しい将棋に。対して△3四銀と打ったのはほぼ絶対手のようです。
 ここでは▲5三歩と打って前例に戻すか,▲2四歩と打っておくかしなければならなかったようですが単に▲4六歩と突いて桂馬を守りました。ですが2筋に綾がないためにすぐに△4五銀と取られてしまい▲同歩に△6六歩と取り込まれることに。
 ここで▲6四歩と打ったのは最善だったと思われますが落ち着いて△同金と取られると▲6六銀と戻さざるを得ず,△同銀▲同金に△6五桂打と攻め込まれることに。
                                     
 第2図で後手が勝勢に近い局面になっているようです。総じていえば先手が経験不足でうまく対応できなかったという一局ではないでしょうか。
 羽生棋聖が勝って2勝2敗。第五局は来月1日です。

 スピノザの物体に関係する哲学の内容を最も丁寧に説明しているのは,僕が知る限りでは河井徳治の『哲学書概説シリーズ スピノザ『エチカ』』です。そこで述べられているように,スピノザの物体論には大きな特徴がありました。
 第二部定義一で明らかにされているように,物体は延長の属性の個物res particularisです。一方,スピノザはシュラーGeorg Hermann Schullerに宛てた書簡六十四において,運動と静止は延長の属性の直接無限様態であると説明しています。これはシュラーから送られた書簡六十三への返答で,だからスピノザもシュラーに送り返しています。ただし六十三を読めば分かるように,延長の属性の直接無限様態とは何かという質問をしたのは実際にはチルンハウスです。なのでスピノザも手紙はシュラーに送っていますが,チルンハウスの質問に答えていると意識していたでしょう。
 直接無限様態と個物では,直接無限様態の方が本性の上で「先立つ」様態でなければなりません。したがってスピノザの物体論では,運動と静止が物体に対して本性の上で先立つことになります。すなわち,まず物体が存在して,その物体が運動したり静止したりするというように考えてはいけません。まず運動と静止があって,そこから物体が発生する,他面からいえば,運動と静止がまず概念されて,その概念を基礎として物体が概念されるというように考えなければならないのです。
 このことは第一部定理三二系二からも裏付けられます。この部分は意志の自由が神の本性には属さないということの説明として与えられている部分ですが,明らかに運動と静止から無限に多くのもの,すなわち物体が発生してくるということを含意しているからです。しかしどうして運動と静止から無限に多くの物体が存在し得るのか,他面からいえば運動と静止が概念されることによって無限に多くの物体が概念され得るのかということについては,スピノザは確たる説明をしていません。チルンハウスに宛てた書簡八十三から解する限り,スピノザはそれを説明する意欲はもっていたと思われますが,この手紙の日付の約半年後には,スピノザは死んでしまったからです。
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先生の善悪&実証主義的見解

2016-07-12 19:10:04 | 哲学
 Kの自殺の後,それをKの家族に知らせる電報を打って下宿先に戻ったとき,先生が奥さんと静の涙を見ることによって自分もそれまでには感じずにいた悲しみを感じ,その悲しみが先生にとって「一滴の潤い」になったという出来事は,スピノザの哲学における善悪をどう把握すればよいのかという点のよい例になります。
                                     
 第四部定理八によれば,人間は自分が悲しんでいるということを意識する限りにおいて悪を認識するといわれています。したがって先生が自分の悲しみを認識するということは,それ自体では悪を認識したという意味にほかなりません。ところが先生は,悪を認識したのにも関わらず,それは「一滴の潤い」であったと告白しているのです。
 なぜこのようなことが生じるのかといえば,実は善も悪も絶対的なものではなく,相対的なものだからです。他面からいえば,善も悪もある事物に備わっている性質ではなくて,喜びおよび悲しみを感じる当人の身体および精神の状態であるからです。このことはたとえば第四部定理六八から明らかです。そこでは自由な人は悪だけを認識しないとはいわれず,善も悪も認識しないといわれているからです。すなわち悪の認識なしに善の認識はあり得ず,善の認識なしに悪の認識はあり得ないのです。
 ある人間が悲しみAを感じているときに,別の悲しみBによってAの悲しみから逃れるということは,第四部定理七から生じ得ます。このときBの悲しみがAの悲しみよりも弱い悲しみであるならば,その人間はAを悪と認識する限りでBを善と認識するでしょう。先生はそれ以前に第三部諸感情の定義一三不安metusおよび第三部定理一一備考の憂鬱という悲しみを感じていました。静や奥さんへの感情の模倣affectum imitatioによる悲しみは,それらの悲しみよりは弱い悲しみだったのです。だから先生はそれを「一滴の潤い」と感じることができたのです。

 『スピノザ哲学研究』には,ロバート・ボイルRobert Boyleと論争していた時点でのスピノザは合理主義者であったけれども,後には実証主義者になった,あるいは実証主義的見解を取り入れるようになったという主旨の記述があります。ただし工藤はそれがボイルによる影響であったかどうかは確定できないとしています。
 もしも哲学的方法論という観点からいうなら,この見解は受け入れられません。すでにみたように『エチカ』においてもこの点における合理主義的観点は保持されているのであって,したがって,たとえば共通概念notiones communesに基づいて何かを推論して得られた結果について,それを実証するということがスピノザにとって無意味だし不要であったということは,スピノザが死ぬまで保持していた見解であると僕は考えるからです。確かに共通概念というのは『エチカ』において導入されているのであり,『知性改善論Tractatus de Intellectus Emendatione』ではその片鱗も見られないということはでき,スピノザの合理主義的見解の内容に関しては変化があったかもしれません。ですがそれは成熟とでもいうべきもので,方法論に限定するならば,むしろより合理主義者になっていったと考えるのが妥当だと思います。ただし,実証主義という考え方を理解するようになった,いい換えればそういう立場のことを尊重することもできるようになったという可能性については僕は否定しません。
 一方,硝石の本性に関するボイルとスピノザとの間で交わされた論争の方に重点を置くなら,スピノザが合理主義的立場から実証主義的見解も受け入れるようになったということについて,僕は両義的に解します。『エチカ』の第二部で展開されている自然学の,とくに物体のあり方に関係する部分については,ボイルと論争していた当時のスピノザには,まだ確たる見解がなかった,少なくとも『エチカ』にみられるような物体のあり方と同じようには理解していなかった可能性が大いにあり得ると僕にも思えるからです。
 この変化を合理主義から実証主義への変化と断定していいかは僕には疑問です。けれどもここから述べるように,そのように表現することが著しく非妥当的であるとまではいえないと思うのです。
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柳澤の解釈&スピノザの誤解

2016-07-11 18:57:06 | NOAH
 どういう存在をスターと表現するべきであるのかということは,僕自身が固執していることなのであって,柳澤と僕との間に見解の相違があったとしても,『1964年のジャイアント馬場』で語られている内容に対して大きな意味を有するものではありません。ですがこの著書の中で柳澤が施している解釈のうちには,著書全体を覆っている論述に対して否定的であるとみなさなければならない解釈が含まれています。これは柳澤にとっても問題ですが,僕自身もこの本については高くその内容を評価しますので,とても重要な問題です。なのでこのことは何回かに分けて詳しく書いていくことにします。そこでまず,僕が何を最大の目的としているのかということを説明しましょう。
                                 
 僕はこれから,『1964年のジャイアント馬場』の中で記述されている柳澤の解釈に,部分的に誤謬が含まれているということを指摘します。ですが柳澤の誤謬を明らかにすることは僕にとってはそれ自体としての目的ではありません。柳澤はプロレスを純粋スポーツとはみなさず,筋書きのあるドラマを含む競技とみます。僕はそれには賛同します。ところが僕が誤謬だと指摘しようとしている柳澤の解釈が,誤謬ではなく真理であるとすると,柳澤が把握するプロレスの競技性が覆ってしまうと僕は考えます。つまり僕の目的は,柳澤がみるプロレスの競技性に関しては,それが合理的で正当性のある解釈であるということを証明することです。いい換えれば,柳澤による部分的な解釈を否定することによって,むしろ全体の解釈を肯定しようとするのです。おそらくかなり長くなりますので,僕の意図がそういう点にあるということはずっと忘れないでください。
 当該の解釈が含まれているのは,1990年6月8日に日本武道館で行われた,三沢と鶴田の試合です。

 スピノザは確実な認識の基礎となる神の観念を原因として帰結するすべての観念は同様に確実であると解していました。いい換えれば真であり十全であると解していました。そしてそうした観念の内的特徴denominatio intrinsecaに,真理の「しるしsignum」があると解していました。ですからスピノザにとって,真空すなわち延長の様態が排除された空間が実在することは不可能であるということは,ロバート・ボイルRobert Boyleがみなしたように仮説ではあり得ず,真理そのものであったのです。同じようにアトムすなわちそれ以上は分割することができない空間が実在することは不可能であるということも,真理そのものでした。なのでスピノザにとっては,ボイルがそれらのことを実験によって検証しようとすること自体が無意味であった,あるいは不要だったことになります。
 さらにスピノザはこのとき,ボイルが実証主義者であり,そのために観念の内的特徴には真理の「しるし」を認めないということを,十分に尊重できていなかったと僕は考えています。これらの事情が重なったために,工藤がいっている通り,スピノザはボイルの実験の意味,なかんずくボイル自身にとっての意味というのを正しく理解することができなかったのだと僕は思います。そしてそれはたぶん,単にボイルにとっての意味をスピノザは見逃したというだけでなく,その意味を取り違えて解釈することになったのだと思われます。
 『スピノザ哲学研究』では,スピノザはボイルによる硝石の実験を,硝石の本性に関わる実験であると理解したとされています。ボイルにとってそれは,アトムが実在し得ないということの検証として有意味だったのだとすれば,これはスピノザの誤解です。そして実際にこの誤解があったと僕も考えます。というのも,スピノザとボイルの間での論争では,明らかに硝石の本性に関係すると考えられる事柄もその内容に含まれているからです。そしてこの点においては,一流の科学者であったボイルの方が,スピノザよりも硝石の本性をよく理解していたといって間違いないでしょう。ただこれは哲学から外れますので,ここでは詳しく論じません。スピノザに誤解があったというだけで十分です。
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阿波おどり杯争覇戦&不変の見解

2016-07-10 19:08:44 | 競輪
 被災地支援競輪として実施された小松島記念の決勝。並びは小松崎‐岡部‐有坂の北日本,平原‐神山の関東に高木,松岡‐小倉の西国で市田は単騎。
 平原も出ていったのですが内から小倉が前に出て松岡の前受けに。3番手に平原,6番手に市田,7番手から小松崎の周回に。残り3周のバックの出口から小松崎が上昇開始。ホームで松岡を叩いて前に。平原が続いて4番手。引いた松岡が7番手で市田が最後尾の一列棒状に。このまま小松崎があまり緩めずしかし本格的には駆けずという走行で打鐘。ここから踏み込んで小松崎の抑え先行のようなレースに。最後尾の市田が内から追い上げ高木の後ろに入り,松岡が8番手の一列棒状に変化。バックから平原が発進。あっという間に捲り切って前に。岡部が高木を大きく牽制したため,神山にはだれも続けずふたりの優勝争い。ただ少し詰め寄ったというだけで平原の優勝。マークの神山が半車身差の2着で関東のワンツー。岡部の後ろから開いたところを伸びた有坂が5車身差で3着。
                                     
 優勝した埼玉の平原康多選手は昨年の小松島記念以来の記念競輪優勝で通算15勝目。当地は2013年にも優勝していて連覇で3勝目。昨年は競走得点はトップだったのですが,後半は苦しんでいた印象で,今年に入ってからもそれが続いているという感じでした。ただここはさすがにメンバー的に有利。小松崎がうまく駆けたので松岡は何もできず,多少は脚を使ったかもしれませんが一列棒状の4番手を確保できましたから,力量的に順当な優勝といえるでしょう。もっと強いメンバーを相手としたときに優勝するのでないと,このクラスの選手では復活とはいい難いのではないかと思えます。

 僕はスピノザにとって重要であったのは,人が神Deusが存在するということを知るということよりも,人が神を十全に認識することであったと考えています。このことはすでに何度かこのブログの中でいっています。その理由の最も大きな点が,神の十全な認識こそが確実な認識の基礎になるという点にあるのです。そして神の十全な認識という観点からも,スピノザはデカルトによる神の定義Definitio,いい換えればデカルト自身が有していたと推測される神の観念に同意することはありませんでした。デカルトは神を最高に完全と定義しています。確かに神は最高に完全なのですが,スピノザからすればそれは神の特質proprietasです。神の本性essentiaは絶対に無限なのであって,だから神はそのように定義されなければならないのです。
 スピノザが神からの人格の剥奪を強調するのも同様の理由によっていると考えられるでしょう。いわゆる人格神なるものは,人間による表象imaginatioにすぎないのであって,十全な認識とは程遠いものです。もっといえばそれは人間だけが表象し得るような神であるといえるでしょう。そういう観念を認識の基礎としては,確実な事柄は何も帰結してきません。このゆえにスピノザは,最高に完全と定義される神を否定するのよりも強い口調で神から人格は排除されなければならないと主張するのです。
 絶対に無限と定義される神の観念が確実な認識の基礎にならなければならないということは,すでに『知性改善論Tractatus de Intellectus Emendatione』にみられる考え方といえます。実際に『知性改善論』が目指しているのは,確実な認識の基礎としての神の認識に至るための方法論以外の何ものでもないといえるからです。スピノザがいつからこのような考え方を有するに至ったのかを確定するのは難しいのですが,少なくともレインスブルフRijnsburgで初めてオルデンブルクHeinrich Ordenburgに会ったときには,こういう考え方を有していたと結論して間違いないと考えます。ですからこのことは,思想家ないしは哲学者としてのスピノザの,初期から晩年に至るまで変ずることがなかった見解であると僕は考えます。したがってロバート・ボイルRobert Boyleと論争をしていたときのスピノザは,すでにこの見解の下にあったといえるでしょう。
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神聖な恋&確実な認識の基礎

2016-07-09 19:16:35 | 歌・小説
 先生は神聖さと性欲を対峙させたうえで,自身のお嬢さんすなわちへの恋は,神聖さの方の究極地点にあったという主旨の説明をしています。この説明において注意しなければならないのは,先生がその神聖さに対して性欲を対峙させることができたということは,先生はそれまで,というかこれは遺書で死の間際の時点で再構成して書いたものですから,静に恋をした以降のことを含めることも可能ですが,神聖さよりも性欲が優った恋というものを確実に経験していたであろうということです。性欲の方の究極点を先生が感じていたかどうかは分かりませんが,先生は性欲を知らないような人間ではなかったということは,確実であると僕は解します。
                                     
 神聖な恋というのは,寺の次男であったKの恋に相応しい形容であると僕は解します。実際にKもまた静に恋をしていました。そのKの恋心が,神聖なものであったか,実は性欲の強いものであったのかは,K自身が何も言っていない,あるいは先生はそれを聞かされていないようですから何ともいえません。ただ,僕が確実にそうであろうと思うのは,先生はKの静に対する恋は,神聖さに満ち溢れたものであると表象していたであろうということです。無理にKを同居させたことは,先生にとって成功と失敗の両方を齎したと僕は解しますが,こと静への恋という観点からは,先生はそれを成功だったとみなしているようには思えないからです。
 先生が自身の静への恋を神聖さの極致であるというのは,たぶん先生が表象したKの静に対する恋を,自身も真似たからだと僕は思います。要するに感情の模倣affectum imitatioに類することが,先生の静への恋の場合にも生じていたのだと僕は思うのです。Kは先生にとって恋のライバルでしたし,Kに対する先生の優越感があったのも事実でしょう。ですがKを尊敬していたのもまた事実であって,そのKの恋は,先生にとって模倣すべき恋であったと僕は考えます。

 スピノザは「我思うゆえに我あり」という命題が確実な認識の基礎になるということを認めません。というか,方法論的懐疑という営み自体が不可能な作業であると考えるので,そこから導かれている事柄の正当性を認めないといった方が正しいでしょう。このことはスピノザの哲学において真理の「しるしsignum」に該当するのが第二部定理四三であることから明らかでしょう。デカルトはさしあたって確実であると思えたすべての事柄を疑ったのですが,スピノザはある人間の知性のうちに真の観念がある場合は,その真理性をその知性が疑うということ自体が不可能であると主張しているからです。
 このスピノザの主張は,ことばと観念は異なるということを知っていないと不思議に思えるかもしれません。ある真理を疑うということは,ことばの上では可能なこと,いい換えれば文法的には成立する事柄であっても,思惟の営為としては不可能であるというのがスピノザが主張していることの意味になります。僕はこの点ではスピノザがいっていることが正しいのであって,方法論的懐疑というのは不可能な作業であり,それはデカルトのある思い込みの上に成立したものであると解します。僕の精神の現実的有の一部を構成する真の観念については,それを虚偽であると考えることは不可能なことであるということを,僕はリアルなものとして体験するからです。
 ではスピノザの哲学において,確実な認識の基礎となり得る観念があるとしたら,それはどのような観念であるというべきなのでしょうか。僕はこのことを,すでに平行論を含意しているとも解釈できる第一部公理四の意味のうちに見出します。すなわち結果の観念というのは原因の観念を含んでいるのでなければなりません。他面からいえば結果の観念は原因の観念に依存します。したがってすべての結果に対して原因となり得るようなもの,いい換えればそれにとっては先行する原因が存在しないような原因があるならば,そのものの観念が確実な認識の基礎になり得る筈です。しかるに第一部定理一六系三では,神は絶対に第一の原因であるとされています。つまり神の観念が確実な認識の基礎となるのです。
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第三部定理一一備考&我思うゆえに我あり

2016-07-08 19:12:10 | 哲学
 Kの自殺の後,Kの実家に電報を入れて家に戻ると,Kの枕元で奥さんとお嬢さんが泣いていました。先生はそれで初めてKの死を悲しむことができました。そしてこの悲しさが苦痛と恐怖に握り締められていた自分の心に「一滴の潤い」を与えてくれたのだと先生は説明しています。
 ここで先生がいっている恐怖というのはラテン語ではmetusであり,このブログでは不安と訳されています。第三部諸感情の定義一三で示されている感情affectusです。先生はKの死が自分の身に対してよからぬことを齎すのではないかと想像していたふしがあり,こういう感情が発生していたのは明白でしょう。一方,苦痛dolorというのは普通は感情とは解されないでしょうが,『エチカ』では感情のひとつとされています。ただし諸感情の定義には含まれていません。第三部定理一一備考で説明されているだけです。
                                     
 「私は精神と身体とに同時に関係する喜びの感情を快感あるいは快活と呼び,これに反して同様な関係における悲しみの感情を苦痛あるいは憂鬱と呼ぶ。しかし注意しなければならないのは,快感および苦痛ということが人間について言われるのは,その人間のある部分が他の部分より多く刺激されている場合であり,これに反して快活および憂鬱ということが言われるのは,その人間のすべての部分が一様に刺激されている場合であるということである」。
 これは「解するintelligere」という類の定義Definitioなので,定義の妥当性を問うことは無意味です。むしろ『エチカ』での約束事だと理解してください。
 スピノザが苦痛とか快感titillatioを感情と認定することができたのは,第三部定義三に依拠したからです。すなわち感情とは,身体corpusの状態であると同時にその状態の観念idea,いい換えれば精神mensの状態でもあるからです。そしてこの定義に従えば,先生が有していた感情は,苦痛であるというより,憂鬱melancholiaであったと理解するのがよいように思います。もちろんそれは『エチカ』の定義に倣うならという意味であり,先生が間違ったことをいったということではありません。

 デカルトRené Descartesは確実な認識cognitioが真理veritasの「しるしsignum」になるので,とにかく確実な認識の基礎となる観念ideaを探し求めました。そのために,さしあたって確実であると思えるようなすべての認識について,それは確実ではないのではないか,いい換えれば真の観念idea veraではないのではないかと疑うことにしました。これが有名な方法論的懐疑doute méthodiqueといわれる営みです。そしてこの営為を継続しているうちにデカルトは,そのようにすべて疑おうとしている自分自身の知性intellectusが存在しているということは確実であるということを発見しました。俗に「我思うゆえに我ありcogito, ergo sum」といわれている発見です。そこでデカルトはこれを確実な認識の基礎として,多くの事柄を論証していったのです。
 「我思うゆえに我あり」という命題は,ラテン語ではcogito, ergo sumです。ですがここで勘違いしてはいけないのは,デカルトはこの命題を三段論法から導き出したというわけではないという点です。すなわち,思うということはあるということだという命題があり,我は思っているから,我はあるというような論証Demonstratioをデカルトはしているのではありません。それは上述部分でデカルトがどのようにこの命題に至ったのかということの僕の説明から明らかだと思います。デカルトは思っている,思惟している自分が存在しているということを確実視したのであり,思惟するということは存在するということだという前提条件があったのではありません。
 スピノザはこの点を間違えませんでした。『デカルトの哲学原理Renati des Cartes principiorum philosophiae pars Ⅰ,et Ⅱ, more geometrico demonstratae』が優れたデカルト哲学の解説書である理由のひとつがここにあります。スピノザはこの著書の第一部の緒論,すなわちこの著書の最初の部の最初の章で,デカルトがいったcogito, ergo sumという命題は,ego sum cogitansという命題と同一の意味の単一命題であると説明しています。これは「我思いつつある」とでも訳される命題になります。「我思うゆえに我あり」が三段論法ではないということはデカルト自身がいっていることですが,これを「我思いつつある」という意味に置き換えられると指摘したのは,スピノザが最初だったようです。
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農林水産大臣賞典スパーキングレディーカップ&推論の有効性

2016-07-07 19:26:04 | 地方競馬
 ホクトベガメモリアルの昨晩の第20回スパーキングレディーカップ
                                    
 互角の発馬になったブルーチッパーが前に。ホワイトフーガが押さえながら2番手。3番手にヴィータアレグリアとタイニーダンサー。1コーナーに入るあたりでこの後ろは5馬身くらいの差がつきました。最初の800mは49秒8のミドルペース。
 向正面に入るとホワイトフーガがブルーチッパーに並んで2頭で逃げる形に。やはり3番手で併走していたヴィータアレグリアとタイニーダンサーに3馬身くらいの差をつけました。3コーナーを回ったところでホワイトフーガが単独で前に。交わされたブルーチッパーも3馬身くらいは離されましたが2番手からまた前を追い,2馬身くらいで3番手併走から先に動いたヴィータアレグリア。さらに2馬身くらいでタイニーダンサーという隊列に。ホワイトフーガは最後は止まり加減になったので再びブルーチッパーとの差は詰まりましたが,動いたときの貯金が大きく難なく優勝。2馬身差の2着にブルーチッパー。一番外に出たタイニーダンサーがヴィータアレグリアを捕まえて6馬身差の3着。ヴィータアレグリアはさらに3馬身離されて4着。向正面で離れた5番手にいたクラカルメンがハナ差まで迫って5着。上位4頭が抜けていると思われただけにこの差なら健闘でしょう。
 優勝したホワイトフーガは1月のTCK女王盃以来の重賞4勝目。ここは上位4頭がそれぞれ一長一短。この馬の場合ですと能力は明らかに最上位ですが斤量は不利でした。結果的にいえばそれくらいは相殺できるだけの能力差があったようです。斤量が不利にならないような瞬発力の勝負にしなかったのも奏功したといえるでしょう。3歳前半よりは折り合えるようになっているものの,今日のレースぶりですと距離が伸びたときに一抹の不安を感じないでもありませんでした。父はクロフネ。母の父はフジキセキ。祖母がドバイソプラノ
 騎乗した蛯名正義騎手は第3回,16回を制していて4年ぶりのスパーキングレディーカップ3勝目。管理している高木登調教師はスパーキングレディーカップ初勝利。

 『エチカ』で推論とは第二種の認識cognitio secundi generisによる事物の認識のことを意味します。したがって推論の基礎になるのは共通概念notiones communesです。これは思惟の様態としては個別性を示す観念ideaではなく一般性を意味する概念notioですが,第二部定理三八および第二部定理三九から分かるように十全な認識です。すなわち真の認識です。
 第二部定理四〇は,人間の精神のうちにある十全な観念を十全な原因として生じるいかなる観念も十全な観念であることを示しています。したがって,十全である共通概念を十全な原因として発生するすべての観念は十全である,すなわち真であることになります。ですから僕たちが共通概念を基礎として何かを認識するということがあれば,それはすべて十全な認識であることになります。よって共通概念を基礎とした推論に依拠する限り,僕たちは事物を十全に認識する,真に認識するということになります。
 第二部定理四三では,僕たちは事物を真に認識しさえすれば,自らが事物を真に認識しているということを同時に知るので,その真理性については疑うことができないとされています。これがスピノザの哲学における真理の「しるしsignum」を意味します。要するにそれはこうした認識作用そのものの内的特徴denominatio intrinsecaから得られるのであり,認識する事物の外的特徴denominatio extrinsecaには依拠しないのです。つまり僕たちは共通概念に基づく推論をする限り,いい換えれば第二種の認識で物事を認識していく限り,事物を真に認識するし,それと同時に真理の「しるし」を得ることもできることになるのです。
 スピノザの哲学においてこのことは,Xの観念とXの観念の観念は同一個体であるという,ふたつの平行論のうちの思惟属性内の平行論から帰結しています。デカルトはこの種の平行論者ではありませんから,僕たちにとっての真理の「しるし」が確実な認識に依拠するということを,これと同じ仕方で導き出すことはできないかもしれません。ただ,それが確実な認識のうちにあるのであり,認識される事物のあり方には依拠しないという点ではスピノザと同じ立場です。ただし,確実な認識の基礎がどういう観念であるかという点では相違があります。
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王位戦&偶有性

2016-07-06 19:38:07 | 将棋
 犬山市で指された第57期王位戦七番勝負第一局。対戦成績は羽生善治王位が28勝,木村一基八段が11勝で持将棋が1局,千日手が1局。
 振駒で羽生王位が先手に。木村八段は矢倉なら受ける気があったようですが先手が角換りを志向したので横歩取りにしました。後手としてはあまり本意ではなかったと思うのですが,先手の指し方に対応する形で急に激しい戦いになりました。
                                     
 後手が角を打って,先手が香取りを防いだ局面。ここから△8六歩▲同歩にいきなり△8八角成と切り▲同金に△8六飛と出ました。
 ▲8七歩と受けるのは仕方なかったでしょう。後手は△2六飛と回りました。先手は2七に歩を打てませんので,それを見越しての強襲だったものと思います。飛車成を受ける手はいくつか考えられますが▲2七桂が選択されました。展開によっては3五に跳ねて活用できるという大局観だったと推測します。
 △7六飛▲7七銀△同桂成▲同金△4四銀▲同飛△同歩▲7六金△8八飛まで先手は変化の余地はなかったよう。駒を使わず▲4九王と逃げるのも勝負するためには致し方なかったのだろうと思われます。
 △7六歩と金を取り返されたところで▲2一飛と反撃に転じました。ここで43分考えて△1二角と打ったのが決め手だったのでしょうか。先手も25分考えましたので▲1一飛成は仕方なかったと思われますが△6七角成が逃げながらの王手。▲3九王に△2二銀と受けました。
                                     
 第2図で▲3四角と打てれば先手が有望に思えますがそれが不可能。ここは後手の方が勝っているようです。
 木村八段が先勝。第二局は27日と28日です。

 スピノザはオルデンブルクHeinrich Ordenburgに宛てた書簡十三の中で,ロバート・ボイルRobert Boyleは実在的な偶有性は存在しないと主張しているといっています。ここでいう偶有性というのは,あるものがもっているような性質のことです。硝石に関していえば,たとえば硝石の色とか硝石の匂いといったものがそれに該当します。こうした偶有性が存在しないというのは,たとえば硝石を離れて硝石の色は存在し得ないし,硝石と無関係に硝石の匂いが存在するということもあり得ないという意味です。
 実際にボイルはそう考えているのであって,このスピノザの解釈は誤りではないと僕は思います。ですがスピノザは,このことを根拠として,ボイルが真空すなわち物体なき空間の存在を仮説とみなすのはおかしいと主張します。確かに論理的にはそうなのですが,それはボイルにとって真空が存在しないということが真理である「しるしsignum」にはなり得ないのです。確実な認識を基礎とした推論という観念の内的特徴denominatio intrinsecaのうちに真理の「しるし」があるというようには,実証主義者のボイルは判断しないからです。
 ところがこのときのスピノザは,硝石の色や匂いが硝石とは別に実在しないと考えているボイルは,当然ながら真空の不可能性も肯定している,あるいは肯定しなければならないと考えていました。僕がスピノザは後のアルベルトステノに対してはその立場を尊重することができたけれども,ボイルに対してはそれができなかったと考える根拠はここにあるのです。
 相手の立場を十分に認識することができなかったから,スピノザはボイルが行った硝石に関する実験のボイルにとっての意義を見逃すことになったと工藤は解しています。これはたぶん正しい見解であると僕は思います。しかしこの点に関する詳しい説明は後回しにしましょう。
 真理の「しるし」が観念の内的特徴に存するというスピノザの立場は,すでにボイルとこの論争を行っていた時代から晩年に至るまで,変わることなく一貫していたといえます。これはアルベルトに対するスピノザの返答からも明らかですが,『エチカ』の中にもスピノザのこういった考え方が明確に表明されているといえるからです。
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不死鳥杯&立場の尊重

2016-07-05 19:04:49 | 競輪
 被災地支援競輪として実施された福井記念の決勝。並びは新田に牛山,石井‐渡辺‐内藤の南関東,松岡‐浅井‐林の中部で稲垣は単騎。
 牛山がスタートを取って新田の前受け。3番手に松岡,6番手に石井,最後尾に稲垣で周回。残り2周のホームの手前から石井が上昇。稲垣は追いませんでした。石井はホームで新田を叩いて内藤までが前に。その後から松岡が上昇。バックまで新田に蓋をしてから石井を叩いて打鐘。このラインを追った稲垣と石井で4番手を取り合いましたが,ホームで稲垣が確保。石井が5番手,新田が8番手の一列棒状に。新田が来る前に稲垣がバックで発進。浅井がうまく牽制しながら併せていくと,稲垣はコーナーでスピードダウン。浅井はそのまま踏んで優勝。大外を捲り追い込んだ新田が半車身差で2着。逃げ粘った松岡が半車身差の3着。
 優勝した三重の浅井康太選手は5月の平塚記念以来の記念競輪19勝目。福井記念は初優勝。現状の力では新田ですが,ここは松岡がいましたので,対等以上に戦えるだろうと思えました。先に捲ってきたのは新田ではなく稲垣でしたが,巧みに併せて3着とはいえ逃げた松岡も残しましたので,これ以上は望めないような走行だったのではないでしょうか。新田は少しだけ前を見過ぎたようなきらいはあったと思います。松岡の先行は予期していたでしょうが,石井と稲垣で4番手を取り合うのは想定外だったかもしれません。

 たぶんスピノザはそのことを意識できていなかったと思うのですが,方法論の差異に関してスピノザとロバート・ボイルRobert Boyleの間で争点になっているのは,真理の「しるしsignum」とは何かということです。実証主義者であるボイルは,それは実験による検証のうちにあるとみなしてました。いい換えれば実験の対象となる物体のうちに,外的特徴denominatio extrinsecaとして存在すると解していたのです。ところがデカルトやスピノザにとってはそうでなく,確実な認識のうちに,あるいは確実な認識を基礎として帰結してくる観念のうちにあるものでした。いい換えればそれは観念の内的特徴denominatio intrinsecaに存するものであったのです。
                                     
 スピノザはもっと後に,アルベルトステノから手紙を送られました。書簡六十七と書簡六十七の二です。ここでも真理の「しるし」が何かがひとつの争点になっています。スピノザはステノの手紙は無視しましたが,アルベルトに対しては知人たちから請われて返事を送りました。その書簡七十六の中には,いくらカトリックの歴史や教会の信徒のうちに真理があると主張しても,それは真理が真理であることの確実な証にはならないという意味のことが書かれています。おそらくステノに返信を書く必要が生じた場合にも,スピノザはこうした自身の見解を説明したことでしょう。このときにスピノザがアルベルトおよびステノに反論したのと同じような構図で,スピノザはずっと前にボイルに対して反論していたのです。
 ただし,このふたつの実例の間には,大きな差異があったと僕は解します。スピノザはアルベルトやステノに対しては,かれらがローマカトリックの信者であるということを念頭に,ふたりがカトリック教会や信者の外的特徴を真理の「しるし」とみなす理由もよく分かっていたと思うのです。ところがボイルに対しては,ボイルが実証主義者であるから外的特徴に「しるし」を求める,あるいは現に求めているということを理解できていなかったように僕は思います。他面からいえば,スピノザはアルベルトに反論するときには,アルベルトやステノの立場を尊重できていたと思うのですが,ボイルに対してはそのようには尊重できていなかったと思うのです。
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スター&実証主義と合理主義

2016-07-04 19:01:41 | NOAH
 『1964年のジャイアント馬場』には,僕には同意できない解釈がいくつか含まれています。これから示すのものは人によってはどうでもいいと思われるでしょうし,柳澤の論旨にもいっかな影響を与えないのですが,僕はこだわっておきたい点です。
                                 
 馬場はプロ野球界からプロレス界へと身を投じました。柳澤の解釈では,これは馬場はスターにはなれないと悟ったから,高額の収入を得られる世界を選択したという主旨になっています。後に馬場はアメリカに修行に出て莫大なファイトマネーを得ることになりますから,その点では柳澤が解した馬場の意図は達成されたことになります。
 柳澤がこのような解釈をするのは理由があります。それはプロ野球選手が純粋アスリートであるのに対して,プロレスラーは純粋アスリートではないからです。僕はその点に関しては柳澤の主張に同意します。ですが柳澤のような解釈をすると,スターたり得るのは純粋アスリートだけであって,そうでない者はスターではあり得ないということになります。僕はこの点には同意できません。単純にいえば,王貞治がスターであるというのと同じ意味において,高倉健はスターであると僕はみなします。これと同じ意味において馬場もスターであると僕は解するからです。
 馬場は故郷でかなりの期待を背負ってプロ野球界に入りました。しかしプロ野球の世界ではその期待に沿うことができませんでした。つまりプロ野球界でスターになることはできませんでした。ですがそれだけの期待を背負って上京した馬場は,そのまま新潟に帰るわけにはいきませんでした。そこで自分がスターになり得る世界を東京で探しました。それがプロレス界であったというように僕は解します。
 僕は馬場が純粋アスリートとして一流だったとはいいません。ですがスターであったことは間違いないと解するのです。

 実証主義者であったロバート・ボイルRobert Boyleに対峙させていうなら,スピノザは合理主義者でした。スピノザはデカルトも合理主義者であると解していました。実際にこの意味においてはデカルトも合理主義者であったでしょう。そしてこの意味におけるデカルトの合理主義哲学が存在しなかったら,あるいはスピノザがそれを知ることがなかったら,スピノザの哲学は現にあるようにはなかっただろうと僕は考えています。
 すでに示したように,デカルトもスピノザも,アトムすなわちそれ以上は分割することができない物体は存在し得ないということを肯定していました。また真空,すなわち延長の属性に属するものが排除された空間が存在し得ないということも肯定していました。この点では両者とボイルの間に何の差異もないというのが僕の見解です。ただ,デカルトとスピノザは,それがボイルが主張しているような仮説ではなく,公理的性格を有するような真理であると解していたのです。いや,正確にいうなら,アトムの不在に関しては公理的性格を有する真理とは考えていなかったかもしれません。ですが真空の不在に関してはそうした真理であると考えていました。そしてボイルは,もしも真空が不在であれば,そこから演繹的にアトムが存在し得ないことも帰結するということは肯定していたので,そのボイルの立場からみるなら,アトムの不在はデカルトやスピノザにとっては公理的性格を有するような真理と把握されているというようにみえたと思われます。
 だからボイルとスピノザが哲学的方法論について議論する際に,ボイルはデカルトの立場ではなかったけれども,スピノザはデカルトの立場にあったという工藤の解釈は正しいものと僕は考えます。そしてこの方法論の差異というのは,実証主義的なボイルと合理主義的なデカルトおよびスピノザの間にあるといえるでしょう。そしてなぜ実証主義的な立場を,科学者としてのボイルの立場とみなし,ここに科学と哲学の間の差異を認めるのではなく,双方を哲学的方法論に帰して,その方法論の差異と僕がみなすのかということは,デカルトおよびスピノザ的合理主義の立場の見解から明らかにできます。
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不自然な暴力&実証主義

2016-07-03 19:24:22 | 歌・小説
 Kは自殺したとは言わずに変死したといった奥さんの「意図的ないい換え」は,Kの死に方の私の認識に対して大きな影響を与えたと僕は解します。僕がこの読解の根拠とした上二十四のテクストは,さらに別の意味を有していると思います。
                                     
 このときの先生と私の会話の中で,不自然な暴力による死といういい方を用いたのは先生でした。私はその意味が飲み込めずに,不自然な暴力とは具体的には何かと聞きます。それに対して先生は,自殺する人間は不自然な暴力を用いると答えます。私はKが自殺したとは認識しなかったので,このときの会話からはその時点では浅い印象しか受けなかったのです。一方,先生はKの自殺の第一発見者だったわけですから,Kのことを念頭にこのようないい方をしたと解するのが当然でしょう。
 ところがこの後で,自殺が不自然な暴力なら殺されるのも不自然な暴力だという意味のことを私が言うと,先生は殺される方はまったく考えていなかったけれども,確かにそれも不自然な暴力による死であるという主旨の答えをします。先生はKの自殺を念頭にこのように言ったということの根拠になる部分ですが,同時にこれは,単にKの自殺という固有の自殺だけでなく,一般に先生は自殺ということについてはよく考えていたけれども,殺されるということは考えていなかったという意味も有しているのではないかと僕には思えるのです。つまり先生はこの会話の時点では,将来の自分の自殺についても,漠然とではあれ考えていたのではないでしょうか。
 少なくとも私は先生のことばの意味をそのように受け取った筈です。だから私は会話があった時点では浅い印象しか残さなかったこの逸話を,後で手記を書くにあたって記述したと考えるのが妥当だからです。

 なぜ真空,延長の様態が排除された空間は存在し得ないということがロバート・ボイルRobert Boyleにとっては自明ではなかったのかといえば,ボイルは科学者として実証主義の立場を採用していたからです。ですからボイルにとっては真空の存在の不可能性は,何らかの実験によって確証されないのなら,単なる仮説にすぎないのであり,自明の真理ではありませんでした。同様にアトム,それ以上は分割することができない物体の存在の不可能性が,真空の不在からしか演繹的に証明できないのであれば,それもその時点では仮説にすぎないのであり,実験による検証という訴訟過程を経なければ真理として認めることができなかったのです。ボイルによる硝石の実験というのは,このうち後者,すなわちアトムは存在しないということの実証実験という意味を有していたというように僕は把握しています。
 これは僕の読解が悪いからなのかもしれませんが,『スピノザ哲学研究』では,真空が存在することは不可能であるということは,ボイルにとっては実証できないことであったと解せるような記述があります。ですが工藤自身が指摘しているように,オルデンブルクHeinrich Ordenburgからスピノザに宛てられた書簡十四の中には,明らかにボイルが真空の不在の実証を意図して行ったと思われる実験に関する記述があります。なので僕は当該部分の工藤の記述には矛盾を感じないでもありません。しかしたとえ僕の読解が正しいのだとしても,このこと自体は大した問題ではありません。ボイルが実証主義の立場であったこと,すなわち真空の不在は自明ではなくて実証されなければならないと考えていたこと,また仮にそれが実証され,そこから演繹的にアトムの不在が帰結するのだとしても,それだけでは不十分なのであって,アトムの不在もまた実証されなければならないと考えていたということは間違いないからです。
 これを僕は科学者であるボイルと哲学者であるスピノザの相違,すなわち科学と哲学の相違には帰しません。ボイルが主張しているのが科学から哲学を排除することだということは否定しませんが,僕はそのこと自体がひとつの哲学,とくに方法論であるとみなすからです。
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棋聖戦&アトムと真空

2016-07-02 19:54:14 | 将棋
 沼津倶楽部で指された第87期棋聖戦五番勝負第三局。
 羽生善治棋聖の先手で永瀬拓矢六段の横歩取り。この戦型にしては中盤の長い将棋で,終盤に差し掛かろうかというところで後手に変わった手順が出ました。
                                     
 9三で香車の交換が行われた局面。ここから▲9四歩△9五飛▲9三歩成△同飛▲3五桂△同銀▲同歩△9九飛成が実戦の手順。
 この手順中△9三同飛のところで△9八飛成とすればさすがに先手は金取りを受けざるを得なかった筈で,それから△9三龍と引けば得をしているように思えます。しかし後手は先手に受けさせずに後で9九に飛車を成った方がよいと判断したのでしょう。これはなかなかの好判断で,最終的な勝敗に影響したのではないかと思います。
 少し進んで第2図に。
                                     
 第1図で5六にいた角が出た局面。ここで後手からの交換を拒否して△5一桂と受けました。これは部分的には自玉を狭める手で,まさか後で効果を発揮することになるとは思いませんでした。
 先手は▲9三歩と逆側から攻めていくことに。セオリー通りではありますが楽観があったかもしれません。後手は△6四香と催促。こうされれば▲9二角成は止むを得ないでしょう。
 △7六角と歩を取ったので▲7四歩が発生。しかし△6六香で先手も危ない形に。そこで▲6五桂と跳ねて7三の地点を狙ったのですが△4三桂が絶好手になりました。
                                     
 これが玉の逃げ道を広げつつ場合によっては△5五桂の活用も見せた手。これで後手玉が容易には寄らなくなり,後手が勝ちの局面となっているようです。永瀬六段らしい勝ち方に思えました。
 永瀬六段が勝って2勝1敗。第四局は13日です。

 ロバート・ボイルRobert Boyle自身が意図していたかしていなかったかは別に,自身の哲学的方法に関する見解を明らかに表明していると僕がみるのは,オルデンブルクHeinrich Ordenburgからスピノザに宛てられた書簡十一の中にあります。
 『デカルトの哲学原理Renati des Cartes principiorum philosophiae pars Ⅰ,et Ⅱ, more geometrico demonstratae』の第二部定理五に,アトムは存在しないというのがあります。ここでいうアトムは,それ以上は分割することが不可能である延長の様態すなわち物体という意味です。スピノザはデカルトがそのように解しているとみなしていて,その認識は正しいもの,つまりデカルト自身の認識であったといえます。かつ同時にこれは,スピノザ自身も同意していた見解であったといえます。
 僕の見解では,ボイルもまたこの意味においてアトムが存在しないということは認めていたのです。ですが,もしもこのことを一般的に論証することが可能であるとしたら,それは真空が存在することは不可能であるということから演繹的に導くほかはないと考えていました。なお,ここでいう真空というのは,僕たちが普通に解する意味での真空,すなわち空気が存在しない空間という意味ではありません。延長の属性に属する一切のものが排除された空間というほどの意味です。
 『デカルトの哲学原理』第二部定理三では,この意味での真空が存在するということは自己矛盾であるとされています。ここでもスピノザはデカルトの延長論を正しく解釈しているのであり,またスピノザもこのことを肯定しているといえます。なので,アトムは存在しないし真空も存在しないという点においての認識は,デカルトもスピノザもボイルも同じであったと僕は解しますし,アトムが存在しないということを真空の不可能性から論理づけることができるという点でも,三者は共通の認識を有していたと解します。
 ところが,デカルトおよびスピノザにとっては,真空が不可能であるということは自明の公理のようなものでした。確かに『デカルトの哲学原理』ではこれは定理において論証されているのですが,それは真空の定義から直接的に導かれているので,自明であったと解して間違いないでしょう。ですがボイルにとっては自明ではなかったのです。
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