○
「お客様は神様です。」と言ったのは誰だったか忘れたが、金を支払う方が一方的に偉いという観念には根拠がない。
顧客に対する異常なまでの卑屈さというものは、逆に自分が顧客の立場になった途端に異常なまでの横柄な態度を採るようにもなる。
自分が顧客に対して卑屈な態度を採った対価として、自分に対しても卑屈な態度を採らせようとする条件反射行動であろう。
相手に金を支払わせる立場としての最低限のマナーはあるとしても、客は絶対神ではなく同じ人であり。社会の中で相互関係性を持つ平等な関係である。
雇用に関しても、違法な背任行為などがなければ決して雇用者の方が「偉い」ことにはならない。
金に限らず特定の事柄に対する過剰で無意識な価値観がヒト社会には蔓延しており、これが人の「心」を喪失させているのである。
ヒトという種の生物には、本能習性的な社会形成習性があり。他者と自己との関係性において上下関係を規定しておかないと不安に陥る性質がある。
こうした習性を生物学的に説明すれば、「集団統率的協調行動を採ることが出来た集団程生存に適していた結果。」と言うことが出来る。
だが生存してさえいれば人間として正しいことにはならず。「残虐なゲリラが生存に適していた。」結果だけを正当化するのはキチガイの論理に過ぎない。その意味において「個体の生存自体に意義はない。」のである。
生物が生存していたのは目的のためではなく、あくまで偶発的「結果」として生存していたものを「生物」と分類しているいるに過ぎない。これが理解出来ないバカは科学者を辞めるべきである。
金に対する異常な価値観同様、生存というものへの異常なまでの価値観というものが、科学的論理検証性を喪失させているのである。
生存だけが絶対的価値であるならば、詐欺や暴力を用いてでも生存に有利な行動を採ることは正当化されてしまう。それを現在の生物学は「賢い」と形容するのである。
結果的に生存していたゲリラは「賢く」て、結果的にゲリラ達に殺害された人達は「愚か」である論理的根拠はあるであろうか。無論そんなものは一切なく、単に結果的に生存していたという結果の事後正当化のための文科系大衆観念的こじつけに過ぎない。
現在の生物学では、本能習性的な行動バイアスの結果論だけを抽出して、あたかも本能習性的行動バイアスが絶対的に正しくて優秀であると言い張る。
津波被害の際に問題となった正常性バイアスや多数派同調バイアスといったものも、先天的本能習性による行動バイアスであり、これらはあくまで機械的条件反射行動、すなはち無意識に過ぎない。
たまたま偶発的に生存に有利な行動を促した結果だけを論じて本能習性の存在価値を絶対的意義の論証であると言い張るのは、科学的論理証明を目的としたものではなくヒトという種の生物の優位性を事後正当化しているだけの観念に過ぎない。
「自分が生存し続けるのは、生存に適した種であるからだ。」と「思う」ことで気分的に安心満足したいだけなのである。ナチズムの素となったフランシス:ゴルトンの優生学も、民族の優位性を立証することによる気分的安心満足を目的としたものであって、何ら科学的論理証明として全く成立していないのである。
先天的疾患によって遺伝的に「生存に不利」であることが、生存に値しないことの論証にはならないし、人間としての存在価値をおとしめる論証には全くならない。
優生学のような観念を科学的論証であるかの如く一切反論してこなかった従来の生物学というのは、科学としての社会的役割を全く果たしておらず、怠惰怠慢による「未失の故意。」的犯罪行為であると言える。
金は本来道具である。経済を便利で円滑にするための道具であって、道具という手段自体を目的だと勘違いしてしまうのは、そこに論理検証的「考え」が伴っていないからである。
論理検証的「考え」という「人間としての社会性」が伴わないからこそ、人間としての「心」が失われることに陥るのである。
その場限りの本能的感情を「心」と称するのは、通り魔の動機や感情までをも正当化する戯言に過ぎない。人間としての「心」というものを厳密に検証せず安易に「感情=心」として取り扱うのは、無責任な犯罪的行為であることを文科系マスコミは認識すべきである。
哲学界においては論外である、怠慢にも程がある。論理検証的に「考える」ことが嫌なら哲学など辞めればいいのである。
貨幣を一切用いなくても経済を成立させることは可能である。労働に対する正当で公平な対価さえ成立すれば、経済というものは成立可能なものであって。対価の公平性を社会から乖離させ個人の絶対所有物であるかのような錯覚を促すのが貨幣というものである。
労働も対価も循環することで経済は円滑に働くものであって、個人所有私財として停滞させてしまう貨幣の性質こそが経済を崩壊させてしまう一つの要因ともなるのである。
「貨幣は道具であり、相互協力社会のための手段に過ぎない。」ことを認識していれば、異常なまでの報酬への執着も働かないはずである。
Ende;