書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

○壁の住人。

2014年12月06日 21時38分12秒 | 意識論関連
 養老孟司が「自分探しに意味がない。」と言い張るのは、養老自身が自分の好きだった虫の研究を「世間が許さなかった。」と称してやらずに、好きでもない解剖学を30年間も続けた自分の人生を事後正当化するためである。

 小柴昌俊氏は「これなら一生続けられる、そういうものを見つけなさい。」と述べ、益川敏英氏は「嫌いなことはそんなにやらなくて良いから。好きなこと、得意なことを伸ばした方が良い。」と述べているにも関わらず、これと正反対なことを言う養老孟司の言うことを信用するのはバカげている。

 養老孟司の言っている内容というのは、その場限りのご機嫌取りでしかなく、何の論理的根拠も存在しない。

 日本人の多くは養老孟司と同様に自発的自主的に人生を選ばず、ピアプレッシャー(多数派による抑圧)に流された人生を歩んでしまっているために。養老の観念の方が気分的に安心で満足出来るため、ノーベル賞受賞者達の意見よりも人気が得られるのである。

 これは一種の洗脳(意識誘導)である。


 「嫌な上司とどう付き合うか。無視する、意識から外す。」などと現実逃避をそそのかしておいて、「自分の間違いを認識」することが出来るわけがない。

 養老孟司の言っている内容には論理整合性がなく、支離滅裂で身勝手な観念に過ぎない。それを多くの日本人が鵜呑みにしているのは深く検証する「意識」が全くなく、何の疑いも持たないことを「素直」で「正直」だと錯覚しているからであり。故に本質的「意識」が全く変わらず同じ過ちを何度も繰り返すことに陥るのである。

 巨大人体ピラミッドに何の疑問も持たないことが「素直」で「正直」だとでも思っているのであろうか。養老の観念というのは人々を無意識へと誘導する麻薬のようなものであり、意識改革から遠ざけバカへと誘導するものなのである。それで販売部数が伸びて世間的に成功しても、人格の論証にも。言っている内容の信憑性の保証にもならない。

 原発の危険性が放置されたのも、養老がそそのかす「嫌な上司との付き合い方」を鵜呑みにした結果に他ならない。養老の言っている内容というのは、実は理工学系研究者からは「わけのわからぬ話」としてしか扱われておらず、語るに足らない話として無視されているだけであり、科学分野においては虫の研究以外ではほとんど何の業績もないのである。

 「禁煙と書かれた看板の前で煙草を吸う。ほら、私は脳化していない。」などという訳のわからぬ話をする男を本気で信じる方が頭がイカれている。




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Wikipediaより抜粋。

 「評論家の後藤和智は『バカの壁』での青少年問題に関する養老の発言に根拠が示されていないことなどを挙げ、「単に自分が「理解できない」存在に対してわかったような「説明」をしているだけである。(中略)『バカの壁』は養老自身の 「バカの壁」(=科学的な検証に基づかずに勝手に「線引き」を行うこと)の見本市として読むことができる。等と酷評している。」



 また、心理学者の香山リカも養老孟司のように「わかったような説明」をすることで大衆多数人気を得ているペテン師に過ぎない。

 日本人の多くは自発的に論理検証する科学的批判精神に欠けており、それゆえ「理科離れ」が進んでしまうのである。多数派に迎合しておいて科学もすったくれもあったものではない。




Ende;
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