養老孟司の著作自体が非科学的オカルトであって、養老に洗脳語らせているTBSは何も理解していない。
「状況の変化に対応するために脳が肥大した。」
「信じ込みたいところがある。」
「上手にモメること、片手で手を握って片手で殴り合う。」
こんな話を鵜呑みにしているTBSの番組制作者が一番バカなんですが。養老を「信じ込みたい」からなんでしょうな。
ISILと上手にモメて何か解決するとでも思っているんでしょうか。文科系のマスコミ関係者なんて、どうせ何も考えていないから養老の言っていることに意味があると妄想しているんでしょう。
ヒトは個人的に利己的利益のために社会状況に迎合する性質があるのだが。こうした状況への迎合というのはヒトの大脳の容積でなくても充分可能な先天的行動バイアスの結果であって、先天的結果に流されるだけの存在であるならば人間とは言えないのである。
あくまで進化(変化)というのは結果であって、先天的本能習性に流されるだけなら自由意思も意識もすったくれもあったものではない。
畑村洋太郎が国会原発事故調査委員会報告書の中で述べたように、「個人が自律的に社会的責任を負うこと。」こそが最も重要なことであり。これなくして倫理も人格も語ることは出来ないのである。
先天的本能習性に流され、多数派に迎合したり権威に服従したりしているだけなら、ヒトほどの大脳容積など必要ないのである。そこに進化の「結果」は関係がない。
結果的であれ大脳容積ゆえにヒトは先天的行動バイアスに流される以外の自律的行動選択可能性がある。社会環境に流されるためだけにしか大脳肥大が働かないなどという文科系大衆観念があるから、養老孟司の言っていることに意味があるかのように錯覚するのであろう。
養老の著作に何度も出てくる「脳化」の話には論理整合性がなく、行き当たり場当たりにバカな大衆が観念的に納得するように誘導することで、あたかも理論として意味があるかのように錯覚させているだけであり。そこに気付かない頭の悪さを大多数の大衆は認識してすらいない。
組み込まれた本能習性以外の行動しか選択不可能であることにしておかなければならないのが文科系大衆観念であり、これこそが自律的論理検証性を簡単に放棄し、また、無視する最も大きな要因なのである。
Ende;
「状況の変化に対応するために脳が肥大した。」
「信じ込みたいところがある。」
「上手にモメること、片手で手を握って片手で殴り合う。」
こんな話を鵜呑みにしているTBSの番組制作者が一番バカなんですが。養老を「信じ込みたい」からなんでしょうな。
ISILと上手にモメて何か解決するとでも思っているんでしょうか。文科系のマスコミ関係者なんて、どうせ何も考えていないから養老の言っていることに意味があると妄想しているんでしょう。
ヒトは個人的に利己的利益のために社会状況に迎合する性質があるのだが。こうした状況への迎合というのはヒトの大脳の容積でなくても充分可能な先天的行動バイアスの結果であって、先天的結果に流されるだけの存在であるならば人間とは言えないのである。
あくまで進化(変化)というのは結果であって、先天的本能習性に流されるだけなら自由意思も意識もすったくれもあったものではない。
畑村洋太郎が国会原発事故調査委員会報告書の中で述べたように、「個人が自律的に社会的責任を負うこと。」こそが最も重要なことであり。これなくして倫理も人格も語ることは出来ないのである。
先天的本能習性に流され、多数派に迎合したり権威に服従したりしているだけなら、ヒトほどの大脳容積など必要ないのである。そこに進化の「結果」は関係がない。
結果的であれ大脳容積ゆえにヒトは先天的行動バイアスに流される以外の自律的行動選択可能性がある。社会環境に流されるためだけにしか大脳肥大が働かないなどという文科系大衆観念があるから、養老孟司の言っていることに意味があるかのように錯覚するのであろう。
養老の著作に何度も出てくる「脳化」の話には論理整合性がなく、行き当たり場当たりにバカな大衆が観念的に納得するように誘導することで、あたかも理論として意味があるかのように錯覚させているだけであり。そこに気付かない頭の悪さを大多数の大衆は認識してすらいない。
組み込まれた本能習性以外の行動しか選択不可能であることにしておかなければならないのが文科系大衆観念であり、これこそが自律的論理検証性を簡単に放棄し、また、無視する最も大きな要因なのである。
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