佐川前長官証人喚問が刑事訴追を理由に黙秘権連発になっちゃっているけど
国会原発事故調査委員会と同様に刑事訴追を停止しちまえば黙秘権も使えなくなるんだ
何でもそうなんだけど 刑事罰なんていうもんがあるから本当の真相が闇の中になっちまう
本当の真相っていうのは「悪者探し」じゃなくて、構造的な原因とか ヒトの先天的錯覚妄想に起因するものだとか そういう徹底した原因究明をすべきであって
そうじゃないと自殺しちゃった役人も無駄死にになっちゃうよ
世代間連鎖による子供の虐待なんか特にそうで、実際に虐待した親に罰与えたって本当の真相はむしろ放置されちゃって同じような虐待に対する具体的な対策に全然つながらない
通り魔事件とかテロだって同じことで、実行犯死刑にしても本当の真相は闇の中になって、同じような事件は何度も繰り返してしまう
以前ツイッターである方が「自分はレイシスト(差別主義者)だ」という主旨(自戒の意味を含めて)の発言があったんだけど
ヒトという種の生物は悪者を差別排除することに満足安心するという先天的バグがあるため、罰さえ与えてしまえば全てが解決したかのように錯覚してしまう
ヒトという種の生物には先天的に差別主義が組み込まれていることを前提にしていないからこそ、刑罰などという「差別」だけで「解決」したと妄想している
ヒトという種の生物には、先天的に個人的好き嫌いが存在しており、これを社会的価値観と混同してしまうと差別や懲罰だけで思考が停止して話が終わってしまう
自律的な論理検証性が欠落していれば人間性も欠落してしまう
例えば、通り魔事件が発生して犯人を死刑にしてしまえば、実行犯の再犯はなくなるわけだが
なぜ通り魔などという訳の判らぬ行動に至ったのかという構造的原因は放置されたままなので、同じような残虐事件は後を絶たないという結果になる
文科系大衆観念的には、刑事罰を停止することは恩赦や酌量か何かと勘違いしているようだが
徹底的原因究明というのは、そういう気分的な話ではなく徹底した論理的追求によって、犯罪者が自分の行動や思考の何が間違っていたのかを認識させることであって
現在の刑事罰では判決で決定した罰だけ終われば、実行犯が自分の行為の何が間違っていたのかを論理的に認識していなくても釈放されてしまうという、根源的欠陥があるのだ
懲役4年か4年8ヶ月かを検察や裁判官がどんなに慎重に押し量っても、そんなものは実行犯の行為の自覚認識とは無関係なものであり。故に25年も服役して出所後数日で殺人を繰り返すことも起こるのである
罪自体が刑法上「監禁」とか「傷害」程度のことであっても、治療によって犯罪者自身の行為の非合理性を論理的に認識していなければ、何年経とうが完治するまで社会に出すべきではなく、これは裁判所で決めるような内容ではない
少女監禁事件の寺内樺風のように、自分の行為の何が間違っているのかを自覚認識していない奴を89年かそこらの懲役で終わりにするのも意味がわからない
刑法罰は決して犯罪に対する唯一絶対の完璧な解決策などではないのである
どんなに裁判制度が厳格であろうとも、根本的な欠陥を無視して表面的な厳格さだけを追求しても意味が全くなく。むしろ根源的無意味さを取り繕うために形式的に厳格風味を装っているに過ぎない
Ende;
国会原発事故調査委員会と同様に刑事訴追を停止しちまえば黙秘権も使えなくなるんだ
何でもそうなんだけど 刑事罰なんていうもんがあるから本当の真相が闇の中になっちまう
本当の真相っていうのは「悪者探し」じゃなくて、構造的な原因とか ヒトの先天的錯覚妄想に起因するものだとか そういう徹底した原因究明をすべきであって
そうじゃないと自殺しちゃった役人も無駄死にになっちゃうよ
世代間連鎖による子供の虐待なんか特にそうで、実際に虐待した親に罰与えたって本当の真相はむしろ放置されちゃって同じような虐待に対する具体的な対策に全然つながらない
通り魔事件とかテロだって同じことで、実行犯死刑にしても本当の真相は闇の中になって、同じような事件は何度も繰り返してしまう
以前ツイッターである方が「自分はレイシスト(差別主義者)だ」という主旨(自戒の意味を含めて)の発言があったんだけど
ヒトという種の生物は悪者を差別排除することに満足安心するという先天的バグがあるため、罰さえ与えてしまえば全てが解決したかのように錯覚してしまう
ヒトという種の生物には先天的に差別主義が組み込まれていることを前提にしていないからこそ、刑罰などという「差別」だけで「解決」したと妄想している
ヒトという種の生物には、先天的に個人的好き嫌いが存在しており、これを社会的価値観と混同してしまうと差別や懲罰だけで思考が停止して話が終わってしまう
自律的な論理検証性が欠落していれば人間性も欠落してしまう
例えば、通り魔事件が発生して犯人を死刑にしてしまえば、実行犯の再犯はなくなるわけだが
なぜ通り魔などという訳の判らぬ行動に至ったのかという構造的原因は放置されたままなので、同じような残虐事件は後を絶たないという結果になる
文科系大衆観念的には、刑事罰を停止することは恩赦や酌量か何かと勘違いしているようだが
徹底的原因究明というのは、そういう気分的な話ではなく徹底した論理的追求によって、犯罪者が自分の行動や思考の何が間違っていたのかを認識させることであって
現在の刑事罰では判決で決定した罰だけ終われば、実行犯が自分の行為の何が間違っていたのかを論理的に認識していなくても釈放されてしまうという、根源的欠陥があるのだ
懲役4年か4年8ヶ月かを検察や裁判官がどんなに慎重に押し量っても、そんなものは実行犯の行為の自覚認識とは無関係なものであり。故に25年も服役して出所後数日で殺人を繰り返すことも起こるのである
罪自体が刑法上「監禁」とか「傷害」程度のことであっても、治療によって犯罪者自身の行為の非合理性を論理的に認識していなければ、何年経とうが完治するまで社会に出すべきではなく、これは裁判所で決めるような内容ではない
少女監禁事件の寺内樺風のように、自分の行為の何が間違っているのかを自覚認識していない奴を
刑法罰は決して犯罪に対する唯一絶対の完璧な解決策などではないのである
どんなに裁判制度が厳格であろうとも、根本的な欠陥を無視して表面的な厳格さだけを追求しても意味が全くなく。むしろ根源的無意味さを取り繕うために形式的に厳格風味を装っているに過ぎない
Ende;