書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

安心満足そのものを欲することはできない

2022年07月09日 11時13分51秒 | 意識論関連

マスコミは殺人事件などが起きると ほとんど脊髄反射のように「動機の解明」だとか言い出すんだけど

過去に起きた殺人事件の容疑者の動機を解明して再発防止などの知見に結びついたことなんかないだろ

暴力破壊をするようなバカの動機なんか糞の役にも立たないことは明らかなのに 何で「動機の解明」だとかいつまでも言っているんだろう

「卑劣な暴力」なんていう形容詞も おかしな話で

「卑劣じゃない暴力」なんてもんがあんのか?

暴力は全て卑劣なんだよ

たとえ合法的刑罰であっても 国家権力を用いた暴力で抑えつけることは卑劣である

ノルウェーの「リゾート刑務所」のように 懲罰を廃止することで再犯率を著しく抑えることができるのであって 「懲罰で解決」だというヒトの先天的錯覚に基づく衆愚観念の多数決こそが問題解決から遠ざかる根源的原因なのである

安倍晋三元首相を撃った男は数年間海上自衛隊だったという話だが 兵隊というのは厳しい訓練によって自発的思考を抑圧されているので自律的な判断というものができなくなりがちであり

ミャンマー軍事政権にせよ プーチンにせよ 服従することを旨とした兵隊というのは自分の頭で物事を考え検証して合理的行動選択というものができないからこそ 暴力破壊による「最終解決」的懲罰に暴走するようになるのである

ヒトも含めて動物というのは暴力破壊衝動というものがあり それは祖先の生息環境において生存にとって有利に働いた結果的に大脳辺縁系に組み込まれた(遺伝的に拡がりやすかった)先天的本能習性であり これは主体的選択が不可能な「結果」以上の意味はない

遺伝的進化というものに「目的」をこじつけて事後正当化したがるバカが世の中の大半だが 先天的本能習性という遺伝的進化の「結果」をいくら都合良く「目的」をこじつけても 到底科学的論拠になどならない

遺伝的進化の全ては「結果」であって 選択可能な「目的」など存在しないからである

先天的本能習性の全ては選択不可能な遺伝的進化の「結果」でしかなく 本能習性の中から何を最も優先すべきかを論理客観的に検証して選択することにのみ「自由意志」が存在するのであり 本能欲望の強度程度で行動が決定していたのでは欲望の奴隷でしかない

殺人犯を何人死刑にしても 殺人をやらかすようなバカが出てきてしまう根源的原因究明にも再発防止にもならない

犯罪者に懲罰を与えれば 気分的には安心満足感が得られるものであろうが それはただの先天的本能による欲望(主観的感覚)であって それが論理客観的根拠を伴う本質的な「解決」であることの論証には全くならない

刑法裁判というものは ヒトの先天的な懲罰感情を満たすための形式的手続きに過ぎず 論理客観的に社会安全性にとって最も実効性が伴う根拠があるわけではない

「暴力による言論統制は許されない」などという話も多いが 許すか許さないかは暴力犯罪の原因とは無関係である

許されなかったら何だと言うのであろうか

「犯罪は許しません」といくら述べたところで それが犯罪抑止や再発防止に実効的効果をもたらす根拠など何もないのである

許す許さないは主観的なものであって 論理客観的には何の意味もない「個人の感想」の範疇である

実際には安倍晋三元首相を殺害した動機は個人的で身勝手な怨恨に過ぎず 自宅から大量の武装品が出てきたことからも 「暴力破壊が何かの解決になる」という根拠のない身勝手な倒錯の標的にされたに過ぎず 言論統制は目的ではなかった

そもそも暴力破壊を何かの解決だと倒錯しているようなバカの動機など何の意味もなく 単に考えの浅いバカが主観的に「そう思った」以上の意味などないのである

それは「刑法判決で解決だ」と思っている大多数の衆愚マスコミの主観的印象も同じであり 「動機の解明」だの「許されない」だのといった個人的感想(主観)をいくら陳列しても 論理客観的な根源的原因究明にも再発防止にもつながることはない

バカの多数決は「バカ主義」にしかならないのである

論理客観的な根拠を伴った 社会安全性にとって最も有効性や実効性のある方策や手段を選ばずに 漫然と多数や権威に迎合同調忖度服従し 自律的な社会的責任としての判断を放棄する無責任さを 大多数の衆愚マスコミは全く自覚していない

一つの重大なバカの陰には 無数の小さなバカが隠れているのであり 「自分だけは絶対に大丈夫だ」という正常性バイアスによって促される自己過信の倒錯に溺れ 自分の「頭の悪さ」を全く自覚しないから 重大なバカの発生を許してしまうことに陥るのである

 

ヒトの大半は論理整合性や論理客観性には興味がなく

その場限りに主観的な気分が安心満足することしか興味を持たないバカである

だから哲学界や生物学界の誤謬やデマであっても誰も認識できず 荒唐無稽な何の論理的根拠もない嘘でも大多数の衆愚マスコミは鵜呑みにし 満足することで真実を見失うのである

ヒトは大多数がバカなら 判断責任が多数によって薄まるという「感覚」によって無責任が許されると「思って」いるが それは錯覚であり倒錯である

気分的に安心して間違ったことを続けたり 体制を傍観放置して温存したりするからこそ あらゆる組織腐敗は進行するのである

ナチス政権下のドイツ人も プーチン政権下のロシア人も 軍事政権下の日本人も 体制に迎合同調忖度服従することに何の疑問も持たなかった原因とは 大多数や権力に逆らうことへの恐怖と 同調迎合忖度服従することへの安心によって組織腐敗を増長させたのである

凶悪犯罪者に人生の喜びを取り戻させることは 被害者感情的には不理不尽であることはわかっているが 自分の人生に価値を見いだせなかったからこそ 他人への迷惑にも配慮できないバカになったのであって 本当の贖罪とは先ず自己の人生への価値を見いださせることから始まるのである

自分の人生に意味や価値を持たないバカであれば 何十年刑務所に服役させても 自分が何をしたのかは全く自覚することはなく 何の贖罪意識も働くことはない

だから再犯率が高留まりしているのである

刑務所内で国家権力を用いた行動抑圧をしておけば その場限りにおいては従順に服従するようにはなるものの 決して自律的な社会的責任を負うような「考え」には至ることはなく 身勝手な観念情動によって釈放後に再犯を繰り返すことに陥るのである

「怖い相手に服従」しているだけであれば 必然的に「怖くなければ安心して逆らう」のである

主観的に怖いか安心かに関わらず 自律的に社会の一員としての責任ある行動選択をするためには 先ず自己を肯定できる人生の価値を見つけ出させることが必要不可欠である

ヒトの大半は 犯罪者かどうかに限らず 怖い相手には逆らわず 自律的な社会的責任としての行動判断選択もしないものである

だから日本大学のような組織腐敗も後を絶たないのである

何が正しいのかがわからないというのであれば 判断を保留して何もしなければ良いのである

しかし 実際には何も理解していないにも関わらず わかりもしないのに多数や権威に同調迎合忖度服従することで 結果的に組織腐敗に加担するのが「ヒト」という種の生物の先天的習性というものである

先天的習性は自分では選ぶことができない 「欲望そのものを欲することはできない」からである

 

 

Ende;

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする