↗どんな困難も努力で克服できるという根性論の弊害 -PresidentOnLine
疾患というものは精神論だけでどうにかなるようなものではない
しかし 毎夜泥酔して不健康な生活を続けることで生活習慣病になるのは精神が病んでいるからである
しかし アルコール中毒のようなものは精神論でどうにかなるものですらない
アルコール中毒であれ ニコチン中毒や薬物中毒の類いも その治療に精神論は必要なく あらゆる中毒は「頑張って」治るようなものではないのである
精神の病というものは 精神論では治らない
「精神論で何かが解決する」と「思って」いることそのものが 精神の病の元凶だからである
論理客観的な根拠を伴わぬ「常識(正解データ)」というものは 自分の知らぬ間に 生育環境によって刷り込まれているものであって 自分では選択していないものがほとんどである
「同性同士で愛し合うなどというのは人間として間違いだ」とか 「お茶くみは女子社員の仕事だ」とか 「学力偏差値が高ければ頭が良い」とか 「刑法判決で解決だ」といった世間の大衆観念的「常識」は 論理客観的に考えれば何の根拠も伴っていない偏見でしかないのだが ヒトという種の生物の脳というものは論理客観的根拠よりも主観的感覚や印象の方が優先してしまう性質があるために どうしても自分の偏見を偏見だと認識することが難しくなってしまうのである
そのために根拠のない世間的観念としての「常識」に囚われてしまい 理不尽で不条理な精神論を他人に押し付けるようにもなってしまうのである
自分に精神論を押しつければ自殺にもつながる
「頑張れない自分は生きている価値がない」と「思って」しまう
加藤英明とか千住真理子は 外見上とんでもなく「頑張って」いるのだが 決して本人はそれを「辛い」とは思っていないのである
一日中灼熱の砂漠でトカゲを探すことや 毎日ストラディヴァリウスの音色に酔うことは 本人にとっては至極の楽しみであって 楽しくて仕方ないのであって 当人的には何も「頑張って」などいないのである
私は写真を撮るのが好きなので 真冬の極寒の中 強風が吹き荒れる橋の上で写真を撮り続けることもある
寒さで指が動かなくなろうが何だろうが 気に入った写真が撮れるまで何時間でも粘ったりすることもある
炎天下に汗だくで地面に這いつくばってミツバチを追いかけることもある
結局気に入った写真が撮れなかったとしても 何度も繰り返し撮ることで たまに撮れる気に入った写真のためには労力を惜しむことはない
人によって 頑張れる事柄は全員違う
他人と比べて特定の能力が低い場合に「他人との比較を人間の価値だ」という偏見的「常識」によって ヒトの多くは根拠のない劣等感や自己否定に陥り 世間に対する無駄な不満を募らせ 誰かを誹謗中傷したり 無差別に迷惑な行為によって世間に対する報復感情を満たそうとするようにもなるのである
何が選択可能で 何が選択不可能なのか それは論理客観的に考えればわかるものである
選択可能なものは自由があるが 選択不可能なものには自由はない
当たり前の話である
いちいち言わなくても自分の頭で考えられるにも関わらず 自分の先天的本能欲求に踊らされることを「自由」だと勘違いしているバカがあまりに多すぎるからこそ 根拠のない世間的「常識」に囚われ 意味のない精神論的努力を「頑張って」しまい 自殺や迷惑行為といった「間違い」へとヒトは陥るのである
ヒトは 多くのヒトが間違っているとしても 自分の周囲の多くのヒトが信じている話は正しいと錯覚する
ロシア国民がプーチン政権を支持するのも
ナチス政権下のドイツ人達がヒトラー政権を支持していたのも
日本大学田中英寿理事長体制下において職員の大半が迎合していたのも
彼らはそれを「正しい」と錯覚しているからである
「世の中 そういうものだ」と諦め(学習) それ以外の一切の選択可能性が存在していないと錯覚しているからこそ それを「正しい」と思い込もむために 「考えること」をやめてしまうことで根拠のない理不尽で非合理な「常識」がでっち上げられてしまうのである
Ende;