ヒトの脳におけるドーパミン報酬系などの大脳辺縁系の構造そのものはサルとほぼ同じであり ヒトが他の生物と異なるのは大脳新皮質の容量だけである
ゆめゆめ間違えてはならないのは 大脳新皮質の容量だけでは「人間」として機能するわけではないことである
プーチンだろうがヒトラーだろうが日本大学田中英寿理事長だろうが東京電力福島第一原子力発電所の管理責任者であろうが地下鉄毒ガステロリストであろうが通り魔だろうが迷惑系ユーチューバーだろうが大脳新皮質の容量にさしたる違いはないからである
断じて「ヒトという種の生物」でありさえすれば「人間」としての自律的な社会的責任行動判断選択が可能となるわけではない
ヒトは必ずしも快楽かどうかだけでしか行動が選択不可能なわけではない
自分にとって不利だと知っていたとしても それが社会安全性や公平性にとって必要だと判断し 社会的責任として行動選択すること「も」可能である
可能ではあるものの それは決して簡単ではない
小学生が学級内で起きるイジメを止めることは 自らがイジメの標的にされるリスクや恐怖を伴うものである
これは日本大学田中英寿理事体制の組織腐敗に逆らう場合にも東京電力福島第一原子力発電所において原発の津波に対する脆弱性を主張する場合にも ナチス政権やプーチン政権などの暴力的抑圧を行う独裁政権に反対する場合にも同じことである
怖い相手には逆らわない方が「楽」である
チンパンジーに「公平」という概念はない なぜなら怖い相手には逆らわず 集団内部の序列を受け入れてしまった方が「楽」だからである
ヒトの大半もまた権威肩書を持った相手の主張を無批判に鵜呑みにする
なぜなら その方が自分の頭で考え判断選択し責任を負わなくて済むので「楽」だからである
ヒトの脳は先天的には論理客観的根拠に基づく真実を求めるようにはできておらず ただ主観的安心満足しか求めるようには先天的にはできていない
なぜなら大脳辺縁系そのものはヒトもサルも違いはないからである
ヒトの大脳容積が大きいとは言っても バイト換算で17.5TB程度の容量しかないという
そのため脳は情報を「整理」することで データ圧縮して効率的に機能させている
しかし この情報の圧縮「整理」の仕方は個人差があり 圧縮の仕方が雑な場合には肝心な情報が著しく抜け落ちデマでも嘘でも簡単に鵜呑みにするバカにもなりうる
サルでもヒトでも基本的にはドーパミン報酬系による快楽によって思考や行動は「整理」される
「整理」されるとは言っても 決して合理性に基づいて「整理」されるわけではなく あくまで報酬(快楽)に則って「整理」されるだけであり 故に無駄で非合理な薬物中毒にも簡単に陥るのである
自分の頭で考えずに報酬系のシーケンスに則って行動や思考が「整理」されていれば ヒトはバカにしかならない
「へずまりゅう」的な迷惑者が後を絶たないのはそのためである
バカの脳の「整理」の仕方は 「迷惑者はザラにいる だから俺の迷惑行為なんぞ大したことではない」という屁理屈である
迷惑かどうかが基準ではなく 迷惑を程度問題にすり替えることで迷惑行為が正当化できていると倒錯しているから迷惑行為も平気でできるようになる
迷惑動画であっても閲覧数が増え 「バズる」ことの快楽を「学習」する形で迷惑行為がエスカレートし 取り返しのつかない犯罪にまで手を染めてしまう
バカが多数なら バカが赦されるという倒錯に溺れていた方が脳が「楽」だからである
内部告発者は「裏切り者」扱いされ 性被害者が実名公表して裁判で争えば「金目当て」だと揶揄される
女房子供を事故で亡くして生き地獄の毎日を過ごす松永莉子パパを「金目当て」などと言い出す糞野郎もいる
プーチン政権下で戦争反対を主張すれば「バカ扱い」され 東京電力福島第一原子力発電所で原発の津波に対する脆弱性を主張しても何の見返り(報酬)も得られない
大脳辺縁系が快楽を感じるかどうかだけが行動基準になっているからこそ 人間としての自律的な社会的責任判断選択ができなくなるのであって 他人からの評価承認に頼った「不純」な動機では欲望(快楽)に制限がなくなり たとえ国家元首にまでなっても欲望に歯止めは効かなくなる
ヒトという種の生物は 先天的に社会形成習性を持っており 祖先の生息環境においては封建的統率による順位序列を鵜呑みにして暴力者に服従忖度迎合同調する習性が 先天的に組み込まれているため ヒトは他人からの評価や報酬こそが最も快楽として行動バイアスとして働くようにできている
「他人から褒められないと やる気が出ない」だとか 「他人の為になることが最も快楽」だとか 「共感することこそが人間性」といった話を持ち出して あたかも利他的行動の全てが人間としての社会性や倫理に適しているかのように言い張るバカが大半であり そうした話の方が考えの浅い衆愚マスコミには多数人気を得やすいものでもある
衆愚が「信じたい話」ばかりを信じようとするのは ヒトの先天的な認知上の重大な欠陥が原因だからである
暴走族が集団暴走するのは「共感」しているからであり 暴力団が暴力団の幹部に憧れ「かっこいい」と倒錯して服従忖度迎合同調して統率的協調性を発揮するのも組織内部においては「利他的行動」である
都合の良い「共感」や「利他行動」だけを抽出してきて あたかもヒトには先天的に人間性が組み込まれているかのように言い張るのは 論理の飛躍も甚だしく到底科学的論証にはなっていない
国会原発事故調査委員会調査報告書において 事故の最も根源的原因として挙げられたのは「組織の利益を優先し 個人が自律的な社会的責任を負わなかったこと」であると結論づけられている
ヒトが人間として行動選択する上において 個人が自律的な社会的責任を負う行動選択をするためには 「組織」などの「他者」からの評価承認(脳への報酬)に抗う必要性がある
主観的快楽の強度程度で行動が決定していて人間性もヘッタクレもないのである
世間的評価という不純な動機であるからこそ 小保方晴子のような業績捏造も生じ 松沢哲郎のような11億にも及ぶ不正流用も起きるのであり 「世間的評価がなければ科学の発展はない」などと主張しているバカには本質的主体性や純粋な好奇心がない証拠である
質量分析計の発明でノーベル賞を受賞した田中耕一氏は 薬品の取り違えの際に「面白そうだからどうなるかやってみよう」という 一種のイタズラ心 好奇心でおこなった実験によって偶然未知の現象を発見できたのである
こうした偶然の発見といったものは 教わった既知の知識を鵜呑みにして常識的行動だけでは辿り着くことはできない
遺伝子の発見をしたメンデルは 生前全く評価されなかったが 生涯研究を続けたという
ガリレオ:ガリレイが火炙りにされそうになってもなを「それでも地球は回っている」と主張したのも 断じて「他人からの評価」が目当てではない
ナチス政権下でナチスに反対したヴァルター:ベンヤミンに至っては スイス山中での自決を余儀なくされた
「真理(本当のこと)」を追求する上において 他人からの評価を目当てにしていたのでは辿り着くことはできないのである
様々な科学的発明や発見といったものの多くは それまでの世間多数の「常識」や既知の知識とは異なる発想が必要であり アルベルト:アインシュタインによる一般相対性理論もまた既存の物理学知識的「常識」が通用しない領域の存在の発見である
アインシュタインは相対性理論が認められるまでは決して評価されることはなく 相対性理論の論文は特許局勤めの傍ら無報酬で自発的に書いたものである
評価承認欲求が動機である場合 常識を疑い逸脱する思考は働かず むしろ教わった内容に論理的不整合が存在してたとしても 何の疑いも持たずに呆然と鵜呑みにしてしまう程バカにしかならず むしろ知識の「量」ばかりを自慢して「自分は頭が良いんだ」などというバカ丸出しの発言までするようになる
バカ脳科学者共は 行動抑制もまたドーパミンによる脳への報酬系の働きが必要だと主張しているが その論拠は幼児にお菓子を我慢させるために 我慢したらより多くのお菓子がもらえるという環境条件を与えるというものである
結局こうした行動抑制というものは 他人から「我慢したらより多くの報酬が得られる」といった環境依存的行動抑制に過ぎず 決して自律的行動抑制としては働くことはない
腐敗政権に異議を唱えるのも 性被害者が裁判で争うのも 社会的迫害を受けてでも社会的不公平を正そうとする自律的な社会的責任判断として行うものである
内部告発者が「裏切り者」扱いされてでも内部告発するのは 不正が横行するような不公正な状態を放置する社会を改善したいという社会的責任として告発するのであり
「裏切り者扱いされて嫌な思いをするくらいなら 腐敗組織に同調迎合忖度服従しておいた方が楽」という判断こそが 評価承認欲求に基づいた身勝手な反社会的行動の根源的原因である
虐待が連鎖するのは 幼少期から虐待を受けて育った人が 虐待状態を「常識」として「学習」してしまっているからである
宮台真司はこう述べたことがある
「自分の頭で考えるのは10年早い 教えたことは丸暗記しろ」と
そして その「理由」として挙げたのは 「自分はそう教授から教わった」などという合理性のない単なる権威者に対する盲目的服従「鵜呑み」である
自分が権威者からの命令を鵜呑みにした既成事実を 事後正当化する形で生徒に対して「連鎖」する形で生徒に自発的思考を否定したのである
バカな「哲学者」共がイマヌエル:カントの「純粋理性批判」を正当化したがるのも 自分が無批判に根拠のない実証不能の謎の観念を鵜呑みにした既成事実を事後正当化して主観的に満足したいがためのデマに過ぎない
それが証拠に「理性を超越した悟性」だの「純粋統覚」だの「絶対に知覚することのできない叡智界」だの「人間は叡智界に属している」だのといった話には論理的根拠や証拠が伴っていないことに対しては何ら論理的反証を示さず 結局は宮台真司同様に「鵜呑みにしろ」としか言っていないのである
ヒトの多く 衆愚マスコミの多くはどんなに学力偏差値が高くてもカントの主張には論理的根拠がないことには誰も気づかず鵜呑みにし 100年以上も「近代哲学の最高峰」だと信じて疑わなかった こうした多数の世間の「常識」にとって都合の悪い話には耳を貸さない方が「楽」である
それは天動説が「常識」の世界で地動説を「愚か」扱いしておいた方が「楽」なのと同じである
肩書権威に逆らうことは「面倒臭い」ことであり ナチス政権下でヒトラーを批判することも プーチン政権下でプーチンを批判するのも「面倒臭い」ことである
東京電力福島第一原子力発電所において原発の津波に対する脆弱性を主張するのも「面倒臭い」だろうし
日本大学田中英寿理事長体制下において体制批判することも「面倒臭い」ことであろう
それは学校でのイジメに反対するのも同じであり 多数の傍観者と一部の体制同調者の群れに逆らうことの「面倒臭さ」というものは ヒトという種の生物が先天的に多数派に同調迎合忖度服従しておいた方が「楽」で 大脳辺縁系に本能的に組み込まれた行動バイアスだからこそ「楽(快楽)」なのである
圧倒的大多数のバカ相手を批判し逆らうことが「面倒臭い」のは必然である
山極寿一は「ゴリラやチンパンジーは平和的」だと主張するが ゴリラもチンパンジーには公平や平等という概念はなく ボスを畏れて封建的順位序列を受け入れることしかできない
それが「サルの平和」だからである
江戸300年の平和とは 徳川家による封建的序列による統率によって無理矢理でっち上げられたものに過ぎず 相変わらず農民は低い序列を強いられ過重で不条理な年貢の徴収に苦しめられ続けたのであり
暴力団の構成員が過重な上納金に苦しめられながらも「組員」であるというステータス欲しさに唯々諾々と幹部に服従するのも
日本大学田中英寿理事体制に職員達が迎合したのも
東京電力福島第一原子力発電所において原発の津波に対する脆弱性が放置されたのも
統一教会への過重な「寄付」の強制に従うのも ヒトという種の生物が順位序列を受け入れ公平性も平等も求めようとはしない先天的な頭の悪さに起因するものである
大脳辺縁系に組み込まれた「脳への報酬」に無意識に流されていれば 人間としての行動選択ができなくなるのは当然である
そこにあるのは「サルの平和」「サルの正義」でしかないからである
「サルの平和」は所詮環境に依存した結果的なものであり 天候不順などによって環境資源の枯渇が生じればチンパンジーがヒヒやゴリラの子供を殺すこともある
虐待の連鎖もチンパンジーで見られるものであり 情動行動を司る大脳辺縁系そのものはヒトもサルもほとんど一緒だからである
人間として自律的な社会的責任を負うために必要なのは 自律の礎となる主体性が必要不可欠である
他人からの評価報酬に左右されることなく 純粋に熱中できることがあるからこそ 社会安全性や公平性にも配慮が効くようになるのであって 他人からの評価報酬に頼っていたのでは自律的な社会的責任判断選択は後回しになり 目先の快楽欲しさに様々な不正にも手を染めるようになる
他人からの評価なしに脳内麻薬(快楽)の自給自足ができてこそ 他人への配慮や社会的責任への意識も働くようになるのであって 本人が何に対して主観的に生き甲斐を感じるのかは人それぞれである
クレプトマニア(窃盗症)やペドフィリア(幼児性愛)の中毒性というものは 結局は他人との比較における優位性に基づいた価値観であり 「他人から物を奪えば得」という短絡的行動バイアスに脳が支配されている状態である
「俺の脳の方が他人よりも気持ち良い」という優位性は 本当は意味がない
なぜなら そもそも脳神経接続のない他者と快楽の度合いを比較することなど構造原理的に最初から不可能だからである
窃盗や万引が多すぎて小売店が潰れて困るのは結局自分も含めた社会全体の損失であり
強姦経験によって精神を病んだ女性ばかりになるのも自分が属する社会全体の損失である
自分が安心して個人的な楽しみに熱中できる社会を求めてこそ 自律的な社会的責任判断もできるようになるのであって 他人からの評価に左右されない純粋行為があってこその人間性や倫理を発揮できるように「も」なるのである
「他人からの評価がなければ暴力的独裁腐敗政権には反対したくない」などと言っていたのでは 到底「人間」とは言えないのである
「怖い相手に逆らわない」というヒトの先天的な卑屈さは 別にベラルーシ人やロシア人に限ったことではなく ナチス政権下のドイツ人でも太平洋戦争中の日本人でも 数年前の日本大学でも組織腐敗の原因ともなったヒトの普遍的で先天的本能習性である
大脳辺縁系によって促される情動行動というものは かつて祖先が死なずに生き残った行動習性への収斂進化の「結果」であって 合理的目的や人間性に基づいて「選んだ」ものではない
遺伝的進化を「選ぶ」ことができないという論理的大前提を無視した生物学の誤謬を バカな大多数の衆愚マスコミは何の問題意識も「感じる」ことはない
主観的に「感じ」なければ怖くもないし 悪いとも思わない
「自由意志など存在しない」などという脳生理学者共のあからさまなデマを NHKは平気で垂れ流しておいて何の訂正もしないのは 誰も自分の頭で考え 何が真理なのかを検証も判別もしようとしないからである
ヒトとは 先天的にそういうバカなのである
多数がバカならバカでいることに何の罪悪感も問題意識も働かない
あらゆる社会問題が解決しないのは バカが大半だからである
バカが問題解決できないのは必然的結果である
「アメとムチ」だの「評価されなきゃやる気が起きない」などと言っているバカは後を絶たないが 何の見返りも期待できないのにナチスに反対したベンヤミンや プーチン政権に逆らって戦争反対運動で政治犯として投獄されているロシア人達に対する冒涜であるとは バカ共は誰も自覚がない
それはもはや「迷惑系ユーチューバーの戯言」とさしたる違いはない
Ende;