深大寺が某放送局の「ゆく年くる年」で映って、
地元で話題になった。
私は以前たまたま見た時に映ったので、
毎年来てるもんかと思っていた。
呑気なもんだよ。
自宅は深大寺への古い参道から一軒奥に在る。
子どもの頃は大晦日の夜ともなると、
下駄の音が絶え間なく聞こえたものだ。
中学生の頃に一度、二年詣りに行ったことが有る。
いつも下駄の音と鐘の音を聞くばかりだったので、
見に行ってみたくなったのだ。
境内は京王線の朝のラッシュ時くらいギュウ詰めだった。
後ろから押されて前の人にぶつかると、前の人に後足で蹴られたり。
その後、整列して参詣するようになったようだが、
なんとなくつまらん。
今年はしかしそうも言っていられない。
厄除け大師で疫病を拾っちゃ笑えない。
深大寺も例年のような人出は見られなかったと聞く。
知人の蕎麦屋さんも、例年は駐車場を通夜営業するが、
今年は入らないので閉めたそうだ。
※
へそまがりである。
私の話である。
今年なら空いているだろう、と、23時半くらいに家を出た。
案の定、道行く人はほとんどいない。
地元の顔見知りも一人も見かけない。
それでも参詣の列はできていた。
へそまがりであるので、並ばない。
ひょひょいと横へ逸れて、大好きな大師像の納まっている
元三大師堂へ行き、おびんづる様をちょいと撫でてお詣りする。
私の前にも一人、男性がいた。
ご高齢のようだが、がっしりとした体格である。
おびんづる様から離れた後も、脇腹をずっとさすっている。
痛みが有るのだろうか。
思わず声をかけた。
「痛むんですか?大丈夫ですか?」
『いけないところが 目につくのなら
いいこになって がんばります』
???
ボケて子ども返りしているのだろうか。
「どちらからいらっしゃったんですか?」
『港 港の町で
浮名流した果てに
ここへたどりつく
たどりつく』
???
「毎年お詣りなさってるんですか?今年は人が少ないですね。」
『まだまだ醜い この世だけれど
やがては いつか まともに変わる』
「ほんと。早く収まるといいですね。
今日はお一人ですか?」
『ゆうべ 誰といた どこで何をした
よせよ ほっといてくれ
ゆうべ 誰といた どこで何をした
それが 何になる カン ケイ ナイ』
???
「あ、除夜の鐘が始まりましたね。」
『静かに鐘は鳴る 帰る人の背中に』
「ほんとだ。もう帰って行く人もいますね。
鐘を打つ列も今年は短いから、チャンスなのに。私も打とうかな。」
『あの鐘を鳴らすのはあなた』
むむ?
さてはこの人、
歌の文句だけでしゃべってんのか?
『だけど だけど それが何なの
せめて今夜は お酒のませてね
これで他人に なるふたり』
いやいや。そもそも他人なのだが。
帰ろうとすると、爺さんはついて来る。
『そばに誰かいないと
沈みそうなこの胸』
えー!参ったな。声なんかかけるんじゃなかった。
寺務所に行くかな。交番に行くかな。警備の人に任せるか。
『飲みたくなったらお酒』
しょうがねえなあ。
私も飲みたいし、付き合うか。
「お金は有るの?」
『もしもきらいでなかったら
何か一杯 飲んでくれ』
「あらいただきます。ご馳走になれるってんならご案内しますよ。」
私は馴染みのお好み焼き屋に爺さんを伴って行った。
「何を飲みますか?」
『お酒はぬるめの燗がいい』
「おつまみ何か頼みましょうか。ここはうまいですよ。」
『肴はあぶったイカでいい』
「ははは、そりゃ《舟唄》ですね。
ああっ!?
もしかして、阿久悠さんじゃありませんか?」
『私の名前はカルメンです』
※
気の毒に。
どうやら自作の歌詞でしかしゃべれない様子だ。
お好み焼き屋のおばちゃんに頼んで、
具材のイカだけを焼いて出してもらった。
阿久悠さんはうまそうにつまみ、飲み、そのうち酔いが回ったか、
ごろんと横になり、壁際に寝返り打ってしまった。
※
「帰りますよ。」
呼んでもらったタクシーが着いたので、
私は阿久悠さんを揺り起こし、支払いをしてもらい、見送った。
『また逢う日まで逢える時まで』
「あなたに逢えてよかった」
※
噂を信じちゃいけないよ。
毎月一日は毎月馬鹿として法螺を書いている。
正月は特別興行。
今日も法螺だよ、って分かるか。
阿久悠作詞の『舟唄』を、オッフェンバック作曲の『舟唄』のメロディーで歌いました。
https://youtu.be/-cwf4e9JdTo
カラオケにオッフェンバックの『舟唄』は有りません。念のため。
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