昨日、頭痛や腰痛は脳の作りだしたもの、だから
痛みのあるときにはその脳の作戦にだまされないようにすれば痛みが引く、
という話を書いた。
みんな痛みは嫌い。
なので、このようなことを書くと反響は大きい。
医学の基礎研究も、痛みに関することは多い。
多くの人が痛みをどうにかしてほしいと思っているし、
研究が進んで痛みをコントロールできるようになれば、
医療としてゼニになる。
私が紹介したのは、あくまで、25年以上も前のサーノ氏の仮説だ。
私の言葉で言い換えることによって、内容がゆがんだりしてはいけないと思って、
あえて簡単にしか紹介しなかったのだが、
それこそゆがんで伝わる原因になっていたのなら、元も子も無い。
試してみたい、と思ったらぜひサーノ氏の著書である
『ヒーリング・バックペイン』か『心はなぜ腰痛を選ぶのか』を
読んでいただきたい。
ここで「脳」と言っているのは、脳の前頭前野(ぜんとうぜんや)という場所だ。
脳の中でも後から発達してきた部分で、つまり、人間ならではの能力が詰まっている。
思考力、状況判断、感情のコントロール、行動の抑制、意思決定、創造力、コミュニケーション、
などをつかさどっている。
理性、と言い換えることもできるかもしれない。
よく考えて、感情まかせにせず、周囲の人に気遣いつつ対応する、
そんな、いわゆるオトナに求められる部分を引き受けている。
とにかくオトナの脳なので、自分のコドモの部分もひたすら抑え隠す、
そのために痛みまで創り出して、幼稚な怒りから自分の気を逸らすのだ。
脳にはたいへん複雑にいろいろな部分があり、役割分担をしている。
「脳」とひとくちに言うことは雑過ぎて、誤解も生むことだった。
前頭前野と言っているのは、前頭葉(ぜんとうよう)の中でもまた前の部分を指している。
前頭葉というのは、大脳皮質の前の部分であり、大脳皮質というのは大脳の表層側の部分である。
大脳皮質には、体性感覚、運動、視覚、聴覚、言語などの中枢がある。
大脳の中でも、奥のほうの辺縁系という場所はもっと原始的で、本能や情動をつかさどっている。
記憶で有名な海馬も、辺縁系の中のひとつだ。
大脳基底核は学習や運動調節をつかさどる。
間脳というのも、視床、視床上部、視床下部、下垂体などと分けられる。
感覚の中枢や、自律神経の中枢、ホルモンの調節をしている。
満腹感などは視床下部に中枢がある。
小脳は運動の調節や平衡感覚をつかさどる。
中脳、橋(きょう)、延髄をまとめて脳幹と呼ぶ。
視覚と姿勢反射や、呼吸や循環の中枢などがあり、
基本的な生命活動に必須の部分だ。
これを全部ひっくるめて「脳」と呼んでいる。
ところが、ふだん「脳」と言ったときに思い浮かべるのは、
大脳皮質の働きが主になっているような気がする。
似たような意味で「あたま」という言葉を使うことがある。
「あたまいいね!」なんて言っているときは、
「脳」の中でも前頭前野の思考力のことを指している。
体が傾いたとき、無意識に姿勢を直すことができるのは、
中脳や小脳という「脳」の働きの連携によるわけだが、
グラッと揺れたときにうまく立ち直れても、だれも
「あたまいいね!」とは言わない。
「あたま」=「脳」ではないし、
「脳」というものはさまざまな部分の総体を指しているわけだ。
※
ここでまた、脳について「おおまかに」述べることで、
誤解を生じさせるという失敗をしているかもしれないけれど。
興味のきっかけになれば幸いです。
痛みのあるときにはその脳の作戦にだまされないようにすれば痛みが引く、
という話を書いた。
みんな痛みは嫌い。
なので、このようなことを書くと反響は大きい。
医学の基礎研究も、痛みに関することは多い。
多くの人が痛みをどうにかしてほしいと思っているし、
研究が進んで痛みをコントロールできるようになれば、
医療としてゼニになる。
私が紹介したのは、あくまで、25年以上も前のサーノ氏の仮説だ。
私の言葉で言い換えることによって、内容がゆがんだりしてはいけないと思って、
あえて簡単にしか紹介しなかったのだが、
それこそゆがんで伝わる原因になっていたのなら、元も子も無い。
試してみたい、と思ったらぜひサーノ氏の著書である
『ヒーリング・バックペイン』か『心はなぜ腰痛を選ぶのか』を
読んでいただきたい。
ここで「脳」と言っているのは、脳の前頭前野(ぜんとうぜんや)という場所だ。
脳の中でも後から発達してきた部分で、つまり、人間ならではの能力が詰まっている。
思考力、状況判断、感情のコントロール、行動の抑制、意思決定、創造力、コミュニケーション、
などをつかさどっている。
理性、と言い換えることもできるかもしれない。
よく考えて、感情まかせにせず、周囲の人に気遣いつつ対応する、
そんな、いわゆるオトナに求められる部分を引き受けている。
とにかくオトナの脳なので、自分のコドモの部分もひたすら抑え隠す、
そのために痛みまで創り出して、幼稚な怒りから自分の気を逸らすのだ。
脳にはたいへん複雑にいろいろな部分があり、役割分担をしている。
「脳」とひとくちに言うことは雑過ぎて、誤解も生むことだった。
前頭前野と言っているのは、前頭葉(ぜんとうよう)の中でもまた前の部分を指している。
前頭葉というのは、大脳皮質の前の部分であり、大脳皮質というのは大脳の表層側の部分である。
大脳皮質には、体性感覚、運動、視覚、聴覚、言語などの中枢がある。
大脳の中でも、奥のほうの辺縁系という場所はもっと原始的で、本能や情動をつかさどっている。
記憶で有名な海馬も、辺縁系の中のひとつだ。
大脳基底核は学習や運動調節をつかさどる。
間脳というのも、視床、視床上部、視床下部、下垂体などと分けられる。
感覚の中枢や、自律神経の中枢、ホルモンの調節をしている。
満腹感などは視床下部に中枢がある。
小脳は運動の調節や平衡感覚をつかさどる。
中脳、橋(きょう)、延髄をまとめて脳幹と呼ぶ。
視覚と姿勢反射や、呼吸や循環の中枢などがあり、
基本的な生命活動に必須の部分だ。
これを全部ひっくるめて「脳」と呼んでいる。
ところが、ふだん「脳」と言ったときに思い浮かべるのは、
大脳皮質の働きが主になっているような気がする。
似たような意味で「あたま」という言葉を使うことがある。
「あたまいいね!」なんて言っているときは、
「脳」の中でも前頭前野の思考力のことを指している。
体が傾いたとき、無意識に姿勢を直すことができるのは、
中脳や小脳という「脳」の働きの連携によるわけだが、
グラッと揺れたときにうまく立ち直れても、だれも
「あたまいいね!」とは言わない。
「あたま」=「脳」ではないし、
「脳」というものはさまざまな部分の総体を指しているわけだ。
※
ここでまた、脳について「おおまかに」述べることで、
誤解を生じさせるという失敗をしているかもしれないけれど。
興味のきっかけになれば幸いです。
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