犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

ゲゲゲの調布発信
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変わるよ

2022年01月12日 | 椰子の実の中
ブログを毎日書くようになって、十年以上だかなんだか経つ。

前に書いたことで、間違っていた事が有っても、
いちいちその記事に訂正を書き足したりしていない。

何かしら、知識や情報めいたものを書いていたら
間違いを書いてあるのはよろしくない。
誰かが何かについて調べて私の記事に辿り着き
そこに書いてあることを鵜呑みにした場合、困る。

困る?
困るのは誰だろう。

間違った事を鵜呑みにしてしまった人が困るのか。
私は何を困るのか。
社会全体にとってマイナスになるのではないか。

意見も変わる。
今では正反対の意見になっているけれど、
新しい意見をこのブログにまだ書いていない、ということも有る。
以前の意見の記事を読んで、「す~さんはこういう考え方の人なんだ。」
と思われたら、困る。

困る?
そんなに困ることかいな。

あれこれ考えた末、
特に訂正したり、変更したことについてすぐに書いたり、
しないことにしている。



先日、意見というものはその人の体験によって作り上げられる、
と書いた。
何年もの人生経験の上に、意見というものはできあがっていると思う。

すると、
経験によって意見が変わるということも起こる。

十年も有りゃ、なんかしらの経験はする。
すれば、どっかしらの意見は変わる。
今様に言えば、私もアップデートを重ねているのだ。



何年か前のこと。
子どもの頃に好きだった人に、会う機会が有った。
一緒にご飯を食べに行ったのだが、
その人の嫌いな食べものが変わっていなかった。

三十年、何をしてきたんだろう?
と思ってしまった。
好きだった人に会ってみたかった気持ちがシュルシュルとしぼんだ。

子どもが嫌いそうな食べものを相変わらず嫌いな大人だから
残念だったわけではない。
嫌いな食べものが変わっていなかったのが残念だったのだ。



じゃあ、変わっていれば良かったのか。

嫌いな食べものと言わず、
ものごとの受け止め方や人との接し方や話し方や声などなど、
あれこれ変わっていたら良かったのか。

そんなに変わってしまったら、もはや
好きだったその人とは別人になってしまうじゃないか。

あれこれ考えてみると、
嫌いな食べものが変わっていなかったことなんて、
そんなに残念なことではないような気もしてくる。



よーく考えて、意見を書く。
けれど、
時間をおいて、また考えてみたり、
その間にいろんな人と話し合ったりしてみる中で、
意見が変わることも有る。

生きる楽しみの一つであると思う。



といった前提をもって、
毎日のブログを書いていこうと思っている。
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