犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

ゲゲゲの調布発信
犬のこと、人の心身のこと、音楽や自作のいろいろなものについて

Das Leben ohne Musik

2018年02月08日 | 日々
8年ほど前だったか。もう9年だろうか。
真剣に取り組んでいた音楽の場を失った。
それ以来、いわゆるクラシック音楽を、それまでのように聴くことができなくなっていた。

音楽とは、自分が演奏に関わる立場で聴くものだった。
その中で、聴く者として率直な感情の動きも持っていた。
ゾクゾクしたり、演奏したい!と思ったり、
ここの音はイカシてるなどういう仕組みだろうと研究したり。

しかし、自分が音楽を作る場を無くしてみると、
そういった感情が根こそぎ去られた。
演奏者でなくなったら、鑑賞者ですらなくなったのだ。

ラジオからオーケストラの音がしても、打ち震えるような感情ではなく、
妬みのような感情が湧く。
オーケストラのサウンドはやっぱりいいなあ、でもなんで私はステージ側の人間ではないのだろう。
悔しさばかりが立つ。

ここんとこの心情や事情をあんまり説明しても、分かるわけもなくて仕舞いにゃただのヘンクツに思われるだけだ、
ということもよく分かってきた。
当時、一緒にその事変を経験したうちの一人に、立場こそ違え、
「あなたの気持ちが分かるのはわたしだけだ。」と言われた意味が、ようやっと理解できてきた。

と同時に、わだかまりもやっと少し、ほぐれてきた。
音楽を聴いて楽しめるようになってきたのだ。
ゲゲッ、この数年間は、楽しめなかったのですよ。
子どもの頃から音楽べったりで生きてきて、最優先にしてきた時期も長かったというのに。

聴いてジーンと感情が動いたり、一緒に歌って楽しい気持ちになったり、
という反応が自然に出ることが戻ってきた。
ゲゲッ、この数年は人間的でなかったと言っても過言ではないですな。
須山のルネサンス(人間復興)期になるか?
ずっと滞ってきた楽器のリハビリも、これで進むか?



車で移動する間、FMラジオを聞くことが多い。
これも、この数年間は、自分から遠い邦楽や民謡の番組なら聴いた。
しかしこの頃は、クラシックやポピュラー音楽も聴けるようになってきた。
聴いて楽しめるようになってきたので、聴くようになってきた。

ある日、車に乗ると、ラジオは音楽番組がかかっていた。
独特の雰囲気から、すぐにテーマは映画音楽だとわかった。
曲が変わった。
おもくるしく低音が響き、弦楽器の軋んだ音が重なっていく。
数秒で気に入ったが、曲が進むにつれ、どんどん興味が湧いた。
映画のテーマが、人間性に関わるもので、決して軽妙に描かれたようなものではないのが分かる。
しかし、苦しいだけではない、人間の複雑さを描いた映画に違いない。

こんな曲を使った映画、いいに決まってる。
見たい。
曲が終わって、アナウンサーの声がする。
「映画、善き人のためのソナタから、ダス・レーベン・デア・アンデレンでした。」
聞き知ったタイトルだが、観ていない。観たい。

帰宅して、早速調べた。
説明を飛ばし読みした。
2分くらいの動画がネット上に有った。
「レーニンが、このソナタを真剣に聴いた者は誰しも悪人ではいられない、と言った。」
とかなんとか言っている。
その部屋には○と×がいるのだが、カメラは時に△に切り替わる。

もしかして、2時間くらいの映画の中の山場を見ちゃったのか。
あーあ。
↑ネタバレが過ぎるので、一部伏字でお届けいたしました。

観てない映画の音楽だけで、ほんの2分のシーンだけで、目頭が熱くなる。
こんな映画2時間も観るなんて。水分補給してから観ようっと。

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