犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

ゲゲゲの調布発信
犬のこと、人の心身のこと、音楽や自作のいろいろなものについて

気のおけない

2019年07月22日 | 椰子の実の中
昨日は、「女性は同性と思えない」などと書いたけれど、
一方で、女性はやっぱり同性だと感じて暮らしている。
なんのこっちゃい、と思われるかもしれないけれど、
これが私の実際のところだ。

自分が女性ということに違和感を抱きつつも、
周囲からは女性として扱われ、中学高校と女子校で育った。
特別に男友達がいないわけでもないが、
特別に男友達が多いわけでもない。

しかし男性からしてみれば、私を女性としてつまり異性として見る人が
多いように感じる。
ここで私が「異性として見る」と言っているのは、
「恋愛対象として見る」という意味ではない。
単に、自分と違う性別のものとして見る、という意味だけだ。

つまり、私に打ち解けて話してくるのは、
なんとなく女性のほうが多いような感じ、
というのが現状だ。



昨日は、「周囲を見れば異性ばかり」などと書いたけれど、
そんな中で、私は同性といるリラックスを感じる時も有る。
それはしかし、相手が自分をどう見ているか、というところにかかる。
女性か男性かが決め手ではない。
つまり、私を異性と見ている人との間には、
異性だよねという緊張感がどこかしらに有る。

それは別に、シスジェンダー(生まれた性別と自認の性別が一致している人)でも同じことだと思う。
男女の間でも、相手を特に異性として意識しないリラックスした関係は有る。
わざわざこう書くのは、そうでない人もいると思うからだが。



まとめると、
いや、まとまらんな。
まとめるとどうしても取りこぼしが出るが、まとめると。

私は女性に生まれて女性の中で育って、その間も自認は女性ではなくて
かと言って男性ではまるでなく、男性にトランスしたくはない。
自分は女性ではない、という感覚が強いから、女性は自分とは違うものと感じているけれど、
友達として話しやすい、感覚を共有しやすいのは、むしろ女性。



長々と説明している割に、これは実は本題ではないのだ。
私はただ単に、「いやあ最近友達と話しているとね、」と書きたいだけなのだが、
それにもなんだか前提が必要な気がしたのだ。
というのも、ここで言う友達というのは、女性ばかりで、
それはやっぱり同性の友達という感覚だからだ。

それは、その友達も私も現代の日本の社会が持っている
ジェンダーの感覚というものの中で生きているからだろう。

というより何より、「女性は異性」なんて書いたのを付き合いの古い女友達が見て、
「いやん、異性として見られているのね」なんて誤解されたら
困るからだ。



やっとこ本題に入る。
ねちねちと前置きしたのも、友達との話題が「母と娘の関係」とか「介護」だからだ。
「娘」という立場や、「家族の中の女性」といった社会的性役割:ジェンダーと介護は
切っても切れない話になってしまっている。

近年、介護に関しては状況がかなり変わった。
高齢者の人口割合が増え、家族だけで介護するものではないという意識も広がってきた。
とは言え、まだまだ「家族」の中で特に女性の負担は大きいように見える。



今日は前提の話だけ。
本題は明日以降に送ります。サイナラ
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 盆踊り始めました | トップ | みぢかなおさべつ »

コメントを投稿

椰子の実の中」カテゴリの最新記事