昨日は、「女性は同性と思えない」などと書いたけれど、
一方で、女性はやっぱり同性だと感じて暮らしている。
なんのこっちゃい、と思われるかもしれないけれど、
これが私の実際のところだ。
自分が女性ということに違和感を抱きつつも、
周囲からは女性として扱われ、中学高校と女子校で育った。
特別に男友達がいないわけでもないが、
特別に男友達が多いわけでもない。
しかし男性からしてみれば、私を女性としてつまり異性として見る人が
多いように感じる。
ここで私が「異性として見る」と言っているのは、
「恋愛対象として見る」という意味ではない。
単に、自分と違う性別のものとして見る、という意味だけだ。
つまり、私に打ち解けて話してくるのは、
なんとなく女性のほうが多いような感じ、
というのが現状だ。
※
昨日は、「周囲を見れば異性ばかり」などと書いたけれど、
そんな中で、私は同性といるリラックスを感じる時も有る。
それはしかし、相手が自分をどう見ているか、というところにかかる。
女性か男性かが決め手ではない。
つまり、私を異性と見ている人との間には、
異性だよねという緊張感がどこかしらに有る。
それは別に、シスジェンダー(生まれた性別と自認の性別が一致している人)でも同じことだと思う。
男女の間でも、相手を特に異性として意識しないリラックスした関係は有る。
わざわざこう書くのは、そうでない人もいると思うからだが。
※
まとめると、
いや、まとまらんな。
まとめるとどうしても取りこぼしが出るが、まとめると。
私は女性に生まれて女性の中で育って、その間も自認は女性ではなくて
かと言って男性ではまるでなく、男性にトランスしたくはない。
自分は女性ではない、という感覚が強いから、女性は自分とは違うものと感じているけれど、
友達として話しやすい、感覚を共有しやすいのは、むしろ女性。
※
長々と説明している割に、これは実は本題ではないのだ。
私はただ単に、「いやあ最近友達と話しているとね、」と書きたいだけなのだが、
それにもなんだか前提が必要な気がしたのだ。
というのも、ここで言う友達というのは、女性ばかりで、
それはやっぱり同性の友達という感覚だからだ。
それは、その友達も私も現代の日本の社会が持っている
ジェンダーの感覚というものの中で生きているからだろう。
というより何より、「女性は異性」なんて書いたのを付き合いの古い女友達が見て、
「いやん、異性として見られているのね」なんて誤解されたら
困るからだ。
※
やっとこ本題に入る。
ねちねちと前置きしたのも、友達との話題が「母と娘の関係」とか「介護」だからだ。
「娘」という立場や、「家族の中の女性」といった社会的性役割:ジェンダーと介護は
切っても切れない話になってしまっている。
近年、介護に関しては状況がかなり変わった。
高齢者の人口割合が増え、家族だけで介護するものではないという意識も広がってきた。
とは言え、まだまだ「家族」の中で特に女性の負担は大きいように見える。
※
今日は前提の話だけ。
本題は明日以降に送ります。サイナラ
一方で、女性はやっぱり同性だと感じて暮らしている。
なんのこっちゃい、と思われるかもしれないけれど、
これが私の実際のところだ。
自分が女性ということに違和感を抱きつつも、
周囲からは女性として扱われ、中学高校と女子校で育った。
特別に男友達がいないわけでもないが、
特別に男友達が多いわけでもない。
しかし男性からしてみれば、私を女性としてつまり異性として見る人が
多いように感じる。
ここで私が「異性として見る」と言っているのは、
「恋愛対象として見る」という意味ではない。
単に、自分と違う性別のものとして見る、という意味だけだ。
つまり、私に打ち解けて話してくるのは、
なんとなく女性のほうが多いような感じ、
というのが現状だ。
※
昨日は、「周囲を見れば異性ばかり」などと書いたけれど、
そんな中で、私は同性といるリラックスを感じる時も有る。
それはしかし、相手が自分をどう見ているか、というところにかかる。
女性か男性かが決め手ではない。
つまり、私を異性と見ている人との間には、
異性だよねという緊張感がどこかしらに有る。
それは別に、シスジェンダー(生まれた性別と自認の性別が一致している人)でも同じことだと思う。
男女の間でも、相手を特に異性として意識しないリラックスした関係は有る。
わざわざこう書くのは、そうでない人もいると思うからだが。
※
まとめると、
いや、まとまらんな。
まとめるとどうしても取りこぼしが出るが、まとめると。
私は女性に生まれて女性の中で育って、その間も自認は女性ではなくて
かと言って男性ではまるでなく、男性にトランスしたくはない。
自分は女性ではない、という感覚が強いから、女性は自分とは違うものと感じているけれど、
友達として話しやすい、感覚を共有しやすいのは、むしろ女性。
※
長々と説明している割に、これは実は本題ではないのだ。
私はただ単に、「いやあ最近友達と話しているとね、」と書きたいだけなのだが、
それにもなんだか前提が必要な気がしたのだ。
というのも、ここで言う友達というのは、女性ばかりで、
それはやっぱり同性の友達という感覚だからだ。
それは、その友達も私も現代の日本の社会が持っている
ジェンダーの感覚というものの中で生きているからだろう。
というより何より、「女性は異性」なんて書いたのを付き合いの古い女友達が見て、
「いやん、異性として見られているのね」なんて誤解されたら
困るからだ。
※
やっとこ本題に入る。
ねちねちと前置きしたのも、友達との話題が「母と娘の関係」とか「介護」だからだ。
「娘」という立場や、「家族の中の女性」といった社会的性役割:ジェンダーと介護は
切っても切れない話になってしまっている。
近年、介護に関しては状況がかなり変わった。
高齢者の人口割合が増え、家族だけで介護するものではないという意識も広がってきた。
とは言え、まだまだ「家族」の中で特に女性の負担は大きいように見える。
※
今日は前提の話だけ。
本題は明日以降に送ります。サイナラ
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