[あらすじ] 女友達とおしゃべりしていると、「母と娘の関係」や「親の介護」の話題が多いよ。
「母」というものは、「家族の中の女性代表」として、強くジェンダーに囚われてきている。
「娘」はその「母」を「補佐」するジェンダー、のような観念が有ったと思う。
ただ、娘の世代になると、そういった性別役割の観念が、前世代よりは弱まっている。
"娘がちゃんと家庭の中の役割を果たさない"と見えるのには、
「母」が親だからという単純な理由と、「母」が一つ前の世代だからという格差が関わっていると思う。
そういう、ちょいと古いジェンダー認識を持つ世代の人を
比較的新しいジェンダー認識を持つ我々が、介護するわけである。
そりゃあ、ご期待に沿えない部分も多々出てくると思う。
※
近年、介護に関しては状況がかなり変わった。
高齢者の人口割合が増え、家族だけで介護するものではないという意識も広がってきた。
実際のところ、家の中だけでは間に合わないのである。
そういう中でも、まだまだ「家族」の中で特に女性の負担は大きいように見える。
※
私が生まれた時、当時としては”マルコー“つまり高齢出産だった。
今では36歳で出産など珍しくもないだろうが、
当時はそんなハンコがつかれたのだ。
同世代の中で私は親が高齢のほうだ。
ただ、齢を取って介護というのと、病気を持って自宅療養というのと、
家の中ではあれこれ同時に起こるものだ。
私の親より若い親たちでも、病みついたり認知症になったりしている。
※
親世代の世話を見ることで、接触が多くなる。
別々に暮らしていても、会いに行く頻度が高くなったり、
離れて暮らしていても、電話が多くなったり、
同居なら同居で付き添う時間が増えたり。
会話が増える。
あれこれの話をする。
その中で、親の価値観に触れることになる。
※
私も先日ここで、母が板前と結婚した知人を珍しいと言った話を書いた。
職業に何かしらの格差をもって見ているのだ。
イヤなことだと思っていたが、どうも、
友達と話していると、底の泥からボコボコとガスが湧き出て来る。
いろんな友達の、いろんな親が、あの手この手で人を見下げる。
「公務員じゃないとダメ」と言うとか、
逆に「公務員をバカにしている」とか、
「サラリーマンを見下している」とか、
逆に「自営業じゃ気楽だな」と言うとか、
「大学も出ていないのか」と言うとか、
逆に「教師は学校しか見ていなくて社会を知らない」と言うとか、
出るわ出るわ。
職業、学歴、貧富、出身、
どこに住んでいるか、政治思想は、宗教は、
なんならその人の親の職業までさかのぼって人を見る。
何十年と生きている中で、たくさんの経験あるいはほんのいくつかの経験で
印象付けられたのであろう偏った見方を、
自分の子どもには気を許してしゃべってしまうのだろうか。
いやいや、多くの子どもが自分の親の偏見をひどく不快に思っている。
※
そのくせ何かの折に「差別はいけない」などと言ったりするから
こちらは自分の鼓膜がどうかしたかと思う。
※
何かとこじつけて人を見下すことをする人を
尊敬するのは難しい。
そして、友達が口を揃えて言うのが、
「自分もあんなになるのかと思うと怖いわ。」
そりゃもう、自分次第。
反面教師にしっかり習うか、影響されてしまうのか、どうか。
「なるのかと思う」のは怖い。
ここは、「なるまい。」と言い切って、生きよう。
「母」というものは、「家族の中の女性代表」として、強くジェンダーに囚われてきている。
「娘」はその「母」を「補佐」するジェンダー、のような観念が有ったと思う。
ただ、娘の世代になると、そういった性別役割の観念が、前世代よりは弱まっている。
"娘がちゃんと家庭の中の役割を果たさない"と見えるのには、
「母」が親だからという単純な理由と、「母」が一つ前の世代だからという格差が関わっていると思う。
そういう、ちょいと古いジェンダー認識を持つ世代の人を
比較的新しいジェンダー認識を持つ我々が、介護するわけである。
そりゃあ、ご期待に沿えない部分も多々出てくると思う。
※
近年、介護に関しては状況がかなり変わった。
高齢者の人口割合が増え、家族だけで介護するものではないという意識も広がってきた。
実際のところ、家の中だけでは間に合わないのである。
そういう中でも、まだまだ「家族」の中で特に女性の負担は大きいように見える。
※
私が生まれた時、当時としては”マルコー“つまり高齢出産だった。
今では36歳で出産など珍しくもないだろうが、
当時はそんなハンコがつかれたのだ。
同世代の中で私は親が高齢のほうだ。
ただ、齢を取って介護というのと、病気を持って自宅療養というのと、
家の中ではあれこれ同時に起こるものだ。
私の親より若い親たちでも、病みついたり認知症になったりしている。
※
親世代の世話を見ることで、接触が多くなる。
別々に暮らしていても、会いに行く頻度が高くなったり、
離れて暮らしていても、電話が多くなったり、
同居なら同居で付き添う時間が増えたり。
会話が増える。
あれこれの話をする。
その中で、親の価値観に触れることになる。
※
私も先日ここで、母が板前と結婚した知人を珍しいと言った話を書いた。
職業に何かしらの格差をもって見ているのだ。
イヤなことだと思っていたが、どうも、
友達と話していると、底の泥からボコボコとガスが湧き出て来る。
いろんな友達の、いろんな親が、あの手この手で人を見下げる。
「公務員じゃないとダメ」と言うとか、
逆に「公務員をバカにしている」とか、
「サラリーマンを見下している」とか、
逆に「自営業じゃ気楽だな」と言うとか、
「大学も出ていないのか」と言うとか、
逆に「教師は学校しか見ていなくて社会を知らない」と言うとか、
出るわ出るわ。
職業、学歴、貧富、出身、
どこに住んでいるか、政治思想は、宗教は、
なんならその人の親の職業までさかのぼって人を見る。
何十年と生きている中で、たくさんの経験あるいはほんのいくつかの経験で
印象付けられたのであろう偏った見方を、
自分の子どもには気を許してしゃべってしまうのだろうか。
いやいや、多くの子どもが自分の親の偏見をひどく不快に思っている。
※
そのくせ何かの折に「差別はいけない」などと言ったりするから
こちらは自分の鼓膜がどうかしたかと思う。
※
何かとこじつけて人を見下すことをする人を
尊敬するのは難しい。
そして、友達が口を揃えて言うのが、
「自分もあんなになるのかと思うと怖いわ。」
そりゃもう、自分次第。
反面教師にしっかり習うか、影響されてしまうのか、どうか。
「なるのかと思う」のは怖い。
ここは、「なるまい。」と言い切って、生きよう。
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