犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

ゲゲゲの調布発信
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腰痛がおさまった

2023年03月22日 | からだ
どういうタイミングだか分からないのだが、腰の痛みが引いた。



先々週、特別養護老人ホームで暮らす母を
3ヶ月に1回、大学病院に連れて行く日が有った。

以前は、この日が気重で、
受信日の1週間前くらいからなんとなく気分も身体も
重たく冴えなくなった。

受診が2ヶ月に1回から3ヶ月に1回に減り、
負担が軽くなった。

また、3ヶ月前の前回の受診時に母と会話していたら、
いろいろな記憶がすっぽ抜けていることが分かった。
ケアマネージャーさんの言うように、認知症状が進んできているようだ。

そんなら、母が子どもだった頃の話をもっと聞いてみようかな、
などと考えたりした。
ムカシばなしをするのは楽しい。
本人が楽しく話してくれるから、聞いていても楽しく、
質問を重ねることもできる。

なまじっか意欲が有ると、
「夫の没後十年文集を作りたい。
縁の有った人達に原稿を募って云々」と
本人の力では不可能な事を言い始めてしまう。

あるいは「今日はうまくしゃべれない」、
なぜ今日はうまくしゃべれないかの説明をずっとしゃべる。
という非常に矛盾した話を延々と聞かされたりする。
受け流しときゃ良いのだが、
けっこう引っ掛かってしまったりする。

それが、少々ボケたせいか、会話が楽になった。
ひどく煙たく思っていた母が、ちょいと愛おしく見える時すら有るようになった。
髪が乱れていたらちょいと撫でてやったりもできる。



しかし今回の受診の朝、
車椅子から乗用車の助手席への移乗の際のこと。
ケアマネージャーが移乗させてくれている、
その背後から更にサポートしようとした。

パーキンソン病で思うように身体が動かせない状態である。
「お膝を曲げられますかー?」と声掛けしてもらっても、
脚は突っ張ったままである。

その脚を曲げるために、私はいつも
介護者の更に背後から、自分の足を使って蹴り上げるような形で
母の足を車に収めていた。

今回も同じ動作をしたら、
途端に腰に痛みが走った。



その日はその後、病院に着いて車から車椅子への移乗、
病院から帰るために車椅子から車への移乗、
ホームに着いて車から車椅子への移乗を、
私はぎゃん痛む腰で行った。

夕方、犬の散歩に出た。
歩くと、左の股関節が外れそうな不安感が有って、痛い。

椅子に腰掛けているのもしんどい、という状態が数日続いた。
ああ、これは一般的に言うぎっくり腰ってヤツ?

でもまあ心因性だよね、と私は思う。
だから、動いたらどうこうなるわけではない。と思うので、
重い物を持って腰が痛かったり、歩いて痛かったりしても、
あまり心配には思わない。

でも早く治って欲しい。
だから、「これは脳の創り出した痛みである」ということを
繰り返し繰り返し思い返したり、
自分のできる治療法を続けてみたりした。

じわじわとマシになったが、解決するというほどの変化は無い。
初日の痛みが10だとしたら、7くらいがずっと続いた。



物理的な負荷が掛かった、という事が有っても、
その物理的な負荷が腰痛の原因かというと、そうでもなかったりする。
「物理的な負荷が有ったんだから」と思うことで、
心因性の痛みである、という選択肢が捨てられる。

心の問題に直面することは、しんどい。
しんどい作業を回避するために、脳は、当面最大の問題として身体に強い痛みを起こす。
痛いと他のこと考えらんないもんね。

この構造を知ることで、
私は以前、10年ほど続いていた腰痛から脱け出すことができた。

今はどうだ。
今回も同じようにできるんじゃないか?



いや、今回は、その構造を知ることだけでは痛みを消せないかもしれない、
心の問題そのものに対面する必要が有るんじゃないだろうか?
では今この痛みの原因となっている心の問題って、何だろう?
わー、私の心の問題なんて、あれこれ有ってどれが今の痛みと関連しているのかなんて、
見当もつかないわい。
とりあえず、心の問題を片っぱしから当たってみるか。



いや、そこにこだわり過ぎてやしないだろうか。
この腰痛は心因性、ということ、そこにこだわり過ぎなんじゃなかろうか。
そこが心の問題なんじゃないか。
あれ?矛盾している?

とまあ、何日も痛みが続くと、考えがまとまらなくなってくる。



10日後の夕方の犬の散歩で歩いていて、
おや?痛みが無い、不安感はまったく無い。
と、気付いた。

何がどう功を奏したのか、分けて考えることは難しいが、
とにかく、急転した。

痛みが出た原因は、痛みが出た時のできごとが原因だと考えることが
当たり前のようである。
だったら、
その日に痛みが引いたのなら、その日のできごとが痛みの引いた原因と考えるのが
当たり前ということになる。
そうかいな。

その日を振り返ってみよう。


つづく
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