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以前から行きたい行きたいと思っていた練馬区立牧野記念庭園に
やっと行った。
牧野富太郎(1862-1957)は、植物博士だ。
現代の日本で、植物図鑑を作った人。
植物図鑑と言えば「マキノ」と言うくらいの人。
牧野の図鑑は、図版がすべて牧野の自筆だ。
とにかくあらゆる植物の標本を取り、それをスケッチし尽くした人なのだ。
高知の造り酒屋の息子だったが、植物研究に没頭し、店はひとに譲った。
後に大学に勤め、博士号も与えられることにはなるが、
学校には少ししか通っておらず、植物はとにかく自力で標本を集めて学んだ。
それを誇りにしていた。
東京渋谷の自宅は標本でいっぱいだったが、
震災などのおそれの少ない大泉へ移転し、その跡地が記念庭園となっているわけだ。
園内には古い書斎を移築して、コンクリの建物で守ってある。
埴沙萠 (はに しゃ ぼう) 青年は、サボテンの研究をしていた。
20代の頃、牧野のサボテンに関する記述に疑問を抱き、
大泉の家を訪ねたそうだ。
牧野はすでに90代であり、「そうか、きみこれから研究してください」と答え、
埴青年はすっかり気勢をそがれてむしろ励まされたそうだ。
その埴もこの展覧会の企画を進める中、今年2月に85歳で亡くなった。
サボテンの研究から、植物専門の写真家へと転じた。
展示には、毎日野山を歩く中で撮った成果の数々がある。
足元の小さな芽生えや、ふつうにしていては見えることのないきのこの胞子などを
レンズでしっかり捕らえる。
私なんぞ「きもちいいねー」なんてズカズカ歩いて蹴散らかしているだろう
小さなものどもが主役になっている。
見たことも無い世界だ。
明日まで
http://www.makinoteien.jp/
やっと行った。
牧野富太郎(1862-1957)は、植物博士だ。
現代の日本で、植物図鑑を作った人。
植物図鑑と言えば「マキノ」と言うくらいの人。
牧野の図鑑は、図版がすべて牧野の自筆だ。
とにかくあらゆる植物の標本を取り、それをスケッチし尽くした人なのだ。
高知の造り酒屋の息子だったが、植物研究に没頭し、店はひとに譲った。
後に大学に勤め、博士号も与えられることにはなるが、
学校には少ししか通っておらず、植物はとにかく自力で標本を集めて学んだ。
それを誇りにしていた。
東京渋谷の自宅は標本でいっぱいだったが、
震災などのおそれの少ない大泉へ移転し、その跡地が記念庭園となっているわけだ。
園内には古い書斎を移築して、コンクリの建物で守ってある。
埴沙萠 (はに しゃ ぼう) 青年は、サボテンの研究をしていた。
20代の頃、牧野のサボテンに関する記述に疑問を抱き、
大泉の家を訪ねたそうだ。
牧野はすでに90代であり、「そうか、きみこれから研究してください」と答え、
埴青年はすっかり気勢をそがれてむしろ励まされたそうだ。
その埴もこの展覧会の企画を進める中、今年2月に85歳で亡くなった。
サボテンの研究から、植物専門の写真家へと転じた。
展示には、毎日野山を歩く中で撮った成果の数々がある。
足元の小さな芽生えや、ふつうにしていては見えることのないきのこの胞子などを
レンズでしっかり捕らえる。
私なんぞ「きもちいいねー」なんてズカズカ歩いて蹴散らかしているだろう
小さなものどもが主役になっている。
見たことも無い世界だ。
明日まで
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