[あらすじ] 事実と思っていることは、実は自分のフィルターがかかっている。
区別すると、生きやすくなる。
偏った考えにとらわれているから、苦しい。
その考えが、偏っていることをはっきり知り、他の考え方は無いか探すのが
認知療法と言えるか。
自分の考えのゆがみに気付き、他の考えを見つけるために、
認知療法ではシートに書き出す作業をする。
ここに、いくつかの方法がある。
いちいちここで紹介しない。
言葉で説明するより、実際のやり方を見たほうが分かりいいと思うからだ。
(ほんの一例)
http://mental-gifu.jp/archives/1301
http://psychotoolbox.web.fc2.com/CBT/b_s.htm
http://www.eijinkai.or.jp/cbt.html
だいたい、自分の中にある「否定的な考え」、
「その考えが起きた理由となるできごと」、
「そのときの感情」、
「他にできる考え方」、
「そのために具体的にできること」
などを書くようになっている。
認知療法は良かった、これでものの受け取り方がずいぶん変わった、
というようなことを書いているが、
実は私は、マジメにシートを書いたことは無い。
頭の中でやった。
そもそも批判的でひねくれたところがあるので、
自分が思ったことに対して、いちいち反対のことを考えてみるようにしたのだ。
名付けてセルフツッコミ法。
追い詰められていると、「もうダメだ」とか「続ける価値が無い」とか
「生きていてもしかたない」とかいったふうに
「絶対こうだ」という極端な考え方になりがちだ。
だが、そんなに偏った考えでも、いや、そんなに極端だからこそ、ツッコミどころはある。
他人になったつもりで、自分の考えにツッコミを入れる。
こういうことをやっていると、
自分のおちいりやすい否定的な考え方のクセがあることに気付く。
それに気付くと今度は、その考え方に向かって行く途中の段階でも気付くようになる。
そうなってくると、這い上がるには困難な苦しい考えにまで陥る前に、
「おっとっと、この調子で考えると行き詰まる」と、早々に方向転換することが
できるようになる。
肝腎なのは、自分の考え方が正しいわけではない、それが全てではない、
と気付くことだろう。
区別すると、生きやすくなる。
偏った考えにとらわれているから、苦しい。
その考えが、偏っていることをはっきり知り、他の考え方は無いか探すのが
認知療法と言えるか。
自分の考えのゆがみに気付き、他の考えを見つけるために、
認知療法ではシートに書き出す作業をする。
ここに、いくつかの方法がある。
いちいちここで紹介しない。
言葉で説明するより、実際のやり方を見たほうが分かりいいと思うからだ。
(ほんの一例)
http://mental-gifu.jp/archives/1301
http://psychotoolbox.web.fc2.com/CBT/b_s.htm
http://www.eijinkai.or.jp/cbt.html
だいたい、自分の中にある「否定的な考え」、
「その考えが起きた理由となるできごと」、
「そのときの感情」、
「他にできる考え方」、
「そのために具体的にできること」
などを書くようになっている。
認知療法は良かった、これでものの受け取り方がずいぶん変わった、
というようなことを書いているが、
実は私は、マジメにシートを書いたことは無い。
頭の中でやった。
そもそも批判的でひねくれたところがあるので、
自分が思ったことに対して、いちいち反対のことを考えてみるようにしたのだ。
名付けてセルフツッコミ法。
追い詰められていると、「もうダメだ」とか「続ける価値が無い」とか
「生きていてもしかたない」とかいったふうに
「絶対こうだ」という極端な考え方になりがちだ。
だが、そんなに偏った考えでも、いや、そんなに極端だからこそ、ツッコミどころはある。
他人になったつもりで、自分の考えにツッコミを入れる。
こういうことをやっていると、
自分のおちいりやすい否定的な考え方のクセがあることに気付く。
それに気付くと今度は、その考え方に向かって行く途中の段階でも気付くようになる。
そうなってくると、這い上がるには困難な苦しい考えにまで陥る前に、
「おっとっと、この調子で考えると行き詰まる」と、早々に方向転換することが
できるようになる。
肝腎なのは、自分の考え方が正しいわけではない、それが全てではない、
と気付くことだろう。
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