犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

ゲゲゲの調布発信
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壊れたらそれではなくなる

2022年03月08日 | 椰子の実の中
[あらすじ] その物がその物であるということはどういうことか。
部品の寄せ集めだけではなく、そこに機能が宿っていることも必要になる。
インド人が甕を定義すると、腹が丸くて、底が平たくて、水を入れておける物、
ということになる。
割れたらそれはもう甕ではない。

けれども私は廃車を見たらまず「車」だと思う。
飾られているだけの楽器も「楽器」だと思う。
違うのか?


壊れた物はもう元の物ではないと言うのか。
そんな事を考えていたら、やたらに壊れた物に目がとまるようになった。

何年も乗っていない廃車は、意外とあちこちの家に有る。
地域の高齢化が背景に有る。
屋根の崩れた家。
壁土の剥がれた家。
チェーンの切れた自転車。

壊れてはいれば、直せば使える物。
直すつもりが有るから捨てずに置いてあるのか。
物が大きいほど、捨てるにも手間が要る。それを怠っているだけなのか。
使っていた頃の思い出と共に、捨てる気持ちになれないのか。



車の窓ガラスが割れているとか、あちこち錆びているとか、
全輪パンクしているとか、エンジンがかからないとか、
とにかくぺしゃんこだとか、
見た目での壊れ方は分かりやすい。

燃料を送る仕組みがうまく作動していないとか、
どこかが断線しているとかショートしているとか、
コンピューターが正常に作動しないとか、
目に見えない壊れ方は、素人には分からない。

直して使えるのか。
廃車にすべきなのか。



壊れてしまっても価値を持ち続ける物も有る。

思い出の品。
先祖代々の品。
ある作家の作品。

水を入れるという機能がともなってこそ甕であるわけだが、
割れてしまっていても、
誰それの作品であったり、古代の物であったりすれば、
たとえカケラでも保管する価値が有ったりする。



あーあ。
物以外にも、壊れるものは有るなあ。

親子関係、きょうだい関係、親戚付き合い、ご近所付き合い、
友人関係、恋愛関係、夫婦の関係、
上司と部下、同僚との付き合いなどなど。

人間関係だとなおさら、壊れたから捨てる、というほど
簡単にいかない。
かと言ってかかづらっているとお互いの傷が深まることも有る。

何をもって壊れたと思うのか、
修復は可能なのか。
難しい。

物が壊れた時に、その定義は壊れ、
その物はその物でなくなるとインド人は言う。
割れた甕は甕ではないのだ。

人間関係が壊れたら、
「〇〇ちゃんはもう友達じゃないっ」とか
「おまえとはもう親子でもなんでもない」とか
「離縁だ」とかいうことに
なるわけだな。
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