![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/c4/32dfe8ad7ce4b0be3be8df772c046913.jpg)
縦樋が詰まってしまって、雨樋のから溢れた雨水が滝のように落ちていることは、
もう何年も前から気になっていながらほったらかしていた。
それでも一度、やらねばと思って部品だけ買ってあった。
掃除するには一旦切って外さねば、と思って、
縦樋と継手と斜めの角だけ買ってあった。
[あらすじ] たくさん貰った薪を朽ちさせたくないので、
ちゃんと屋根の下に収めたい。
薪小屋を新たに作るために、木を伐ってスペースを作ったら
今度は家の外壁や破風板が傷んでいるのが顕わになったので、
塗装し直した。
なんだかんだで一向に薪小屋に着手できない。
薪小屋も大事なのだが、
自分の小屋は更に大事なのである。
だからせいぜいせっせと修繕する。
※
数ある古典落語の中でも『寿限無』はよく知られていると思う。
子どもの頃、小学校の図書室に並んでいた興津要さんの古典落語全集を
かたっぱしから読んだ。
なぜか同級生には自分で落語をやる男子もいた。
私にとって落語は当たり前に身の周りに有った。
亡父はたまに末廣亭に寄って帰って来た。
一度、寄席に連れて行ってもらったことが有る。
当時、人気絶頂だった川柳の「ガーコン」を生で見た。
さいたまんぞうさんの「なぜか埼玉」も生で聞いた。
トロンボーン漫談のボンサイトさんも見た。
中学に入ってトロンボーンを始めたので、
ボンサイトさんの曲吹きを真似して先輩に怒られた。
おや。色物の話が多いな。
落語の流派による違いや、噺家によって得意が色々なところなどといった楽しみは
後々知っていくことになる。
子ども向けの教育テレビ番組で「寿限無」が紹介されたことが有った。
15年くらい前だっけ?
今、二十代の人もけっこう「寿限無」を諳んじているのではないだろうか。
流派によって「寿限無」の文句がちょびっと違う。
私が憶えているのはこうだ。
寿限無寿限無 五劫のすりきれ 海砂利水魚の水行末 雲来末 風来末
食う寝るところに住むところ やぶらこうじのぶらこうじ
パイポパイポ パイポのシューリンガン シューリンガンのグーリンダイ
グーリンダイのポンポコピーのポンポコナの長久命の長助
生まれた子どもに「なにかこう死なねえ保証つきというような」名前を付けてくれと
寺の和尚に頼む。
鶴は千年で鶴太郎、亀は万年で亀之助と言われても、
千年万年では限りが有るのでいけない。
それでは「寿(よわい)限り無しと書いて寿限無」ではどうか。
そりゃあいい、ってことになるが、それだけでは満足しない。
他にも無いかまだ無いかと聞き出しためでたい言葉を
悔いの無いように全部付けてしまう。
※
この中に
「食う寝るところに住むところ」というのが有る。
和尚は言う。
「人間、衣食住のうち、一つが欠けても生きてはいけない。」
異論が無くもないけれど、大いに頷ける。
雨風をしのげる屋根と壁、湿気や虫から離してくれる床が有るというのは
本当に有難い。
毎年、梅雨入り前の時季になると、夕方の気分がたいへん良いので
ついつい近所の丘の上でビール飲みながら本なんか読んで
湿気と風に中ってまんまと体調を崩す。
おとなしく家の中にいれば良いのだ。
そこへいくてえと「家康」なんてのは
実に良い名前だ。
家康ければ国も康かろうて。
※
集水器に水が入っていく口の手前で落ち葉を止めたい。
ためしに、金網を置いてみた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/bb/3ed42817b700dd11c1227b33e35d7bce.jpg)
うまくいくだろうか。
せめて、これで掃除しやすくなれば良いと考えている。
※
縦樋に移行する斜めクランクの部分に朽葉が詰まって
雨樋が溢れて滝のように落ちるのである。
そこで、掃除するために斜めクランク部分を外した。
早く組み立て直さないと、雨のたびにまた滝が落ちる。
我が家の雨樋は黒ではない、と思って、
新茶色の部品を買ってあった。
しかし、この度、間近で見たら黒であった。
黒ではあるが、築45年の時を経て、色褪せているのだ。
買ってあった分ではどうせ足りないので、
新しく継手などを買った。
そんな次第で、補修した部分はツギハギになった。
新しい部品は黒くツヤツヤしているし、
買ってあった部品は新茶色だし。
しかし、破風板に選んだ「チョコレート色」と雨樋の「しん茶」色が
かなり近い。(たまたま)
次に掃除する時に外しやすいように、
縦樋に繋ぐ位置はあえて接着しなかった。
パイプと継手パーツはかなりきっちり嵌まるようにできているから、
大丈夫なんではないかと期待している。
もう何年も前から気になっていながらほったらかしていた。
それでも一度、やらねばと思って部品だけ買ってあった。
掃除するには一旦切って外さねば、と思って、
縦樋と継手と斜めの角だけ買ってあった。
[あらすじ] たくさん貰った薪を朽ちさせたくないので、
ちゃんと屋根の下に収めたい。
薪小屋を新たに作るために、木を伐ってスペースを作ったら
今度は家の外壁や破風板が傷んでいるのが顕わになったので、
塗装し直した。
なんだかんだで一向に薪小屋に着手できない。
薪小屋も大事なのだが、
自分の小屋は更に大事なのである。
だからせいぜいせっせと修繕する。
※
数ある古典落語の中でも『寿限無』はよく知られていると思う。
子どもの頃、小学校の図書室に並んでいた興津要さんの古典落語全集を
かたっぱしから読んだ。
なぜか同級生には自分で落語をやる男子もいた。
私にとって落語は当たり前に身の周りに有った。
亡父はたまに末廣亭に寄って帰って来た。
一度、寄席に連れて行ってもらったことが有る。
当時、人気絶頂だった川柳の「ガーコン」を生で見た。
さいたまんぞうさんの「なぜか埼玉」も生で聞いた。
トロンボーン漫談のボンサイトさんも見た。
中学に入ってトロンボーンを始めたので、
ボンサイトさんの曲吹きを真似して先輩に怒られた。
おや。色物の話が多いな。
落語の流派による違いや、噺家によって得意が色々なところなどといった楽しみは
後々知っていくことになる。
子ども向けの教育テレビ番組で「寿限無」が紹介されたことが有った。
15年くらい前だっけ?
今、二十代の人もけっこう「寿限無」を諳んじているのではないだろうか。
流派によって「寿限無」の文句がちょびっと違う。
私が憶えているのはこうだ。
寿限無寿限無 五劫のすりきれ 海砂利水魚の水行末 雲来末 風来末
食う寝るところに住むところ やぶらこうじのぶらこうじ
パイポパイポ パイポのシューリンガン シューリンガンのグーリンダイ
グーリンダイのポンポコピーのポンポコナの長久命の長助
生まれた子どもに「なにかこう死なねえ保証つきというような」名前を付けてくれと
寺の和尚に頼む。
鶴は千年で鶴太郎、亀は万年で亀之助と言われても、
千年万年では限りが有るのでいけない。
それでは「寿(よわい)限り無しと書いて寿限無」ではどうか。
そりゃあいい、ってことになるが、それだけでは満足しない。
他にも無いかまだ無いかと聞き出しためでたい言葉を
悔いの無いように全部付けてしまう。
※
この中に
「食う寝るところに住むところ」というのが有る。
和尚は言う。
「人間、衣食住のうち、一つが欠けても生きてはいけない。」
異論が無くもないけれど、大いに頷ける。
雨風をしのげる屋根と壁、湿気や虫から離してくれる床が有るというのは
本当に有難い。
毎年、梅雨入り前の時季になると、夕方の気分がたいへん良いので
ついつい近所の丘の上でビール飲みながら本なんか読んで
湿気と風に中ってまんまと体調を崩す。
おとなしく家の中にいれば良いのだ。
そこへいくてえと「家康」なんてのは
実に良い名前だ。
家康ければ国も康かろうて。
※
集水器に水が入っていく口の手前で落ち葉を止めたい。
ためしに、金網を置いてみた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/bb/3ed42817b700dd11c1227b33e35d7bce.jpg)
うまくいくだろうか。
せめて、これで掃除しやすくなれば良いと考えている。
※
縦樋に移行する斜めクランクの部分に朽葉が詰まって
雨樋が溢れて滝のように落ちるのである。
そこで、掃除するために斜めクランク部分を外した。
早く組み立て直さないと、雨のたびにまた滝が落ちる。
我が家の雨樋は黒ではない、と思って、
新茶色の部品を買ってあった。
しかし、この度、間近で見たら黒であった。
黒ではあるが、築45年の時を経て、色褪せているのだ。
買ってあった分ではどうせ足りないので、
新しく継手などを買った。
そんな次第で、補修した部分はツギハギになった。
新しい部品は黒くツヤツヤしているし、
買ってあった部品は新茶色だし。
しかし、破風板に選んだ「チョコレート色」と雨樋の「しん茶」色が
かなり近い。(たまたま)
次に掃除する時に外しやすいように、
縦樋に繋ぐ位置はあえて接着しなかった。
パイプと継手パーツはかなりきっちり嵌まるようにできているから、
大丈夫なんではないかと期待している。
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