[あらすじ] 草書の代表的な手本である孫過庭の「書譜」の一部分をよく読む。
或乃 就分布於累年 向規矩而猶遠
圖眞不悟 習草將迷
つまり、文字の配置や構成について何年も研究しても、法則についてはほど遠く、
楷書を書こうとしても悟れず、草書を習っても迷うばかりだ。
「規矩」というのは法則とかルールとかいった意味で、
「規」ぶん回しつまりコンパスのこと、「矩」は定規のこと。
今でも規則とか規範とか言う言葉の元には、
文房具を使ってきちんと引いた線というようなイメージがあるわけだ。
「真」とは楷書のこと。
漢字は古い時代は篆書が正式な書体であった。
そのうち、下々の者が使っていた隷書がその位置に取って代わり、
さらに時代が下って楷書が成立して形が整うと、楷書がおかみの使う書体となった。
それに対して行書や草書は日常に使う書体というわけだ。
正式な書体のことを、「正体」とか「真」とか呼んだ。
假令 薄解草書 粗傳隸法
則 好溺偏固 自閡通規
たとえ草書を少々理解し、隷法をそこそこ伝授されたとおもっても、
それは偏屈頑固に勝手に溺れて、自らただしい法則への道をふさいでしまっているだけだ。
「或乃」や「假令」や「則」や後で出てくる「加以」は接続詞であって、
それを除いた部分が四六駢儷体(しろくべんれいたい)の調子に乗っている。
日本に置き換えたら、七五調で書いているところどころで、
「つまり」とか「しかし」とか言っているようで、奇妙な感じがしておもしろい。
さてここで、「隸法」という言葉が出てくる。
隷書のことだと思うのだが、どの訳を見ても「楷書」と訳している。
インターネットで調べて現代中国語の訳を見ても「楷書」となっている。
訳注が入っている本を見ても、ここに注は無い。
隷法と言って、なぜ楷書と訳すのか。
この後も草書と楷書を対照的に取り上げて述べているからだろうか。
ここが一番引っかかっているのだが、まだ調べがつかない。
書譜はずいぶん多くの人が習っていると思うのだが、
訳のテキストに種類は多くなく、古い訳がずっと参考にされているようだ。
さかのぼって調べていけば、ここを楷書と訳したもとが見つかるかもしれない。
おもしろいけど時間かかり過ぎるわ。
どなたかご存じだったら教えてください。
加以 趨變適時 行書為要
題勒方畐 眞乃居先
草不兼眞 殆於專謹
眞不通草 殊非翰札
しかのみならず 吏におもむき時にかなうは、行書を妥と為す。
題勒方畐は、真すなわち先に居る。
草のみにて真を兼ねずんば、専謹にあやうく、
真のみにて草に通ぜずんば、ことに翰札に非なり。
ここで、訳では「妥」としているが、
あるテキストではここを「要」と読んでいる。
なるほど、草書で書くと似たような形になる。
書道大字典などで「妥」と「要」のいろいろを見比べて、
ここは「妥」と見るのが妥当ではないかと私は思った。
「要」だったら、「女」の部分に入る時に右旋回するんじゃないだろうか。
草書はこういう時に本当に便利なんだろうか。
くずした結果の形がそっくりで、後に読んだ人が読み違えてもしかたないような場合、
筆者の真意が伝わらないという事故も起きてしまいそうだ。
自分用のノートを書くのは草書が妥当だが、
ひろく人に読んでもらう書論を書くのには楷書が必要なのではないだろうか。
と、マネして言ってみる。
或乃 就分布於累年 向規矩而猶遠
圖眞不悟 習草將迷
つまり、文字の配置や構成について何年も研究しても、法則についてはほど遠く、
楷書を書こうとしても悟れず、草書を習っても迷うばかりだ。
「規矩」というのは法則とかルールとかいった意味で、
「規」ぶん回しつまりコンパスのこと、「矩」は定規のこと。
今でも規則とか規範とか言う言葉の元には、
文房具を使ってきちんと引いた線というようなイメージがあるわけだ。
「真」とは楷書のこと。
漢字は古い時代は篆書が正式な書体であった。
そのうち、下々の者が使っていた隷書がその位置に取って代わり、
さらに時代が下って楷書が成立して形が整うと、楷書がおかみの使う書体となった。
それに対して行書や草書は日常に使う書体というわけだ。
正式な書体のことを、「正体」とか「真」とか呼んだ。
假令 薄解草書 粗傳隸法
則 好溺偏固 自閡通規
たとえ草書を少々理解し、隷法をそこそこ伝授されたとおもっても、
それは偏屈頑固に勝手に溺れて、自らただしい法則への道をふさいでしまっているだけだ。
「或乃」や「假令」や「則」や後で出てくる「加以」は接続詞であって、
それを除いた部分が四六駢儷体(しろくべんれいたい)の調子に乗っている。
日本に置き換えたら、七五調で書いているところどころで、
「つまり」とか「しかし」とか言っているようで、奇妙な感じがしておもしろい。
さてここで、「隸法」という言葉が出てくる。
隷書のことだと思うのだが、どの訳を見ても「楷書」と訳している。
インターネットで調べて現代中国語の訳を見ても「楷書」となっている。
訳注が入っている本を見ても、ここに注は無い。
隷法と言って、なぜ楷書と訳すのか。
この後も草書と楷書を対照的に取り上げて述べているからだろうか。
ここが一番引っかかっているのだが、まだ調べがつかない。
書譜はずいぶん多くの人が習っていると思うのだが、
訳のテキストに種類は多くなく、古い訳がずっと参考にされているようだ。
さかのぼって調べていけば、ここを楷書と訳したもとが見つかるかもしれない。
おもしろいけど時間かかり過ぎるわ。
どなたかご存じだったら教えてください。
加以 趨變適時 行書為要
題勒方畐 眞乃居先
草不兼眞 殆於專謹
眞不通草 殊非翰札
しかのみならず 吏におもむき時にかなうは、行書を妥と為す。
題勒方畐は、真すなわち先に居る。
草のみにて真を兼ねずんば、専謹にあやうく、
真のみにて草に通ぜずんば、ことに翰札に非なり。
ここで、訳では「妥」としているが、
あるテキストではここを「要」と読んでいる。
なるほど、草書で書くと似たような形になる。
書道大字典などで「妥」と「要」のいろいろを見比べて、
ここは「妥」と見るのが妥当ではないかと私は思った。
「要」だったら、「女」の部分に入る時に右旋回するんじゃないだろうか。
草書はこういう時に本当に便利なんだろうか。
くずした結果の形がそっくりで、後に読んだ人が読み違えてもしかたないような場合、
筆者の真意が伝わらないという事故も起きてしまいそうだ。
自分用のノートを書くのは草書が妥当だが、
ひろく人に読んでもらう書論を書くのには楷書が必要なのではないだろうか。
と、マネして言ってみる。
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