以前、みうらじゅんの『親孝行プレイ』という本をほめた記事を書いた
という記憶が有るのだが、どう検索しても出てこない。
記憶違いか?
ブログに書くために読み返した記憶も有る。
書かなかっただけか。
詳しい感想文はまたあらためて書きたい。
ざっと内容を紹介すると、
みうらじゅん氏の真骨頂、
ちょいとエロっぽい「プレイ」という言葉に託して、
親の思う”理想の息子”をうまく演じる心構えを論じていく。
ある章では、旧友のいとうせいこう氏と両親の旅行に、
みうらが随行する。
そして、自分の親に対してだとできないような親孝行をしてみせる。
そう、他人の親が相手だとできることが有るものだ。
※
実の親子関係には、歴史が有る。
信頼で結ばれているものばかりでもない。
他にも事情が有ったり、親戚の目が有ったり。
また、年老いて親の介護ということになると、なんと言おうか、主客が転倒する。
親が子どもの世話をして守って育ててきたのと、立場が逆になる。
老いても親はあくまで親として子に接したいがために、立場の逆転を受け入れ難かったりもする。
その一方で身内である我が子に頼ったり甘えたりする気持ちも有る。
※
それが、ちょいと他人だと、うまくいくことも多い。
甘え過ぎず、立ち入り過ぎず、
お互いに距離と礼儀を保ちながら関わることができる。
子どもの友人なり、介護スタッフなり、訪問看護や訪問診療であったり、
高齢者介護に関われる立場はいろいろ有る。
親子という関係の中に閉塞されるより、ずっといい。
世の中そうやって回りもちでいいんじゃないか、と思う。
※
「子どもが親の面倒を見るのは当たり前」などと当たり前のように言うのを聞くと、
ゾッとする。
25歳の頃、同世代の友人がこう言うのを聞いて驚いたことが有る。
「老後の面倒も見て欲しいし、子どもは欲しいかな。」
まだ、親の老後も見ていないうちに、そんなことを言うのだ。
25年前の価値観なんて、そんなものだった。
介護保険制度が始まるまで、まだ数年かかったわけだ。
※
同級生の友人Yの家に行って、庭仕事を手伝った。
庭木が伸びてしまって困っている。
植木屋を入れれば良いんじゃないかと思うが、これがいけない。
お父さんがずっと手入れしてきた庭で、こだわりが有る。
庭師と言えど、他人の手に入られたくない。
かと言って自分の子にも任せられない。
Yは庭木なんか興味も無い。手入れをしたことも無い。
下手に鋸を入れると、親父が怒る。
そこで、私が呼ばれた。
庭木の手入れに慣れた友達がいる、と親父様を説得したようだ。
そうでないと、自分でハシゴに昇ったり木に登ったりして、
危なっかしいったらありゃしない。
それに、隣近所の迷惑も考えず、切り枝や落ち葉を庭で燃やすのだそうだ。
今はそういうことはしてはいけない、なんて説明しても、聞きゃしない。
あー。わかるわかる。
※
私だって庭師でもないので、木なんかぶった伐るしか能が無いが、
まあ、やったことの無い人よりは、どういう枝はどこからどう切るべきで
どういう枝を残すのが良いかは分かる。
Yのお父さんも、なぜか私を信頼してくれて、
「いやー、す~さんに庭に入ってもらってスッキリしたわー。」なんてニコニコしている。
というところに至るまでも、このYのお父さんが
「梅は花がちょうど終わったところだから云々、(ここまではいい)
ツツジも&%(”00)’&$$、槇は&%##=!)))」
と、言っていることが段々ぐちゃぐちゃになってくる。
それに対して私は
「そうですねー。」「そうですねー。」
と、なーんの抵抗も無く相槌を打てる。
内容が何でも「そうですねー。」と言っていりゃYのお父さんも機嫌よくしゃべっている。
※
この、内容が何でも相槌打ってりゃいい、
という単純な括り方が、自分の親に対してだと、できない。
それまでに何度も説明してきた内容だったりするから、など
理由はあれこれ有るが、とにかく、
内容を気にしない、ということがしにくい。
それは、内容を汲み取らなければまずい状況も有り得るから、
全部を聞き流すわけにもいかない責任を感じているから、と言えると思う。
※
適当に相槌を打っておいて、ちょいと間を空けて、
じゃあこの木はこうしてこの木はこうしておきますね、
と、やることを告げることは告げる。
意外とこれに対してなんだかんだ言い返されることは無い。
ただ、実の息子が同じようにしても、
相当にうるさい注文を言い、作業中も横に立ってあれこれ指図し、
作業後も出来栄えにさんざん文句を言うのだそうだ。
でしょうね。
そりゃ、子の側だってたまったもんじゃござんせんわね。やってられっかですわね。
※
友人の親が相手だと、無責任な分、当たったり障ったりしない接し方ができて、
それでいて親御さんにも友人にも満足していただけて、
自分も人の役に立ったような気になれるから、誰もが徳をする感じだ。
※
言い訳をするわけじゃないけれど
実の子だから親の面倒を見なきゃいけない
といって責任を強調するより、
本人や介護者がより暮らしやすいためには色んな人が関わることがいい
というくらいのところで
いいんでないかしらね。
という記憶が有るのだが、どう検索しても出てこない。
記憶違いか?
ブログに書くために読み返した記憶も有る。
書かなかっただけか。
詳しい感想文はまたあらためて書きたい。
ざっと内容を紹介すると、
みうらじゅん氏の真骨頂、
ちょいとエロっぽい「プレイ」という言葉に託して、
親の思う”理想の息子”をうまく演じる心構えを論じていく。
ある章では、旧友のいとうせいこう氏と両親の旅行に、
みうらが随行する。
そして、自分の親に対してだとできないような親孝行をしてみせる。
そう、他人の親が相手だとできることが有るものだ。
※
実の親子関係には、歴史が有る。
信頼で結ばれているものばかりでもない。
他にも事情が有ったり、親戚の目が有ったり。
また、年老いて親の介護ということになると、なんと言おうか、主客が転倒する。
親が子どもの世話をして守って育ててきたのと、立場が逆になる。
老いても親はあくまで親として子に接したいがために、立場の逆転を受け入れ難かったりもする。
その一方で身内である我が子に頼ったり甘えたりする気持ちも有る。
※
それが、ちょいと他人だと、うまくいくことも多い。
甘え過ぎず、立ち入り過ぎず、
お互いに距離と礼儀を保ちながら関わることができる。
子どもの友人なり、介護スタッフなり、訪問看護や訪問診療であったり、
高齢者介護に関われる立場はいろいろ有る。
親子という関係の中に閉塞されるより、ずっといい。
世の中そうやって回りもちでいいんじゃないか、と思う。
※
「子どもが親の面倒を見るのは当たり前」などと当たり前のように言うのを聞くと、
ゾッとする。
25歳の頃、同世代の友人がこう言うのを聞いて驚いたことが有る。
「老後の面倒も見て欲しいし、子どもは欲しいかな。」
まだ、親の老後も見ていないうちに、そんなことを言うのだ。
25年前の価値観なんて、そんなものだった。
介護保険制度が始まるまで、まだ数年かかったわけだ。
※
同級生の友人Yの家に行って、庭仕事を手伝った。
庭木が伸びてしまって困っている。
植木屋を入れれば良いんじゃないかと思うが、これがいけない。
お父さんがずっと手入れしてきた庭で、こだわりが有る。
庭師と言えど、他人の手に入られたくない。
かと言って自分の子にも任せられない。
Yは庭木なんか興味も無い。手入れをしたことも無い。
下手に鋸を入れると、親父が怒る。
そこで、私が呼ばれた。
庭木の手入れに慣れた友達がいる、と親父様を説得したようだ。
そうでないと、自分でハシゴに昇ったり木に登ったりして、
危なっかしいったらありゃしない。
それに、隣近所の迷惑も考えず、切り枝や落ち葉を庭で燃やすのだそうだ。
今はそういうことはしてはいけない、なんて説明しても、聞きゃしない。
あー。わかるわかる。
※
私だって庭師でもないので、木なんかぶった伐るしか能が無いが、
まあ、やったことの無い人よりは、どういう枝はどこからどう切るべきで
どういう枝を残すのが良いかは分かる。
Yのお父さんも、なぜか私を信頼してくれて、
「いやー、す~さんに庭に入ってもらってスッキリしたわー。」なんてニコニコしている。
というところに至るまでも、このYのお父さんが
「梅は花がちょうど終わったところだから云々、(ここまではいい)
ツツジも&%(”00)’&$$、槇は&%##=!)))」
と、言っていることが段々ぐちゃぐちゃになってくる。
それに対して私は
「そうですねー。」「そうですねー。」
と、なーんの抵抗も無く相槌を打てる。
内容が何でも「そうですねー。」と言っていりゃYのお父さんも機嫌よくしゃべっている。
※
この、内容が何でも相槌打ってりゃいい、
という単純な括り方が、自分の親に対してだと、できない。
それまでに何度も説明してきた内容だったりするから、など
理由はあれこれ有るが、とにかく、
内容を気にしない、ということがしにくい。
それは、内容を汲み取らなければまずい状況も有り得るから、
全部を聞き流すわけにもいかない責任を感じているから、と言えると思う。
※
適当に相槌を打っておいて、ちょいと間を空けて、
じゃあこの木はこうしてこの木はこうしておきますね、
と、やることを告げることは告げる。
意外とこれに対してなんだかんだ言い返されることは無い。
ただ、実の息子が同じようにしても、
相当にうるさい注文を言い、作業中も横に立ってあれこれ指図し、
作業後も出来栄えにさんざん文句を言うのだそうだ。
でしょうね。
そりゃ、子の側だってたまったもんじゃござんせんわね。やってられっかですわね。
※
友人の親が相手だと、無責任な分、当たったり障ったりしない接し方ができて、
それでいて親御さんにも友人にも満足していただけて、
自分も人の役に立ったような気になれるから、誰もが徳をする感じだ。
※
言い訳をするわけじゃないけれど
実の子だから親の面倒を見なきゃいけない
といって責任を強調するより、
本人や介護者がより暮らしやすいためには色んな人が関わることがいい
というくらいのところで
いいんでないかしらね。
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