外で作業しながら思う。
庭仕事をする心身の余裕が、ここ2年あまりは無かった。
手入れのゆきとどかない庭はすぐに荒れる。
強い植物がどんどん増えて、可憐な園芸種なんかすぐに消えて無くなる。
強いものばかりが残った庭に有るものは、
そこいらの野ッぱらで見られるようなものばかりになる。
つまらん。
雑木林みたいな庭も良いけれど、
ヤブはイヤだ。
人間の手が入ったところに、風情が生まれる。
鬱蒼と繁った庭には風情は無い。
※
ふた月ほど前だったか、
生け垣のツツジを剪定していた。
これまた何年かほったらかしなので、
ただただ繁っている。
ツツジは木の内部のほうにも枝が伸びる。
枝は輪状に分かれるので、すごく繁る。
かと思うと、根元からまっすぐニョロニョロと伸びるものも有る。
枝分かれもせずただ一本まっつぐ伸びるんである。
アホみたい。
人間にも、ふとした場所からやたらと長く一本の毛が伸びていたりする。
アホ毛と呼ぶ。
あれみたいだ。
根元からでも枝からでも、やたらと長くまっすぐ伸びるヤツを
徒長枝(とちょうし)と呼ぶ。
文字どおり、いたづら(無駄)に長い枝。である。
こんなヤツは見つけたらすぐに元から切る。
枝はやたらに繁り混んでいるし、
蔓性の雑草は絡んでいるし、
去年の蔓が絡んだまま枯れているし、
枇杷の大きく長い葉が落ちたのが引っ掛かって積もっているし、
生け垣として大層イケてない。
水道メーター検針員として、たくさんの家を回った経験上、
このような家はあまりよろしくないと思う。
元気な家族が暮らしている状態ではない。
不用心である。
整えたい。
ダメダメな状態から、なんとかマシな状態へ、
そしてマアマアな状態へ、
どうにかゼロの状態へ立て直したい。
※
細い砂利道を、複数の足音が近付いてきた。
犬を連れた二人の人。
そう判断してから腰を伸ばし体を起こして、一歩よけて、道を空けた。
六十前くらいだろうか、ご夫婦らしい男女がテリア系の犬を連れている。
「すみません。」
一礼してくださる。
こんにちは。
作業中に道を通る人がいたら、なるべく挨拶するようにしている。
いい人ぶることは大事なことだと考えているのだ。
女性のほうが話しかけてきた。
「こちらの方ですか?
ステキですね。池も有るし。
とってもクリエイティブ!
頑張って!」
いやーもう、荒れ放題の庭のどこがクリエイティブなんだか。
マイナスをゼロに立て直したいところなので、
プラスのクリエイティブなことにはまるで着手できていない。
いや「まるで」ってことも無くて、
片付けより先に鏝絵なんか作ってみたりもしている。
ただ、その人は室内の鏝絵は見てはいない。
でも、何か創造性の種のようなものを感じて
応援の言葉を掛けてくださったのだろうか。
あのね、
非常に嬉しい。
いっちょ頑張ったろかっつう気持ちにもなる。
※
この後、外壁の塗装やおしゃれカラーの選択などをしたのも、
この時の励ましが有ったのが一つ、梃子になっているかな、と思う。
※
母88歳パーキンソン病ヤールⅣ要介護5認知症状少々
が特別養護老人ホームに入居して、
今日でちょうど一年が経った。
家の片付けは、ずいぶんやったような気もするが、
まるで進んでいない。
棚の中の要らない物はまだ有るので、棚が使えていない分、
物がそこいらに溢れている。
母がもう何年も着ていない衣類も、まだ山のように有る。
和室の天袋なんて先の先の話だ。
なんせ、自分の気持ちがシャンとしないと、
そういった雑多な物に立ち向かうことはなかなかできない。
しかし、室内がゴチャゴチャしていたら、なかなか気持ちはシャンとしない。
そういう矛盾を抱えつつ、少しづつ削っては捨てる作業をしている。時々。
※
庭でも池でも壁でも屋根でも床でも障子でも棚でもなんでも
こうしたい、という望みの形を思い描いてはいる。
無いところに創るのではなく、
要らんもんがたんと有るのを片付けないと新しいもんが置けん
ということが、険しい。
あのひと、また通ってくれないかな。
庭仕事をする心身の余裕が、ここ2年あまりは無かった。
手入れのゆきとどかない庭はすぐに荒れる。
強い植物がどんどん増えて、可憐な園芸種なんかすぐに消えて無くなる。
強いものばかりが残った庭に有るものは、
そこいらの野ッぱらで見られるようなものばかりになる。
つまらん。
雑木林みたいな庭も良いけれど、
ヤブはイヤだ。
人間の手が入ったところに、風情が生まれる。
鬱蒼と繁った庭には風情は無い。
※
ふた月ほど前だったか、
生け垣のツツジを剪定していた。
これまた何年かほったらかしなので、
ただただ繁っている。
ツツジは木の内部のほうにも枝が伸びる。
枝は輪状に分かれるので、すごく繁る。
かと思うと、根元からまっすぐニョロニョロと伸びるものも有る。
枝分かれもせずただ一本まっつぐ伸びるんである。
アホみたい。
人間にも、ふとした場所からやたらと長く一本の毛が伸びていたりする。
アホ毛と呼ぶ。
あれみたいだ。
根元からでも枝からでも、やたらと長くまっすぐ伸びるヤツを
徒長枝(とちょうし)と呼ぶ。
文字どおり、いたづら(無駄)に長い枝。である。
こんなヤツは見つけたらすぐに元から切る。
枝はやたらに繁り混んでいるし、
蔓性の雑草は絡んでいるし、
去年の蔓が絡んだまま枯れているし、
枇杷の大きく長い葉が落ちたのが引っ掛かって積もっているし、
生け垣として大層イケてない。
水道メーター検針員として、たくさんの家を回った経験上、
このような家はあまりよろしくないと思う。
元気な家族が暮らしている状態ではない。
不用心である。
整えたい。
ダメダメな状態から、なんとかマシな状態へ、
そしてマアマアな状態へ、
どうにかゼロの状態へ立て直したい。
※
細い砂利道を、複数の足音が近付いてきた。
犬を連れた二人の人。
そう判断してから腰を伸ばし体を起こして、一歩よけて、道を空けた。
六十前くらいだろうか、ご夫婦らしい男女がテリア系の犬を連れている。
「すみません。」
一礼してくださる。
こんにちは。
作業中に道を通る人がいたら、なるべく挨拶するようにしている。
いい人ぶることは大事なことだと考えているのだ。
女性のほうが話しかけてきた。
「こちらの方ですか?
ステキですね。池も有るし。
とってもクリエイティブ!
頑張って!」
いやーもう、荒れ放題の庭のどこがクリエイティブなんだか。
マイナスをゼロに立て直したいところなので、
プラスのクリエイティブなことにはまるで着手できていない。
いや「まるで」ってことも無くて、
片付けより先に鏝絵なんか作ってみたりもしている。
ただ、その人は室内の鏝絵は見てはいない。
でも、何か創造性の種のようなものを感じて
応援の言葉を掛けてくださったのだろうか。
あのね、
非常に嬉しい。
いっちょ頑張ったろかっつう気持ちにもなる。
※
この後、外壁の塗装やおしゃれカラーの選択などをしたのも、
この時の励ましが有ったのが一つ、梃子になっているかな、と思う。
※
母88歳パーキンソン病ヤールⅣ要介護5認知症状少々
が特別養護老人ホームに入居して、
今日でちょうど一年が経った。
家の片付けは、ずいぶんやったような気もするが、
まるで進んでいない。
棚の中の要らない物はまだ有るので、棚が使えていない分、
物がそこいらに溢れている。
母がもう何年も着ていない衣類も、まだ山のように有る。
和室の天袋なんて先の先の話だ。
なんせ、自分の気持ちがシャンとしないと、
そういった雑多な物に立ち向かうことはなかなかできない。
しかし、室内がゴチャゴチャしていたら、なかなか気持ちはシャンとしない。
そういう矛盾を抱えつつ、少しづつ削っては捨てる作業をしている。時々。
※
庭でも池でも壁でも屋根でも床でも障子でも棚でもなんでも
こうしたい、という望みの形を思い描いてはいる。
無いところに創るのではなく、
要らんもんがたんと有るのを片付けないと新しいもんが置けん
ということが、険しい。
あのひと、また通ってくれないかな。
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