犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

ゲゲゲの調布発信
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一年

2021年06月27日 | 介護ウチのバヤイ
外で作業しながら思う。

庭仕事をする心身の余裕が、ここ2年あまりは無かった。
手入れのゆきとどかない庭はすぐに荒れる。
強い植物がどんどん増えて、可憐な園芸種なんかすぐに消えて無くなる。

強いものばかりが残った庭に有るものは、
そこいらの野ッぱらで見られるようなものばかりになる。
つまらん。

雑木林みたいな庭も良いけれど、
ヤブはイヤだ。

人間の手が入ったところに、風情が生まれる。
鬱蒼と繁った庭には風情は無い。



ふた月ほど前だったか、
生け垣のツツジを剪定していた。

これまた何年かほったらかしなので、
ただただ繁っている。
ツツジは木の内部のほうにも枝が伸びる。
枝は輪状に分かれるので、すごく繁る。

かと思うと、根元からまっすぐニョロニョロと伸びるものも有る。
枝分かれもせずただ一本まっつぐ伸びるんである。
アホみたい。

人間にも、ふとした場所からやたらと長く一本の毛が伸びていたりする。
アホ毛と呼ぶ。
あれみたいだ。

根元からでも枝からでも、やたらと長くまっすぐ伸びるヤツを
徒長枝(とちょうし)と呼ぶ。
文字どおり、いたづら(無駄)に長い枝。である。
こんなヤツは見つけたらすぐに元から切る。

枝はやたらに繁り混んでいるし、
蔓性の雑草は絡んでいるし、
去年の蔓が絡んだまま枯れているし、
枇杷の大きく長い葉が落ちたのが引っ掛かって積もっているし、

生け垣として大層イケてない。

水道メーター検針員として、たくさんの家を回った経験上、
このような家はあまりよろしくないと思う。
元気な家族が暮らしている状態ではない。
不用心である。
整えたい。

ダメダメな状態から、なんとかマシな状態へ、
そしてマアマアな状態へ、
どうにかゼロの状態へ立て直したい。



細い砂利道を、複数の足音が近付いてきた。
犬を連れた二人の人。
そう判断してから腰を伸ばし体を起こして、一歩よけて、道を空けた。

六十前くらいだろうか、ご夫婦らしい男女がテリア系の犬を連れている。

「すみません。」
一礼してくださる。

こんにちは。

作業中に道を通る人がいたら、なるべく挨拶するようにしている。
いい人ぶることは大事なことだと考えているのだ。

女性のほうが話しかけてきた。
「こちらの方ですか?
ステキですね。池も有るし。
とってもクリエイティブ!
頑張って!」

いやーもう、荒れ放題の庭のどこがクリエイティブなんだか。
マイナスをゼロに立て直したいところなので、
プラスのクリエイティブなことにはまるで着手できていない。

いや「まるで」ってことも無くて、
片付けより先に鏝絵なんか作ってみたりもしている。
ただ、その人は室内の鏝絵は見てはいない。
でも、何か創造性の種のようなものを感じて
応援の言葉を掛けてくださったのだろうか。
あのね、
非常に嬉しい。
いっちょ頑張ったろかっつう気持ちにもなる。



この後、外壁の塗装やおしゃれカラーの選択などをしたのも、
この時の励ましが有ったのが一つ、梃子になっているかな、と思う。



母88歳パーキンソン病ヤールⅣ要介護5認知症状少々
が特別養護老人ホームに入居して、
今日でちょうど一年が経った。

家の片付けは、ずいぶんやったような気もするが、
まるで進んでいない。
棚の中の要らない物はまだ有るので、棚が使えていない分、
物がそこいらに溢れている。
母がもう何年も着ていない衣類も、まだ山のように有る。
和室の天袋なんて先の先の話だ。

なんせ、自分の気持ちがシャンとしないと、
そういった雑多な物に立ち向かうことはなかなかできない。
しかし、室内がゴチャゴチャしていたら、なかなか気持ちはシャンとしない。
そういう矛盾を抱えつつ、少しづつ削っては捨てる作業をしている。時々。



庭でも池でも壁でも屋根でも床でも障子でも棚でもなんでも
こうしたい、という望みの形を思い描いてはいる。
無いところに創るのではなく、
要らんもんがたんと有るのを片付けないと新しいもんが置けん
ということが、険しい。

あのひと、また通ってくれないかな。
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