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犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

ゲゲゲの調布発信
犬のこと、人の心身のこと、音楽や自作のいろいろなものについて

自他ばた

2015年01月20日 | LGB&T
[あらすじ?] 筆者は生物学的には女性だが、
性別の自認は女性でも男性でもなく、且つ恋愛対象は女性。


30数年前、私がはっきりと、女性が好きと思った頃には
まだ性同一性障害なんて言葉は聞こえてこなかった。
それもあって、私は自分のことは女性の同性愛者だと思っていた。

今ではこれは自分には当てはまらないと感じている。
適当でないカテゴリーに自分を嵌めると、落ち着きが良いわけはなく、
あちこちが窮屈で、精神的靴ずれが起こる。
歩くたびにどこかが痛む。

わかさといたみのせいで、私はその頃、'理解者'が欲しかった。
恋人よりも、自分を'わかってくれる'人を求めていた。

性的マイノリティのお気の毒様なところは、
性的マイノリティから産まれてはこない、というところだ。
親はたいていの場合、異性愛者であり、簡単には'わかって'くれない。

'わかってもらえ'ない感じを、家庭の中で感じ続けている。
その不満が、私の場合は強かった。
それを、恋愛と分けていたところが、少し、おもしろい。
同士と思える人を探したっていいと思うが、もう一歩、
自分と違う者に受け入れて欲しかったのだろうか。



他者に自分を分かって欲しい。
幼い欲求だ。
他者は自分を分かりっこないし、同様に、
自分は他者を分かりっこない。

これを理解していないと、むしろ他者を誤解する。
分かったような気になることが危ない。
分かりっこない、と考えている人のほうがむしろ
近付くもののようだ。
自分の思い込みに拠らず、対象そのものをそのままに捉えるからだろう。



分かって欲しい。

そう熱望していた頃を懐かしく思う。
最初の恋愛は、そのぶつかり合いだった。
お互い、分かって欲しくて、分かって欲しい。
相手が、分かって欲しがっていることに気付かないくらいに。


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