犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

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赤信号

2019年08月15日 | 椰子の実の中
見渡す限り、車が来る気配も無い所で、
歩行者が赤信号を守って待つことに
何の疑問も抱かないなら、
その人は法律で操作しやすい'良い国民'だと言っていいだろう。

その反対が、'非国民'だ。



今日は、極端な物言いをします。
読んで気に入らなかったら、私を抹殺すればいい。
ほら早速、極端な物言いをしています。
意見が異なるとか、表現が性に合わないと思ったら、
私のブログをわざわざ読みに来なくていいよサイナラ、といった程度の意味です。



歩行者用信号について。
信号機さえ守っていりゃ安全だと言うなら、
道路交通法は愚民製造法だ。
赤信号は赤紙だ。



自動車の交通量がそこそこ有るような広めの道路と
わきからの細い道が交差している。
この交差点に、信号と横断歩道が有る。
わき道は一方通行で、出入りする自動車は少ない。
この広めの道路の歩道を歩いて来た。

このような場所であれば、
周囲を確認して、信号が赤であろうと、わき道を横断して良い。
と、私は思っている。

何が危険かと言ったら、車が来るのに横断するのが危険なのである。
そのような事が起こらないように、信号は有る。
しかし、車が来ないのに信号が青になるまで待つのは、愚直が過ぎると思う。
自分の身の安全のために信号を守るのではなく、信号を守るために信号を守っているからだ。



自分が信号を守っていても、周囲の車が信号を守らなかったら、
起こる事故は起こる。
信号はみんなが守っている。という前提で行動しては、自分の身は守りきれない。
だから、信号が青でも、渡る際には安全確認はしたほうが良い。
信号無視の車か、ブレーキの故障した車か、運転手が故障を起こした車かが
突っ込んで来ないとも限らないからだ。



事故にあわないため、自分の安全のためには、交通ルールを守ることが大事。
と教えて、
それを信じて守る子どもが育つのならば、
自分で見聞きしたことに基いて自分で判断して自分で行動するということはせず、
ルールには従う、という人間が育つ。

日本は、いつからかそういう教育をしていると思う。

政治が狂ったら、これは好都合な国民だ。
無茶な法律でも作れば国民は従う。「そういうルールだから。」
国の教育方針を信じて育ったら、国に都合の良い国民に仕上がる仕組みだ。



法律は、何のために作られたのか、理由を考えてみないといけない。
ただ法律だからというだけのことで守っていては、自分の生活は守れない。

その中でも身近なところで、交通法を挙げたまでのことだ。

交通ルールなんか守らなくていい、と言っているのではない。
法が私たちを守ってくれると思って妄信したらいけない、と言えば近い。



教育するなら、「信号を守りましょう」ではなくて、
「左右をよく見て渡りましょう」のほうが基本なのではないか。
自分の目で見て、自分で考えて、自分で判断する。
そういう力を持った人を育てるためならば。

「信号を守りましょう」だけを掲げていては、人は、
青信号を見たら渡る、赤信号だから止まる、
赤紙が来たから出征する、だろう。
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