犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

ゲゲゲの調布発信
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あんたきらい。じゃない

2015年09月15日 | からだ
ある人と会った時に、どうにも気が合わない、と感じた。
言うこと言うことが引っかかる。
イヤな考え方をするなあ、イヤな言い回しをするなあ、
したらいいはずのことをしないなあ、などなど…。

私はその人の、そういう性質を好きになれない、と思った。

けれど、そう考えているうちに、
私は何も、その人のそういう性質を好きになれないのではなく、
自分はそういうふうではありたくないのだ、と気付いた。

こうしたい、こうありたい、逆にああいうことはしたくない、
といったものを、相手の中に見付けているだけだ。
言ってみれば、自分自身のイヤな面を、
自分の中に直接見付けるのは本当にイヤだから、
他人の中に見付けてはイヤがっているのだ。
だから、なにもその人のことがイヤなわけではない。

それだけ、自分の中の「こうありたい」という気持ちが強いのかもしれない。
ブログにだって、しょっちゅうそんなことを書いている。

とにかく、私はその人のことがイヤなのではなく、
その人の中に自分のイヤな面が見えるのがイヤなんだろう。

そういえば、よく似た経験について、書いたことがある。

つづく

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