犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

ゲゲゲの調布発信
犬のこと、人の心身のこと、音楽や自作のいろいろなものについて

自分を傷つける思いを捨てる

2014年05月25日 | 椰子の実の中
順序立ててしっかり考えていけば、まっとうな答えが得られる。
直感とか信仰とか予兆とか共鳴とかいったものより、
合理的な思考によるほうが確かだということになっている。

自分の頭できちんと考えることが、正しいことだと。
それはそうだろうけれど、その根拠とする材料が
客観的事実の積み重ねでなければ、結論は大いに狂ってくる。

また、論理を展開していく途中にも、いちいち罠が潜んでいる。
どこかで、自分の頭が生み出したものが混じり込んだら、
それはもう合理的思考ではなく、ただの思い込みになる。

「考える」と言ったときに、そういう間違いを起こしていることが多い。
そんな「考える」から得た答えを信じていると、道に迷う。

テーブルの上に、カツラ屋の広告が置いてある。
これは家族が、薄毛を気にしている自分へのあてつけに置いたに違いない。
とか
自分一人だけみんなと違う待ち合わせ時間を指定された。
先に集まった人で私を仲間はずれにしてるんだろう。
とか

おそまつな例しか思いつかないけれど。
こんなような思い込みを、日常いくつもしてやしないか。
自分で自分を悲しませるようなことをひねり出していやしないか。

まず、こんなような、自分にとってうれしくもなんともない思いに
とらわれているのに気付いたら、やめることだ。

癖について書いたことがある。
気付いたら、やめる。
これを繰り返していると、やらなくなるようになってくる。

考え方の癖も同じだ。
ブサイクだと思われてるんだろう、と思っているのに気付いた時、
迷惑がられてるんじゃないか、と思っているのに気付いた時、
あきらめた方がいいのかな、と思っているのに気付いた時、
おもしろいことなんか無いな、と思っているのに気付いた時、
すぐ、やめる。

自分を喜ばさない考えを持っているのに気付いたら、すぐやめる。

そんだけ。
やってみて。

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