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メンネの日記 風評篇

2018年06月13日 | メンネの日記
[まえおき] 30年前、ラジオの深夜番組「中島みゆきのオールナイトニッポン」に
「メンネの日記」というコーナーが有った。
言えなかった「ごめんね」にまつわる投稿葉書をみゆきさんが読み、
最後は軽い詫びの言葉「めんね。」で締めくくられる。


ブログというのは、不特定多数の人が自分の書いたものを読むことになる。
だから、なるべく間違いたくない。
間違ったことを書いて、読んだ人がそれを正しいと思って知識としたら、よろしくない。

だから、昨日書いたような、アカメガシワとキリの間違いなどは、したくない。
植物や昆虫の種名は、調べればかなり正確に答えを出せるはずだ。
分からなければ、「○か△かというところまでは絞れたけれど、どちらか分からない。」と書いて、
その上で投げるなり問いかけるなりすればいい。
ずさんなところで決めて書くのはよろしくない。

間違ったことを書いてしまった場合、どう対処すべきか、ということも問題だ。
上の記事も、ほったらかしにせずに、訂正を入れたほうが良いだろう。
誰もが「それはキリですよ。」という指摘のコメントまで見るとは限らない。



意見は変わる。
話す相手によって言う意見を変えたり、短期間でコロコロと意見を変えたりしたら、
それは問題が有るだろう。
けれど、見聞を広めたり、知識を蓄えたり、他の意見に触れたり、考えを重ねたりして、
時間をかけたら意見が変わるのは、私は良いことだと思う。

何かの意見をブログに書いても、後々変わることも有る。
その時には、いちいち訂正のようなものを入れることは無いだろう。
訂正という熟語の文字にもあるように、正しくするのが訂正だ。
意見には、どれが正しい、ということは無いと思う。
植物の種の同定とは、意味が違う。



意見が変わったことで、しかし以前の記事をそのままにほったらかしておきたくないものも、中には有る。
7年前の原発事故の後、私は、福島の野菜を買おう、
風評に踊らされてはいけない、というようなことを書いた。

意見が変わった。
今も、福島の野菜を私は買う。
けれど、子どもがいたら買わないと思う。

風評ではない。被害は事実である。
被害がどれだけなのか、うやむやにされているので、正確なところが分からない、だから
風評が立つ。
被害の程度が分からないのは、検査が遅れたことや、
基準値を国が引き上げるといったことをしたことなどが原因として有る。

風評はいけないよと言っている国こそが風評を作っているのだと私は見ている。
巧妙に操作されている。

樽川和也さんの言うことが、本当のところなのだと思う。
もちろん、地元の人にも意見は様々だ。



状況は、7年前とさほど変化していないと思う。
7年では放射能はさほど変化しない。
しかし人が土を運ぶことは有る。海には大きな海流が有る。

天皇を担ぎ出さねばならないほどに、事態は変わっていない。



こんなのも、とっとと「めんね。」と訂正してしまいたいような内容だな。

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