犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

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信じる/疑う

2017年08月11日 | 椰子の実の中
[あらすじ] 論文が有るから信頼できる。のか?
自分で見聞きしたことがあるから有る。のか?

論文が有ったとしても、その論文に書いてあることが信頼に足るものであるかどうかは、
熟読して精査したり、実験なら追試して同じ結果が出るかどうか見たりしなければならない。
つまり、ほとんどの人にはそんなこと無理なのだ。
誰にでもできるような規模の調査ではデータとしては不足だし、
難しい実験ができるような設備がどこにでもあるわけではない。
そもそも、論文を読むような知識や理解力は、専門家にしか無い。

では、論文が有るから、専門家の間でもそれが通用しているから、
信頼ができる。とする場合、
それは論文が有るから信頼できているのではなく、
専門家たちの判断を信頼しているということになる。
学会が信頼できるか、という観点に話は変わってくると、私は思う。

だからって、自分の目や耳だけを信じる、というのも問題がある。
自分の能力にはずいぶん限界があるからだ。

私が鍼灸の専門学校に行って良かったのは、
そこの学校では論文の入手のしかたや、読み方の基礎を教えてくれたことだ。
もちろん、所詮、専門学校出の鍼灸師レベルなので、
私の知識や理解力程度では、読みこなせないもののほうが多い。
それでも、まずはいくらかダメなものを見分ける観点は持つことができた。
ひどく視点の低い話だが。

最近では、医師が病気の説明の際に患者さんに論文を渡すというケースも見られるようだ。
しかし、特に医療分野の勉強をしたわけでもない患者さんでは、
論文は読みこなせない。
おそらく、現在の医療の基準を知らせるために渡したのだろうとは思う。
説明をした上でのことであるから、補い程度の意味だったろうけれど、
直接読ませることも無いんじゃないかとも思う。

今はインターネットなどで自分の病気についていろいろ知ることができるし、
患者も医師任せにしないで自分で自分の病気について知るべきだというのが
現在の日本の医療の考え方だ。
しかし、論文ともなると専門性が高く、なかなか一般に読んで理解はできない。

話を戻そう。
論文が出ているから、科学的に証明されているから、と言うのであれば、
それは現代の学界の主流や科学と言われているもの自体を
信じているだけに過ぎない。
科学を信じるのも、宗教を信じるのも、オカルトを信じるのも、
信じていることには大差無い。

鵜呑みにせずに疑って検証する、というのが科学的な態度だと私は思っている。
科学を信じるということが矛盾をはらんでいる。

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