犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

ゲゲゲの調布発信
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見た/聞いたことが無い

2017年08月10日 | 椰子の実の中
そんなこと私は聞いたことが無い/そんなもの私は見たことが無い
=そんなこと/ものは無い

という言い方を、よく聞く。
誰かが言ってた、というくらいならさほど気にしないのだけれど、
あっちで聞きこっちで聞き、あの時も聞き今日も聞き、となると
あら世の中の風潮はそういうことになっているのね、と思って
引っ掛かる。

私はタマシイを見たことが無い。
だから有るとは思わない。

タマシイはそもそも見えるものではない、という言い方もできる。
でも、霊魂のある在り方によっては、見える人もいる。
見えないものは無いと言うのだったら、炭酸ガスだって酸素だって無い。

こんな説は聞いたことが無い。
だからそれは信用ならない。

単に、初めて聞いただけだろう。
初めて聞く事柄は奇怪に聞こえるかもしれない。
それに、初めて触れるものには警戒心を持ったほうが賢明でもある。
しかし、自分が聞いたことが無いからそれはオカシイものだ、と言うのは
どうだろうか。



私は鍼灸師です。
鍼灸は古代中国で発達した治療法だ。
古代人がどのように人を治療していたか、それを模索することを
基本理念として施術法を考えている。

中国古典医療は、人間の体を流れる気を対象にする。
気に働きかけ、気の流れを整えることによって、症状の改善をはかる。
日本でも、多くの流派が気を診ている。

気は目に見えるものではない。
筋肉とか血管とか神経とかのような、物ではない。
しかし、気が見える人もいる。
見えると言うと、物を見る視力と混同しがちなので、感じ取る、と言っておこうか。

私は気を感じ取ることができなかった。
そういう能力は、うまれつきのものだと思っていた。
霊感なんかと同じようなものだろう。

しかし、ある学派で教える練習を重ねていたら、
気を感じ取ることができるようになった。
そして、まるで見ているかのように見ることもできるようになった。

気は見えない。感じ取ることもできない。だから無い。
と言う人は多い。
私も、気は見えないし感じ取ることもできなかった。
しかし、感覚することを練習して、力が付いた。
見えなかったのは、見る力が無かっただけだった。



「北海道なんて無いんですよ。
だってす~さん、北海道を見たことがありますか?」
と言われたことがある。

私は残念ながら、北海道に行ったことが無い。
たしかに、見たことは無い。
その地を確かに踏んだことも無い。

言ったその人と、青森県を旅する機会を得た。
海峡に面した大間まで行ったが、天気は悪く、見通しが悪かった。
「ほらす~さん、北海道なんて無いんですよ。」

この調子で行くと、オーストラリアだってインドだってエベレストだって
丸い地球だって、
無い。
テレビで見たことあるだろう?
ふん、どこで撮影したか知れたもんじゃない。



自分が見聞したことの無いものはこの世にそもそも無い、と言うのは、
傲慢ではないか。
そんなに自分は見聞が広いのか。
何も見落とさず、何も聞きこぼさないほどの能力を持っているのか。

気は見えない。だから無い。と言う人と、
北海道を見たことが無い。だから無い。と言う人と、
どれほどの差があるというのか。

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