そんなこと私は聞いたことが無い/そんなもの私は見たことが無い
=そんなこと/ものは無い
という言い方を、よく聞く。
誰かが言ってた、というくらいならさほど気にしないのだけれど、
あっちで聞きこっちで聞き、あの時も聞き今日も聞き、となると
あら世の中の風潮はそういうことになっているのね、と思って
引っ掛かる。
私はタマシイを見たことが無い。
だから有るとは思わない。
タマシイはそもそも見えるものではない、という言い方もできる。
でも、霊魂のある在り方によっては、見える人もいる。
見えないものは無いと言うのだったら、炭酸ガスだって酸素だって無い。
こんな説は聞いたことが無い。
だからそれは信用ならない。
単に、初めて聞いただけだろう。
初めて聞く事柄は奇怪に聞こえるかもしれない。
それに、初めて触れるものには警戒心を持ったほうが賢明でもある。
しかし、自分が聞いたことが無いからそれはオカシイものだ、と言うのは
どうだろうか。
※
私は鍼灸師です。
鍼灸は古代中国で発達した治療法だ。
古代人がどのように人を治療していたか、それを模索することを
基本理念として施術法を考えている。
中国古典医療は、人間の体を流れる気を対象にする。
気に働きかけ、気の流れを整えることによって、症状の改善をはかる。
日本でも、多くの流派が気を診ている。
気は目に見えるものではない。
筋肉とか血管とか神経とかのような、物ではない。
しかし、気が見える人もいる。
見えると言うと、物を見る視力と混同しがちなので、感じ取る、と言っておこうか。
私は気を感じ取ることができなかった。
そういう能力は、うまれつきのものだと思っていた。
霊感なんかと同じようなものだろう。
しかし、ある学派で教える練習を重ねていたら、
気を感じ取ることができるようになった。
そして、まるで見ているかのように見ることもできるようになった。
気は見えない。感じ取ることもできない。だから無い。
と言う人は多い。
私も、気は見えないし感じ取ることもできなかった。
しかし、感覚することを練習して、力が付いた。
見えなかったのは、見る力が無かっただけだった。
※
「北海道なんて無いんですよ。
だってす~さん、北海道を見たことがありますか?」
と言われたことがある。
私は残念ながら、北海道に行ったことが無い。
たしかに、見たことは無い。
その地を確かに踏んだことも無い。
言ったその人と、青森県を旅する機会を得た。
海峡に面した大間まで行ったが、天気は悪く、見通しが悪かった。
「ほらす~さん、北海道なんて無いんですよ。」
この調子で行くと、オーストラリアだってインドだってエベレストだって
丸い地球だって、
無い。
テレビで見たことあるだろう?
ふん、どこで撮影したか知れたもんじゃない。
※
自分が見聞したことの無いものはこの世にそもそも無い、と言うのは、
傲慢ではないか。
そんなに自分は見聞が広いのか。
何も見落とさず、何も聞きこぼさないほどの能力を持っているのか。
気は見えない。だから無い。と言う人と、
北海道を見たことが無い。だから無い。と言う人と、
どれほどの差があるというのか。
=そんなこと/ものは無い
という言い方を、よく聞く。
誰かが言ってた、というくらいならさほど気にしないのだけれど、
あっちで聞きこっちで聞き、あの時も聞き今日も聞き、となると
あら世の中の風潮はそういうことになっているのね、と思って
引っ掛かる。
私はタマシイを見たことが無い。
だから有るとは思わない。
タマシイはそもそも見えるものではない、という言い方もできる。
でも、霊魂のある在り方によっては、見える人もいる。
見えないものは無いと言うのだったら、炭酸ガスだって酸素だって無い。
こんな説は聞いたことが無い。
だからそれは信用ならない。
単に、初めて聞いただけだろう。
初めて聞く事柄は奇怪に聞こえるかもしれない。
それに、初めて触れるものには警戒心を持ったほうが賢明でもある。
しかし、自分が聞いたことが無いからそれはオカシイものだ、と言うのは
どうだろうか。
※
私は鍼灸師です。
鍼灸は古代中国で発達した治療法だ。
古代人がどのように人を治療していたか、それを模索することを
基本理念として施術法を考えている。
中国古典医療は、人間の体を流れる気を対象にする。
気に働きかけ、気の流れを整えることによって、症状の改善をはかる。
日本でも、多くの流派が気を診ている。
気は目に見えるものではない。
筋肉とか血管とか神経とかのような、物ではない。
しかし、気が見える人もいる。
見えると言うと、物を見る視力と混同しがちなので、感じ取る、と言っておこうか。
私は気を感じ取ることができなかった。
そういう能力は、うまれつきのものだと思っていた。
霊感なんかと同じようなものだろう。
しかし、ある学派で教える練習を重ねていたら、
気を感じ取ることができるようになった。
そして、まるで見ているかのように見ることもできるようになった。
気は見えない。感じ取ることもできない。だから無い。
と言う人は多い。
私も、気は見えないし感じ取ることもできなかった。
しかし、感覚することを練習して、力が付いた。
見えなかったのは、見る力が無かっただけだった。
※
「北海道なんて無いんですよ。
だってす~さん、北海道を見たことがありますか?」
と言われたことがある。
私は残念ながら、北海道に行ったことが無い。
たしかに、見たことは無い。
その地を確かに踏んだことも無い。
言ったその人と、青森県を旅する機会を得た。
海峡に面した大間まで行ったが、天気は悪く、見通しが悪かった。
「ほらす~さん、北海道なんて無いんですよ。」
この調子で行くと、オーストラリアだってインドだってエベレストだって
丸い地球だって、
無い。
テレビで見たことあるだろう?
ふん、どこで撮影したか知れたもんじゃない。
※
自分が見聞したことの無いものはこの世にそもそも無い、と言うのは、
傲慢ではないか。
そんなに自分は見聞が広いのか。
何も見落とさず、何も聞きこぼさないほどの能力を持っているのか。
気は見えない。だから無い。と言う人と、
北海道を見たことが無い。だから無い。と言う人と、
どれほどの差があるというのか。
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