夢の中で、飛ぶことが有る。
と言って、もう何年、飛ぶ夢を見ていないだろう。
夢の中ですら、飛んでいないように思う。
遠慮なく飛びゃあいいのに。
※
飛ぶというより、泳ぐのに近い。
時にはバタ足をしていたり、腕で空を掻いていたりもする。
高いところをスイスイ行くよりも、
地面や建物ギリギリのところを進むことが多い。
屋根や電線に引っ掛からないように気を付けて行くのだ。
※
[あらすじ] 室内で、自分の足音に気付くことが増えた。
足音を立てないで歩くことは身に付いていると思っていた。
右足重心で立っていたり、足のアーチが崩れたりもしてきているようだ。
鍛錬し直す必要が有りそうだ。
ものの本や、今ならインターネットなどで見ると、
「良い歩き方」として、
・大きく腕を振って
・歩幅は広めに
というのが良い、なんて書いてあることが多い。
「良い」
と書いてあったら、まず疑ってかかる必要が有る。
一体全体、何に良いと言うのだ。
「体に良い」
という言葉も、いい加減だったらありゃしない。
体は人によって状況も傾向も違う。
誰かに良いことが他の誰かにも良い、というわけにもいかない。
では、大きく腕を振って歩幅を広めに歩くのが
何に良い歩き方なのか。
ちょっと私にはよく分からないのだが、
まあ、運動量を上げたいとか、
そんなところだろうか。
※
大きく腕を振り、歩幅を広く取る歩き方は、
体がねじれる。
体の軸にとって、負荷の大きい動きだと言える。
※
スカートの中心がいつの間にかズレている、
という人がいる。
歩き方の癖のせいで、少しづつズレるのだ。
骨盤周辺の筋肉の付き方や筋力のバランス、
それによる動きの大きさの違いによってズレる。
ひいては骨盤から生えている脚とその足先まで、
骨盤に乗っかっている背骨や
そこに掛かっている腕や乗っかっている頭など
全体のバランスも含んだ話になってくる。
スカートがいつの間にかズレるような人が
大きく身体をねじって歩くのは、
負荷が大きいと思う。
※
筋肉少な目、筋力弱め、という人には
それなりの歩き方が有るのではないか。
もちろん、筋肉を増やしたり、筋力を強めたりするのは、
悪いことではない。
そういう目的のために大きく歩くということは有り得るかもしれない。
ただ、目的を明示せずに「良い」歩き方などと書くのは
どんなもんかいな、と言いたい。
※
大きく運動するのではない歩き方でも、
体を支える筋肉は鍛えられる。
表層に有る、関節を動かすための筋肉を鍛えてムキムキ、
というふうにはならないが、
姿勢を整えたりすることはできる。
まったく、人間は両手を使うために二本の後肢だけで立とうということを始めて以来、
たいへんな思いをし続けている。
なんでも、立つ姿勢というのは未完成なんだそうで、
人類はまだまだ進化の途上なんですかしらね。
それでも、ただ立つよりは歩くほうができるらしい。
言わば、倒れかけては前に足をついているようなものだからか?
しかし、歩くためにいちいち倒れそうになっていても困るので、
もうちょっと上手に歩きたい。
※
二本の肢で歩くと、
上下左右に体が揺れる。
片足で立つ瞬間が有るので、
左右の足に重心を寄せるようにしなければ
足が地を離れない。
しかし、これと対照的に、
重心が上下左右に(ほぼ)揺れない歩き方が有る。
日本人にこれを説明するのは一言で済む。
「能」。
あの歩き方だ。
フツウの歩き方と、能の歩き方の中間くらいができないものかな、
と、試している。
※
寝ている老人や老犬を起こさないように、
そろりそろりと室内を歩く。
鍼灸の臨床で、置き鍼中に心地よく眠った患者さんを
起こさないように、ベッドサイドを歩く。
抜き足差し足ということで言えば、
昔の夜盗などは、この技術に長けていたのではないか。
などと思う。
※
外を歩く時に、
なるべく遠くの、ある一点を見ながら歩く。
すると、歩きながら自分がずいぶん上下左右に揺れているのが分かる。
それを、極力揺れないような歩き方をしてみる。
運動会で、保護者参加の競争に
玉をスプーンに乗っけて走るのが有ったっけ。
あれも似ているだろう。
※
あんまり書くと、世の中のコソ泥を鍛えてしまうので、
このへんで。
と言って、もう何年、飛ぶ夢を見ていないだろう。
夢の中ですら、飛んでいないように思う。
遠慮なく飛びゃあいいのに。
※
飛ぶというより、泳ぐのに近い。
時にはバタ足をしていたり、腕で空を掻いていたりもする。
高いところをスイスイ行くよりも、
地面や建物ギリギリのところを進むことが多い。
屋根や電線に引っ掛からないように気を付けて行くのだ。
※
[あらすじ] 室内で、自分の足音に気付くことが増えた。
足音を立てないで歩くことは身に付いていると思っていた。
右足重心で立っていたり、足のアーチが崩れたりもしてきているようだ。
鍛錬し直す必要が有りそうだ。
ものの本や、今ならインターネットなどで見ると、
「良い歩き方」として、
・大きく腕を振って
・歩幅は広めに
というのが良い、なんて書いてあることが多い。
「良い」
と書いてあったら、まず疑ってかかる必要が有る。
一体全体、何に良いと言うのだ。
「体に良い」
という言葉も、いい加減だったらありゃしない。
体は人によって状況も傾向も違う。
誰かに良いことが他の誰かにも良い、というわけにもいかない。
では、大きく腕を振って歩幅を広めに歩くのが
何に良い歩き方なのか。
ちょっと私にはよく分からないのだが、
まあ、運動量を上げたいとか、
そんなところだろうか。
※
大きく腕を振り、歩幅を広く取る歩き方は、
体がねじれる。
体の軸にとって、負荷の大きい動きだと言える。
※
スカートの中心がいつの間にかズレている、
という人がいる。
歩き方の癖のせいで、少しづつズレるのだ。
骨盤周辺の筋肉の付き方や筋力のバランス、
それによる動きの大きさの違いによってズレる。
ひいては骨盤から生えている脚とその足先まで、
骨盤に乗っかっている背骨や
そこに掛かっている腕や乗っかっている頭など
全体のバランスも含んだ話になってくる。
スカートがいつの間にかズレるような人が
大きく身体をねじって歩くのは、
負荷が大きいと思う。
※
筋肉少な目、筋力弱め、という人には
それなりの歩き方が有るのではないか。
もちろん、筋肉を増やしたり、筋力を強めたりするのは、
悪いことではない。
そういう目的のために大きく歩くということは有り得るかもしれない。
ただ、目的を明示せずに「良い」歩き方などと書くのは
どんなもんかいな、と言いたい。
※
大きく運動するのではない歩き方でも、
体を支える筋肉は鍛えられる。
表層に有る、関節を動かすための筋肉を鍛えてムキムキ、
というふうにはならないが、
姿勢を整えたりすることはできる。
まったく、人間は両手を使うために二本の後肢だけで立とうということを始めて以来、
たいへんな思いをし続けている。
なんでも、立つ姿勢というのは未完成なんだそうで、
人類はまだまだ進化の途上なんですかしらね。
それでも、ただ立つよりは歩くほうができるらしい。
言わば、倒れかけては前に足をついているようなものだからか?
しかし、歩くためにいちいち倒れそうになっていても困るので、
もうちょっと上手に歩きたい。
※
二本の肢で歩くと、
上下左右に体が揺れる。
片足で立つ瞬間が有るので、
左右の足に重心を寄せるようにしなければ
足が地を離れない。
しかし、これと対照的に、
重心が上下左右に(ほぼ)揺れない歩き方が有る。
日本人にこれを説明するのは一言で済む。
「能」。
あの歩き方だ。
フツウの歩き方と、能の歩き方の中間くらいができないものかな、
と、試している。
※
寝ている老人や老犬を起こさないように、
そろりそろりと室内を歩く。
鍼灸の臨床で、置き鍼中に心地よく眠った患者さんを
起こさないように、ベッドサイドを歩く。
抜き足差し足ということで言えば、
昔の夜盗などは、この技術に長けていたのではないか。
などと思う。
※
外を歩く時に、
なるべく遠くの、ある一点を見ながら歩く。
すると、歩きながら自分がずいぶん上下左右に揺れているのが分かる。
それを、極力揺れないような歩き方をしてみる。
運動会で、保護者参加の競争に
玉をスプーンに乗っけて走るのが有ったっけ。
あれも似ているだろう。
※
あんまり書くと、世の中のコソ泥を鍛えてしまうので、
このへんで。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます