参院選が近い。
動画を楽しもうとyou tubeを開くと、政党の宣伝動画が始まることが多い。
※
中でも面白いと思ったのが、自民党のもの。
あいや、面白いというのは「政策として興味深い」とかいうことではなく、
「内容が無くて笑けるわ」という意味である。
どういうことか。
党首が画面に現れて、
「わたしたちには、皆さんの暮らしを守り抜く責任があります。」
とかなんとか言う。
面白い。
まず、
「与党には国民の暮らしを守る責任がある。」
という一般論がある。
その主語である「与党」は現在「自民党」である。
「自民党」であることを、一人称の「わたしたち」にすることで、
自分の思いを言葉にしているんですよ~という雰囲気を演出している。
ただ、「責任がある。」ということを言っているだけで、
「その責任を果たします。」とかいう約束をしているわけではない。
責任があることは認めますよ、と、そこまでなんである。
約束していないんだから、責任は問えないのだ。
言葉の表現技術として見て、面白い。
(この手は使える!)
(この手を使っている宣伝は多そうだ!)
一人称にしなければ、誰でも言えることである。
「与党である自民党には国民の暮らしを守る責任がある。」
何も総裁がのこのこ出てきて金かけて動画を作らなくっても、
誰もが言える一般論なんである。
※
数日前に出た記事で知ったことだが、
神道政治連盟国会議員懇談会という会合の場で、
「同性愛と同性婚の真相を知る」と題する冊子が配布されたという。
弘前学院大学の楊尚眞氏の講演録だそうな。
記事の全文はこちらからお読みください。↓
https://news.yahoo.co.jp/byline/matsuokasoshi/20220629-00303189?fbclid=IwAR06-tY2PRSjNK22ZKQv8-LU10zIvXdTw9BRSHVCZ8YWio8vhFFoHnL29zk
その中のいくつかの文言が、記事に紹介されている。
「同性愛は心の中の問題であり、先天的なものではなく後天的な精神の障害、または依存症です。」
「しかし個人の強い意志によって依存症から抜け出すことは可能なので、同性愛からの回復治療の効果が期待できる。」
ずいぶんと間違った認識を持っているようだ。
私が同性愛者の歴史について調べて学んできた事実や、
同性愛者というカテゴリーに入り得る自分自身の体験から知っていることとは大きな隔たりがある。
細かい内容について反証することは他の機会に回すことにする。
今ここでは、「LGBTの自殺リスク」について述べられた部分について取り上げたい。
冊子にはこうあるということだ。
「自殺率が高いのは社会的な差別があることが原因かというとそうではありません。
LGBTは自分自身が様々な面で葛藤を持っていることが多く、それが悩みとなって自殺につながる」。
おかしな文章だと思う。
おかしなことがいくつか混じり合っている。
文法的におかしくはないのでサラッと聞き流せるが、
論理的にはおかしい点がいくつか有るのではないかと思う。
ひとつは、条件のつけ方だ。
この文は、
「自分自身が様々な面で葛藤を持っている、そういう人が、それが悩みとなって自殺につながる。」
という文で完結する。
「LGBTは」と限定する条件をつけないで、すじが通る。
「様々な面で葛藤を持っていると、それが悩みとなって自殺につながる」という話だ。
どうも、自殺するしかなかった人たちのことも軽んじているように感じられる。
そういう一般論に、ちょいと主語をくっつけて、あたかも
「LGBTである人自身の心の問題だから」起こることかのように言っている。
これは、「LGBTは」の代わりに別の言葉をくっつけても成立する。
「外国人労働者は」「障がい者は」「難病の罹患者は」「ホームレスは」なんでもいい。
これこそが差別ではないか。
なんでもいいものをくっつけてはいけない。
人を、人として、現に生きている個人として、一人の人間として
見ていないと、ひとくくりで言ってのけてしまえるのだろう。
また、
「自分自身が様々な面で葛藤を持っている」「それが悩みとなって自殺につながる」
社会的な差別が有ることが自殺につながる原因となってはいない、
LGBTに社会的な差別は無い、と言おうとしているようだ。
しかし、LGBTをLGBTとくくること自体が、社会的な見方ではないか。
それこそ、社会的な差別が有ることの証だと思う。
セクシュアリティということになんの分け隔ても無いのなら、わざわざLGBTという言葉なんかできやしない。
「自殺率が高いのは社会的な差別があることが原因かというとそうではありません。
LGBTは自分自身が様々な面で葛藤を持っていることが多く、それが悩みとなって自殺につながる」。
おそらくこれは、「LGBTの自殺率は高い」といった統計調査結果に対しての反論として言っているのだろう。
そして、「そんな社会的な差別は無い」「現行の制度に問題は無い」
ひいては「自分たちは差別していない」「自分たちは間違っていない」と言いたいようだ。
社会的なくくりによって統計を見てみたらそこに自殺率の差が有った、
ということならば、個人的な問題ではなく社会的な重圧が有るからだ、と読み取るのが自然ではないか。
※
矛盾をいくつも含んだ文章の問題点を指摘するのは非常にややこしい。
今日はうまく書けた気がしない。
活力の湧くような話題じゃないし。
心が押しつぶされそうだけど、
それも社会的な問題ではなく、私自身の心の問題なのかいそうかい。
私は自分のことだけに閉じこもっていれば、SNSもネットニュースも見なければ、
こんな不愉快な事に触れずに済む。
実にこれは社会的な問題なんだけどな。
もっときちんとした批判はこちらで。↓(再掲)
https://news.yahoo.co.jp/byline/matsuokasoshi/20220629-00303189?fbclid=IwAR06-tY2PRSjNK22ZKQv8-LU10zIvXdTw9BRSHVCZ8YWio8vhFFoHnL29zk
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