市民の暮らしを形作っているのは、制度である。
消費税を納めているのだって、所得税を納めているのだって、
老母が特別養護老人ホームに入居しているのだって、
月極駐車場を借りているのだって、
保険証を呈示して3割負担で医薬サービスを受けているのだって、
私が戸籍の筆頭であるのだって、
自分の名前だって性別だって、制度の上に成り立っているのだ。
条例なり民法なり憲法なり、レベルの違いこそあれ、
法律によってわれら民は囲まれている。
※
自己紹介しますとね。
私は学校の教科の中でも、社会は苦手だった。
まるで興味が湧かないのだ。
授業中は絵ばっかり描いていたような気がする。
それでも耳の穴は開いているので、なんとなく少しは知識が入る。
そのささやかな知識に基づいて、この齢(もうすぐ53才)までこの国で生活してきた。
勉強不足が祟って、
政治とどう闘って良いものやら、理解が深まらない。
違うな。
勉強はいつでもできる。
できるけどやらない。
私は相変わらず、社会に興味が持てないのだ。
得意な人に任せておきたい。
けれど、自分の選挙権を行使することが
今の制度の中では、一市民として最も大事な姿勢なのだ、
と、思っている。
思うことにしている。
もっと良い社会のあり方も有りそうだし、
まったく、現行の選挙制度に欠点はべちゃくそ有ると思う。
※
ジンクスが有る。
「私が投票した候補は、次点になる。」
市議会議員選挙であれ、参院選でも衆院選でも都知事選挙でも、
私が投票した候補は今一歩及ばず落選するのである。
とほほ。
私は、心から選んでいる。
どうぞ当選してください、どうぞこの役職に就いてください、
どうぞこの社会のために働いてください、
ちゃんとそう願って清き一票を投じている。
けどね、
なんだかね、私が投票した人はね、
必ず次点になって落選してしまうのよ。
必ずなどという強めの言葉を使ってしまったが、
実にこの数年はずっと本当に次点ばかりなんである。
次点になる人を予想して投票しているんだとしたら
百発百中の大当たりである。
すごいんだから。
どれだけ心から投票しても、毎度々々落選する。
毎回々々、翌朝のニュースを見て、落胆する。
その度に、がっかりする。
※
選挙制度によって民意が反映されると言うのならば、
私は市民ではないとすら言える。
私の意が選挙によって政治に反映されてなどいないからだ。
どうも生活しづらいと思うのは、
自分の票がひとつも当選に繋がっていないからか。
などと、
選挙の翌朝は気分が落ち込む。
どーせあたいなんかはぐれものだもんね。
と、やさぐれ気分がしばらく残る。
※
2週間前に、地元の市長選挙が有った。
候補は、6選を目指す現職と、40代無所属新人の二人であった。
私が投票した候補が当選して嬉しかった、投票した甲斐が有った、
と感じたことが、一度有る。
それは、この現職市長が最初に選挙に出た時のことだ。
選挙の良い思い出が有るとしたら、その時のことくらいだ。
どんな人であれ、5期も続けたら腐敗する。
と言って現職市長の続投を批判して出馬したのだ。
その人が、5期目も務め、6期に向けて今回も出馬した。
あらまあ。
自分の中でどのように折り合いを付けてらっしゃるのかしら。
※
たった2週間前にそのような選挙が有り、そして
今週は参議院議員選挙である。
あたしゃまだ立ち直っていないのよ。
よし選ぶぞ!私の暮らしを支えてくれそうな人を選ぶぞ!
という、前向きな気持ちを取り戻していないのよ。
私が投票すると次点で落選しちゃいますけど、すみませんね、
投票しちゃいますよ~~~イヒヒ
という気持ちで候補を選ぶのであるよ。
ねじけ選挙。
※
必ず次点を当てている。
という見方をすれば、かなりすごい能力とも言える。
自分が誰に当選して欲しいか、という至極真っ当な視点を一旦捨て、
誰が票を集めるか、という見方をしてみる。
ヤケクソだが、気分が変わる。
投票率をはじめ、各候補の得票数も予想してみる。
もう、ニュース解説者の仕事の領域だ。
選挙公報を見る目が、競馬新聞を読み込む目になる。
※
そうでもしないとやってらんねえよ。
消費税を納めているのだって、所得税を納めているのだって、
老母が特別養護老人ホームに入居しているのだって、
月極駐車場を借りているのだって、
保険証を呈示して3割負担で医薬サービスを受けているのだって、
私が戸籍の筆頭であるのだって、
自分の名前だって性別だって、制度の上に成り立っているのだ。
条例なり民法なり憲法なり、レベルの違いこそあれ、
法律によってわれら民は囲まれている。
※
自己紹介しますとね。
私は学校の教科の中でも、社会は苦手だった。
まるで興味が湧かないのだ。
授業中は絵ばっかり描いていたような気がする。
それでも耳の穴は開いているので、なんとなく少しは知識が入る。
そのささやかな知識に基づいて、この齢(もうすぐ53才)までこの国で生活してきた。
勉強不足が祟って、
政治とどう闘って良いものやら、理解が深まらない。
違うな。
勉強はいつでもできる。
できるけどやらない。
私は相変わらず、社会に興味が持てないのだ。
得意な人に任せておきたい。
けれど、自分の選挙権を行使することが
今の制度の中では、一市民として最も大事な姿勢なのだ、
と、思っている。
思うことにしている。
もっと良い社会のあり方も有りそうだし、
まったく、現行の選挙制度に欠点はべちゃくそ有ると思う。
※
ジンクスが有る。
「私が投票した候補は、次点になる。」
市議会議員選挙であれ、参院選でも衆院選でも都知事選挙でも、
私が投票した候補は今一歩及ばず落選するのである。
とほほ。
私は、心から選んでいる。
どうぞ当選してください、どうぞこの役職に就いてください、
どうぞこの社会のために働いてください、
ちゃんとそう願って清き一票を投じている。
けどね、
なんだかね、私が投票した人はね、
必ず次点になって落選してしまうのよ。
必ずなどという強めの言葉を使ってしまったが、
実にこの数年はずっと本当に次点ばかりなんである。
次点になる人を予想して投票しているんだとしたら
百発百中の大当たりである。
すごいんだから。
どれだけ心から投票しても、毎度々々落選する。
毎回々々、翌朝のニュースを見て、落胆する。
その度に、がっかりする。
※
選挙制度によって民意が反映されると言うのならば、
私は市民ではないとすら言える。
私の意が選挙によって政治に反映されてなどいないからだ。
どうも生活しづらいと思うのは、
自分の票がひとつも当選に繋がっていないからか。
などと、
選挙の翌朝は気分が落ち込む。
どーせあたいなんかはぐれものだもんね。
と、やさぐれ気分がしばらく残る。
※
2週間前に、地元の市長選挙が有った。
候補は、6選を目指す現職と、40代無所属新人の二人であった。
私が投票した候補が当選して嬉しかった、投票した甲斐が有った、
と感じたことが、一度有る。
それは、この現職市長が最初に選挙に出た時のことだ。
選挙の良い思い出が有るとしたら、その時のことくらいだ。
どんな人であれ、5期も続けたら腐敗する。
と言って現職市長の続投を批判して出馬したのだ。
その人が、5期目も務め、6期に向けて今回も出馬した。
あらまあ。
自分の中でどのように折り合いを付けてらっしゃるのかしら。
※
たった2週間前にそのような選挙が有り、そして
今週は参議院議員選挙である。
あたしゃまだ立ち直っていないのよ。
よし選ぶぞ!私の暮らしを支えてくれそうな人を選ぶぞ!
という、前向きな気持ちを取り戻していないのよ。
私が投票すると次点で落選しちゃいますけど、すみませんね、
投票しちゃいますよ~~~イヒヒ
という気持ちで候補を選ぶのであるよ。
ねじけ選挙。
※
必ず次点を当てている。
という見方をすれば、かなりすごい能力とも言える。
自分が誰に当選して欲しいか、という至極真っ当な視点を一旦捨て、
誰が票を集めるか、という見方をしてみる。
ヤケクソだが、気分が変わる。
投票率をはじめ、各候補の得票数も予想してみる。
もう、ニュース解説者の仕事の領域だ。
選挙公報を見る目が、競馬新聞を読み込む目になる。
※
そうでもしないとやってらんねえよ。
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