犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

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ハズレ予想屋

2022年07月07日 | 椰子の実の中
市民の暮らしを形作っているのは、制度である。

消費税を納めているのだって、所得税を納めているのだって、
老母が特別養護老人ホームに入居しているのだって、
月極駐車場を借りているのだって、
保険証を呈示して3割負担で医薬サービスを受けているのだって、
私が戸籍の筆頭であるのだって、
自分の名前だって性別だって、制度の上に成り立っているのだ。

条例なり民法なり憲法なり、レベルの違いこそあれ、
法律によってわれら民は囲まれている。



自己紹介しますとね。
私は学校の教科の中でも、社会は苦手だった。
まるで興味が湧かないのだ。
授業中は絵ばっかり描いていたような気がする。
それでも耳の穴は開いているので、なんとなく少しは知識が入る。
そのささやかな知識に基づいて、この齢(もうすぐ53才)までこの国で生活してきた。

勉強不足が祟って、
政治とどう闘って良いものやら、理解が深まらない。
違うな。
勉強はいつでもできる。
できるけどやらない。
私は相変わらず、社会に興味が持てないのだ。
得意な人に任せておきたい。

けれど、自分の選挙権を行使することが
今の制度の中では、一市民として最も大事な姿勢なのだ、
と、思っている。
思うことにしている。

もっと良い社会のあり方も有りそうだし、
まったく、現行の選挙制度に欠点はべちゃくそ有ると思う。



ジンクスが有る。

「私が投票した候補は、次点になる。」

市議会議員選挙であれ、参院選でも衆院選でも都知事選挙でも、
私が投票した候補は今一歩及ばず落選するのである。

とほほ。
私は、心から選んでいる。
どうぞ当選してください、どうぞこの役職に就いてください、
どうぞこの社会のために働いてください、
ちゃんとそう願って清き一票を投じている。

けどね、
なんだかね、私が投票した人はね、
必ず次点になって落選してしまうのよ。

必ずなどという強めの言葉を使ってしまったが、
実にこの数年はずっと本当に次点ばかりなんである。
次点になる人を予想して投票しているんだとしたら
百発百中の大当たりである。
すごいんだから。

どれだけ心から投票しても、毎度々々落選する。
毎回々々、翌朝のニュースを見て、落胆する。
その度に、がっかりする。



選挙制度によって民意が反映されると言うのならば、
私は市民ではないとすら言える。
私の意が選挙によって政治に反映されてなどいないからだ。
どうも生活しづらいと思うのは、
自分の票がひとつも当選に繋がっていないからか。

などと、
選挙の翌朝は気分が落ち込む。
どーせあたいなんかはぐれものだもんね。
と、やさぐれ気分がしばらく残る。



2週間前に、地元の市長選挙が有った。
候補は、6選を目指す現職と、40代無所属新人の二人であった。

私が投票した候補が当選して嬉しかった、投票した甲斐が有った、
と感じたことが、一度有る。
それは、この現職市長が最初に選挙に出た時のことだ。
選挙の良い思い出が有るとしたら、その時のことくらいだ。

どんな人であれ、5期も続けたら腐敗する。
と言って現職市長の続投を批判して出馬したのだ。
その人が、5期目も務め、6期に向けて今回も出馬した。
あらまあ。
自分の中でどのように折り合いを付けてらっしゃるのかしら。



たった2週間前にそのような選挙が有り、そして
今週は参議院議員選挙である。

あたしゃまだ立ち直っていないのよ。
よし選ぶぞ!私の暮らしを支えてくれそうな人を選ぶぞ!
という、前向きな気持ちを取り戻していないのよ。

私が投票すると次点で落選しちゃいますけど、すみませんね、
投票しちゃいますよ~~~イヒヒ
という気持ちで候補を選ぶのであるよ。

ねじけ選挙。



必ず次点を当てている。
という見方をすれば、かなりすごい能力とも言える。

自分が誰に当選して欲しいか、という至極真っ当な視点を一旦捨て、
誰が票を集めるか、という見方をしてみる。
ヤケクソだが、気分が変わる。

投票率をはじめ、各候補の得票数も予想してみる。
もう、ニュース解説者の仕事の領域だ。

選挙公報を見る目が、競馬新聞を読み込む目になる。



そうでもしないとやってらんねえよ。
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