犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

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お花の観察

2015年09月17日 | からだ
[あらすじ] 自分フィルターによってものごとを受け取ると、不幸が多い。
自分フィルターによって他者を見ても、それはその人の実像ではない。
どうしたら自分フィルターは取り除けるの?


私の今たどり着いている方法は、
観察に徹すること、
である。

ものを見て、それを言葉で説明した時に、なにか
推測・憶測・解釈・予測・感想・主張といった、自分の頭で作り出したものが
混じってしまっていないか、よく省みる。

認知療法のひとつにも、そういうものがあるそうだ。
散歩していて、目に入ったものを、言葉にしていくのだ。
なるべく単純に。

花を見たら、
・花が咲いている
・黄色い
・花のにおいがする
・風に揺れている
など。

・きれいな色
・かわいい
・いい香り
・小さいながらにひたむき
などというのは、自分の受け止め方が混じっているので、ボツ。

この区別がとても大事なのだ。

花をきれいとかかわいいとか感じているのは自分だ。
花はただ咲いているだけなのだ。
小さいのにひたむき、なんていうのになると、
相当に自分の人生観を反映してしまっている。
ポエムかもしれないけれど、強い自己投影がある。

自分の頭で作り出したものを取り除く、
つまり、自我の働きを抑えるための手法は、実はすでにある。
日本では、それを禅と呼ぶ。
無我の境地、というやつだ。

瞑想状態に入ると、自我の部分が取り去られ、
全体の一部としての生き物の自分だけが残るのだろう。

あいにく、私はまだ経験が無い。
ちまちまと、観察に徹することをしている。

つづきつづける

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