桜島を含む錦江湾の夜景はほかの場所でも撮れようが
大波池を一緒に写し込むとなると、写せる場所は限られるだろう
肉眼ではあたり一面すでにかなり暗く
水面を入れるには、ギリギリの時間帯での撮影
【大波池越しに錦江湾の夜景を望む~韓国岳山頂にて 2020.11.25撮影】
ほぼ同じ地点から高千穂峰を撮影
月が煌々と照っていたので当初から星撮は期待薄だったが
町あかりは年がら年中夜通し止み間ないだろうから
もしかしてここでの星の撮影は、いつだって極めて困難なのかもしれない
♪ きみは見上げていたね 見えない星空を
風吹くビルの陰 夜更けの街
両手を高く上げた 背伸びをしながら
でも星は遠すぎて きみは小さい
クルマもヒトもいない
静かなアスファルトの ステージ
たたずむきみの姿を ライトが照らし出す
やがてきみのからだは 大きくひろがる
高層ビルだきみは ガラスの巨人
ほら 歩き出したゆらゆら
空を横切るきみの影
チカチカ赤いランプが とてもきれいだよ
見おろせば街は 星の海のよう
ぜんぶぼくのものだって
きみははしゃいでいた
楽し気に歩くきみが 突然立ち止まるその時
胸にあいた風穴に 誰かがしのびこむ
忘れてることがある 何か悲しいこと
確かにさっきまでは 覚えていた
悲しみが攻めてくるよ もっと大きくならなければ
悲しみが攻めてくるよ もっとひろがれ ぼくのからだ
悲しみが攻めてくるよ もっと大きくならなければ
悲しみが攻めてくるよ もっとひろがれ ぼくのからだ
悲しみが攻めてくるよ……
悲しみが攻めてくるよ……
(ガラスの巨人/詩:谷山浩子 曲:崎谷健次郎 歌:谷山浩子)
【ガラスの巨人~星の海に浮かぶ高千穂峰 2020.11.25撮影】
今朝の新聞の訃報欄で、NSPメンバーの中村貴之さんが死去されたのを知りました。
心からご冥福をお祈りいたします。
常々新聞の訃報欄を熱心にチェックしているわけではないのですが、毎朝紙面に目を通す際に
チラッと確認はしていて、時にドキッとさせられることがあります。同じくNSPの天野滋さんの
ときには通勤の電車内で死亡記事を読んだ覚えがあり、「えっ!」と思わず声を出してしまった
のを記憶します。
外野から見ていた印象で言うと、中村さんは浮き沈みの激しい生涯だったかもしれません。
NSPである一定の成功を収めた後、いち早く脱退、ソロでのデビューを目指しますが叶わず、
一時は音楽活動を断念し実業家となったのち、NSPの再活動を機に再びメンバーに戻るも、
その矢先リーダーの天野さんが亡くなり、NSPとしての活動は半永久的に停止されました。
しかしその後ソロでアルバムを作成、コンサート活動を再開し、また、残されたメンバーの
平賀和人さんに元ふきのとうの細坪元佳さんを加えNSPナンバーを奏でる「スリーハンサムズ」
を結成するなど、活発な音楽活動を続けてこられました。つい最近まで衰えぬ情熱で精力的に
活動されていると思い込んでいたのですが…。回り道ではあったかもしれませんが、音楽的には
持てる力を存分に発揮し、やり残したことなくご逝去されたことを願います。
今回お届けするのは、NSP時代に中村さんがリードボーカルをとった曲で、天野さんが
ジョンレノンの死を新聞報道で知った際の衝撃を詩にしたものです。まさかずいぶん
あとになって、NSPメンバーの死を同じように新聞で知ることにより、詩の世界を
地で行くような衝動を自分が体感しようとは思いもしなかったです。作曲者の澤近さんは
このあと中村さん脱退後のNSPに加入することになるなど、いろいろ意味深な曲でも
ありまして、また天野さんが出来栄えを気に入っておられたのか、ベスト的なアルバムにも
収録されるなどし、ファンにはおなじみの曲のひとつです。
♪ 高みの空が 青いだけの事を
悲しいと歌う理由が 今は判るようだ
僕の心で弾けたものがある
新聞広げた朝に 何か音をたてて
激しいその声も おどけたその声も
共に歩み続けた日々を呼び戻すよ
壁にとめてた写真の中にいる
あなたの微笑はもう遥か雲の上に
平和を願い自由を望む人
あなたが残した歌は 今も聞こえるのに
生まれる人がいる 次の時代が来る
そして廻り廻って 愛を育てるだろう
壁にとめてた写真の中にいる
あなたの微笑はもう遥か雲の上に
あなたの微笑はもう遥か雲の上に…
(バブル Jに捧ぐ/詩:天野滋 曲:澤近泰輔 歌:NSP)
JAF会員向け冊子として元々毎月届けられていて、少し前から年間10回と発行回数を減らされていた
JAFMate(ジャフメイト)が、来年から年間4回の季刊発行となるようです。今回の12月号が
月刊誌としては最後の冊子となります。主たる要因は経費削減なのでしょうけど、さびしいです。
元来車自体にはそれほど強い関心のない私ですから、車専門誌のようなものはまず読まないので、
この会員誌が唯一車関連の情報を得る手段であったと言ってもよく、年4回しか届かないのは
少なすぎますかね。自動車事故を抑制するための手段、対策など、ドライバー向けの役立つ記事が
毎回掲載されるほか、車にまつわるエッセーやインタビュー記事などの掲載量も適量で、肩ひじ張らず
リラックスして読める冊子ですし、また、薄くて軽量なので持ち運びしやすく、鞄に忍ばせておけば、
病院や理髪店などでの順番待ちに取り出し、時間つぶしに読むにも最適でした。
今後まったくなくなってしまうわけではないにせよ、年4回ではちょっと間隔が開きすぎですよね。
これまで当たり前だったことが当たり前でなくなることには、やはり抵抗感がありますねえ。
レジ袋が有料化されたことにもいまだ違和感、抵抗感がぬぐえず、まごつくことのほうが多いです。
この前のような長い旅になると、途中レジ袋の補充が効かないので、手持ちの在庫があっという間に
底をつきかけましたしね。
変わったと言えば、この前の旅行中、コンビニのレジでの支払いで戸惑いました。普段の生活では
まずコンビニは利用しない私が、久しぶりに買い物をし、支払おうとすると、今時は店員さんとは
金銭のやり取りをしないようになっているんですね、「どうぞ」と言われて慌てましたよ。レジ前に
設置されているATM・現金支払機みたいな装置で、自分で決済するようなシステムなんですよねえ。
同じような機器は土井商店にも備え付けられていて、年配の買い物客は自分では使いこなせず、結局
店員さんが代わって支払っているのを見かけたりもしました。コロナ禍もあり、直接現金の授受をせず、
接触を極力減らす狙い、配慮もあるのでしょうけど、中高年にはこのような変化についていくのが
大変ですわね。
再び曇りがちの天気となりました。その分、朝の厳しい冷え込みはありませんでしたが
日中も日差しが少なく、午後は時々しぐれるなど、底冷えのする一日でした。
本日はレモン収穫作業を行いました。その前にまず枝の伐採です。昨年相当刈り込んだ
つもりでしたが、その倍くらい枝が茂っていました。カーポートの屋根よりも高くなった
ところなど高所まで伸びた部分を含め、去年以上に丁寧かつ大胆に刈り込んでおきました。
総量、和歌山市指定のゴミ袋3個分になりました。かなりすっきりしたようでいて、でも
これだけ刈ってもあまり変りばえしないような…
それからの収穫作業は、その前の作業ですっかり疲れ切ってしまったこともあり、
今日のところは手を伸ばしずらい高所や奥まったところなど、作業が難しい場所を中心に、
一部にとどめておきました。カゴいっぱいで27個あります。これまですでに10個
とってましたから、ここまで計37個です。たぶんこれで三分の一程度でしょうか。
次回は12月中に行いたいと考えています。
ここ数日では一番安定した天気となり、日差しの暖かさを感じられた和歌山市です。
この好条件なら出漁しているはずだと、雑賀崎漁港へ出向きました。店先(船先)での
販売は15:00からですが混雑するので、わざと時間をずらしゆっくり出かけます。
我が家はアシアカエビだけ買えればいいからです。
ところが現地に到着すると、すでに閑散としていて、人影はまばらで、買い物客らしき
姿はほとんど見当たりません。しかし出漁していた気配はあるので、関係者らしき人を
捕まえて尋ねると、今日船は出るには出たが8隻のみで、しかもエビ漁はそのうち
2隻だけ、すでに売り終え、ほとんどが店じまいしてしまったらしいのです。
あきらめきれず、まだ片づけを完全に終えていない船で聞くと、エビを1キロだけなら
分けられると言ってくれたので、それを買い求めました。活け(まだ生きている状態)の
アシアカエビが4500円でした。以前は3500円くらいでしたから、1000円も高いのですが
背に腹は代えられません。
特大3匹を含め、全部で22匹入っていました。1匹換算でおよそ205円になります。それでも
スーパーで買うよりは新鮮で安いとは思いますが、エビも高騰し、そうおいそれとは買えなく
なりますかな。不漁だからか、それとも重油高で出漁を手控えてるのか…いろんなものの
値段が上がり、年越しも大変ですし、来年も回復は見込めそうになく気が滅入りますねえ。
ご病気から無事復帰され、再び精力的な音楽活動を始められた谷山浩子さんです。
ただ、コロナ禍の最中、コンサートなどは制約を受け以前のような本数を実施できない中、
届けられた新譜はDTM(=ディスクトップミュージック、パソコンなどを使用して制作される
音楽のことだそうです)を習得し使用、自宅でプライベート録音された作品で、新曲、
セルフカバー作品など、ボーナストラックを含め全11曲収録されています。
旅の間に自宅に届いていたこのアルバムをまだ聞くことができてなくて、これからの試聴を
楽しみにしているのですが、中でも気になるのが『なおちゃん』のリメイク版でしょうか。
なおちゃんはシングル曲のB面としてずいぶん前に発表された作品で、元々しっとりした曲調で
あるにもかかわらず、そのイメージとはかなりかけ離れたぶっ飛んだアレンジとなっていたため、
いつか録り直したいと谷山さんは思われていたようで、今回それが実現されたわけです。
その当時谷山さんのシングル曲のアレンジを依頼していたのが鷺巣詩郎さん。その音楽の
斬新性が『風になれ~みどりのために』や『ラ・ラ・ルゥ』などA面曲ではうまくハマった
ものもある一方、『銀河通信』やなおちゃんなどのB面ではその表現方法が突拍子すぎて、
首をかしげたくなったのは確かです。実際、銀河通信はのちに再アレンジされ録音された
バージョンのほうがずっと完成度が高まっていたしね。しかし個人的になおちゃんに関しては、
詩と曲調をまったく無視するがごとく突っ走るオリジナルもけっこう気に入ってるんです。
お祭りが始まるの?みたいなにぎやかなイントロ、なんか病みつきになるってのか…
鷺巣さんはこのあと「新世紀エヴァンゲリオン」の音楽を担当されるなどし、高評価を得たのは
多くの方がご存じのとおりです。時代が彼の先進的な音楽性に追いついたと言えるかもしれません。
谷山さんと組んだ頃は早すぎたのかもねえ。谷山さんと鷺巣さんの組み合わせは、今日的には
明らかに異業種混合、しかし、ミスマッチで片付けてしまうのは惜しいような気もします。
もし今なら、どんな風な銀河通信やなおちゃんになるのか、興味は尽きません。
不気味でインパクトのあるジャケットをモチーフにしたクリアファイルが購入特典。
あっちの世界に誘われそう。見える子ちゃんでなくても見えるかも。
昨日の雨を境に、グッと気温が下がり冷え込みました。
夏野菜のピーマンを引き抜いて片付けました。今期は大豊作、ここまで長く実がなり続けるときは
コガネムシの幼虫が発生してなくて、案の定今回も土を再整備してみると、まったく虫の姿なく、
根もたくさんはびこったままでした。おかげでその除去に手間取り、骨が折れましたけど。
写真は最後までぶら下がっていた小さなピーマンの実。はっきり言ってサイズ的にはクズですが、
支障なく食べられるので切り取っておきました。冬までよくがんばってくれました。
旅に出かける前、大雑把に土を整備しておいたプランター×2とカゴ×1個に
チンゲンサイ×2とコマツナ(小松菜)の種をまきました。9月に種をまいた際には、
気温が高すぎたのが原因か、全般うまく育てられなかったので、今回はそのリベンジと
なりますか。種はいずれも昨年度の古いものです。
ナイロン袋を被せ、簡易温室にしています。
深夜日付が変わった頃、旅先から帰宅しました。今日はカラッとした晴天、疲れた体にムチ打って、
旅の荷物の片づけを進める一方、畑仕事も少ししておきました。
10月下旬に植え付けたタマネギに冬の追肥です。
こちらが畑に直植えしたもの。
プランターに植えた分にも行います。
雑草がけっこうはびこっていて、できる限り除去しておきました。
今のところ脱落した苗はないようで、これから冬越え、皆無事に春を迎えてほしいです。
ピーマンはサイズは小さいながら、以降もたくさんとれたようです。さすがに今後はもう
多くを望めないので、追肥はしませんでした。
秋に種まきして唯一残っていたフダンソウ(うまい菜)もやっぱり出来が良くなく、見限ることに
します。近々、ほかの空いているプランターと共に土を再整備して、種をまき直します。
11月19日(金) 曇り時々晴れ
東北から北海道にかけて前線が通過するようで、風が強まることが予想され、
出発前からフェリーは「遅延」して舞鶴港に到着するだろうことが示唆されていた。
しかしこの船旅は、西に行くにつれ波が収まることが期待されるので、出だし
乗り切れればと考えると、気分的には楽かもしれなかった。
帰路は団体客もなく、船内は閑散期らしい空き具合でガラガラ。乗用車は多く見積もって
30台程度、バイクはなし、乗船客は50名に満たなかったかもしれない。
私がよくたむろするプロムナード付近でも人を見かけることは滅多になく、ほとんど
貸し切り状態であった。朝目覚めるとすでに波が高く、しかし耐えられないほどではなかったが、
この状況で読書するのは危険であろう。
お昼を過ぎると波が徐々に収まり始め、天候も回復、青空の面積が多くなった。
閑散期は営業を取りやめているカフェコーナーには人影もなくて、この付近でも
私だけしかいない時間が多く、大谷翔平選手のMVP受賞特番をテレビを独占して
見ていた。
午後は読書でき、残していた三分の一ほどを読み終えることができた。
今夜は(ほぼ)皆既月食とのことで、船上から海から昇る月出を楽しみにしていたのだが、
あろうことか能登半島を回るあたりからまた雲が増え始め、上空は晴れているが周囲雲が多く、
観月は難しい状況であった。
夜食のカップラーメンでも食べようかとあきらめかけた矢先、雲の切れ間から欠け始めた
月が見えた。時刻はすでに17:10を回っていたと思う。
ISO感度を上げるなどすればもう少しきれいに写せるかもしれないが、面倒なのですべて
オートでお任せ撮影。結果は当然、月はブレブレ。
カップラーメンを食べるなど時間をおき、しばらくして見に行ってみると、ほとんど
欠けてしまっていた満月を見ることができた。今回は諸々微妙に外すことのほうが多かった
旅となったが、最後、これを見ることができたので、締めくくりはOKとしておく。
近畿地方の天候は安定、月明かりに照らされながら家路へ向かう。
11月18日(木) 曇り時々晴れ(夜から雨)
真夜中目覚めると煌々と月明かり。今夜は何とか流星群と聞いていて、だがこれだけ
明るいと観測は無理だよなと思いつつも丘へ行ってみると、満月に近い大きなレモン型の
月のあかりでやはり星の撮影は難しく、その上、どうやら山頂には雲がかかっているらしい
ので撮影そのものをあきらめ、もう一度寝床を整え、そこで仮眠、朝を待つことにした。
早朝、大雪山は分厚い雲で覆われたままだが十勝連峰は見えていて、西から徐々に
押し寄せてくる雲が少し焼けたので撮影を試みる。予報は早や下り坂、空の大部分が
雲に覆われつつあった。それでも撮影を続けていたら、なんとこんな早い時間から
トラクターがやってきて、私の車は道路の端に寄せてとめ、普通車は十分すれ違えるように
しておいたつもりだがさすがにトラクターは無理で、「除けましょうか?」と身振りで
伝えると、「問題ないよ!」という風に手で合図、片側の車輪を畑内に入れて通過し、
撮影地点すぐ前の畑を耕し始めた。農家の方は観光客(マナーの悪い輩が多いために)を
毛嫌いする傾向が年々強まっているのではと感じていたがこの畑の持ち主はあまり
気にされていない様子で、私としてはこの朝の出来事で、ますますこの畑、撮影場所が
気に入ったのであった。
それで図々しくも、そのトラクターを入れて写真撮影を再開したのだが、それも、
「どうせならもう少し早く、朝焼けていた頃に来てほしかったなあ」と思いながらだ。
そういう不届き者が多いので、観光客は嫌われるのにだ、まったく。
でもまあこれで気が済み、今度こそ帰る決心を固め、フェリーの予約をとるなど
帰宅へ向けての準備を進めた。19日(金)の夜に「ほぼ皆既月食」が見られると、
これもラジオの天気予報からの知識を持ち合わせていて、せっかくだから旅先でそれを
見たいということで、それを励みに粘れたこともここまで滞在を延ばせた要因だったが、
いつ見直しても金曜日の予報が好転する気配がなく、ここであきらめをつけたのだ。
上の写真は撮影の帰路、コンデジで撮っていないことを思い出し、車内から写した
オプタケシケ方面の写真。
土井商店は11時開店なので段取りが悪く困る。冬に自宅で楽しむために買いだめした
銘酒軍団、磯自慢、鳳凰美田、上喜元、雪中梅、立山。雪中梅は旅のお供とした銘柄の
ワンランク上のもの。磯自慢は廉価版が品切れ?でこれもひとつランクが上のクラス。
滞在中抑制しながら生活してきたうっぷんを買い物で晴らす意図はまったくないのだが、
妙に気が大きくなって、財布のひもが緩みすぎるので困ったものだ。クラシック・
富良野VINTAGEもまだ店頭に在庫があったので、2ケース買い増すことができた。
それと北海道ワインの初しぼり・2021年度版を少々購入。
柳月でお土産を買い込み、ついでにケーキを1個購入。小樽港で放課後ティータイム。
これが今回唯一、最初で最後のスイーツとなったチーズケーキ。
〆は今回も魚真で。
小樽にぎり。これも今回唯一のグルメとなるかもねえ。トリトンも一度も行かなかったし。
それまでの滞在費用と同額分くらいを、今日一日で使ってしまった…もうちょっと気をつけねばと
反省するも、せっかく北海道まで来てるんやしなあ。
日高産ししゃも、脂が乗っていておいしかった。