旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

長崎旅行(6)・・・長崎が伝え続けるもの――原爆

2009-05-24 14:44:04 | 

 観光バスは、短時間でできるだけ回ろうとするため表面的な接触に終わるが、コンパクトに最低限の町の紹介をしてもらえる点、時間のない観光者には捨てがたい。
 今回も、午前10時発で4時間15分(実際は4時間30分以上かかったが)で、原爆資料館、平和公園、出島、孔子廟、大浦天主堂、グラバー園に下車、その間、長崎の町を北から南まで走りながら要所を解説してくれるという、実に有効な観光バスに乗った。ほんの表面を撫ぜるだけのものだが、それは仕方ないだろう。

 表面的といっても、心に残るスポットやガイドの言葉はいくつかある。一般的かもしれないが、原爆資料館、平和公園一帯と永井隆博士の生涯は改めて心に残った。
 バスがスタートして間もなく、ガイドは現在の長崎の起点ともなる原爆に触れた。
 「1945年8月9日午前11時2分、アメリカのB29機により投下された一発の原子爆弾で、長崎の町は一瞬に倒壊しました」
 「一発」と「一瞬に倒壊」と言う言葉が、改めて心に響いた。原爆資料館、平和公園を紹介した後、ガイドは永井隆に多く触れた。中でも博士の著書『この子を残して』の有名な箇所(注)を2ページぐらいにわたり暗誦朗読したのにはさすがと思った。
 (注)白血病で腹水のたまる博士のそばには
幼子も
  近づけなけなかったが、眠っている(実はふりをし
  ていた)博士のそばに娘が近寄り、その頬に顔を近
  づけ「ああ、お父さんの匂い」とつぶやく場面。

 続いてガイドは、永井博士の心をたどるように「長崎の鐘」を歌った。その二番だけを・・・

  召されて妻は天国へ 別れて一人旅立ちぬ
  かたみに残るロザリオの 鎖に白きわが涙

 一発の原爆で母を亡くした幼子(おさなご)が、そっと自分のほほに「父の匂い」をかぐ・・・、その子らを残して自分も死に行こうとしている。残すところ少ない自分の命を、永井博士はどんな思いで生きたのだろうか・・・?

 心に残るガイドであった。
                    

 


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